赤 塚 城 址

板橋区赤塚、赤塚城址公園 




 この城址は板橋区赤塚にあり、北を荒川に続く低湿地に東西は深く切れ込んだ谷に囲まれた、

南北に伸びた小山の上に築かれました。現在、空堀などの残る本丸跡とその麓の溜池と呼ばれる

外堀の一部が赤塚城址公園として整備されて残されています。この城に拠った千葉自胤は下総の

国の名族でしたが、古河公方足利成氏も介入した一族の争いに敗れ、太田道潅を頼って武蔵に入

り赤塚城の城主となりました。その後は武蔵千葉氏として後北条氏に属し、小田原落城とともに

廃城となりました。




   赤塚城址の石碑


 説明板によると、この碑の

ある広場が本丸で、南の梅林

が二の丸、さらに南西の区民

農園の辺りが三の丸になるそ

うです。





    本丸曲輪跡


 城址公園として整備されて

いて芝生の広場となっていま

す。画面奥の北西の林との境

に沿って小規模な堀の跡が認

められます。





   城址公園内の溜池


 かつては荒川の流れもすぐ

近くを流れていて、この池は

外堀の一部だったそうです。

後ろの小山の頂上部分が赤塚

城の本丸跡になります。






   城址南側の谷戸


 美術館前交差点から西に延

びる谷で、城址の丘と南隣の

高台を区切る浅い谷になって

います。谷に沿って丘の上に

延びる道は狭間道と呼ばれ、

頂上付近が城址南端の堀切跡

になるようです。 (注1)



注1・・・赤塚城の範囲については、狭間道の南側の乗蓮寺境内の丘を二の丸跡とする説もあ

    ります。それは南側の丘の上に千葉氏の守り神の妙見堂が奉られていたからです。しか

    し北側の丘をまとめて一の曲輪とするのは無理があるようで、地形的に見ると説明板の

    ある本丸広場と南隣の梅林は一体となっていますが、南西の農園の部分は独立した曲輪

    になっていたと思われます。となると、さらに南の乗蓮寺の丘に曲輪があったとしても

    それは三の丸以降の曲輪になるものと思います。



    アクセスガイド


  赤塚城址・・・地下鉄都営三田線 西高島平駅より南に徒歩約600m






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