UKを知ろう


ノルマン・コンクェストの副産物


司馬遼太郎先生の3回忌が近付いてきました。昨年会社のOB誌 (平成9年1月号)
へ寄稿したものですが、先生の含蓄深いお葉書を皆様にご紹介いたします。

(原題)司馬遼太郎先生のお葉書

司馬先生が急逝され一周忌を迎える。
先生は碩学田中美知太郎先生が亡くなられた後、「文芸春秋」の巻頭随筆を長らくご担当
され、その名文章は「文芸春秋」を魅力ある雑誌にしていた。

平成4年4月号に「馬」という題で、騎馬軍団の用兵の記事が掲載された。文中「・・・
騎兵の集団運用の戦例は、ハンニバル将軍がローマ軍の右翼を砕いた例をのぞくと、近代
ではフリードリッヒ大王とナポレオンの戦例があるだけである・・・」という個所に、私
はちょっと引懸った。
浅学菲才を顧みず、「ノルマンディ公ウィリアムによるノルマン・コンクェストもまた騎
馬軍団の見事な成功例であると思う」と私見を書き、私家本を添えた。
折り返し、肉太の万年筆を使って青インクで書かれ、随所に推敲されたままの直筆のお葉
書を頂いた。

お手紙および御著「見よ、あの彗星をーノルマン征服記ー」を頂戴し、ありがとうござ
いました。
大変おもしろく拝見しました。英語の中で70%もフランスからの借用語を
入れさせて英語を豊富で暢達なことばにしたのは、この征服の副産物であっ
たでしょう。
右、御礼のみを。
4月7日



簡潔ながら通りいっぺんの礼状ではない。深く内容に立ち入った真摯な自筆の返書に感激
するとともに、ずしんと脳天を殴られるほどの衝撃を受けた。
恥ずかしい話であるが、「暢達(ちょうたつ)」という表現を広辞苑でひいた。
司馬文学の域に至るには、簡潔で豊かな日本語の表現を自由自在に駆使できるようまだま
だ勉強が必要と、深く自省した。

ノルマンディ公ウィリアムの前半生は、織田豊臣徳川の戦国絵巻きにも似た劇的な面白味
がある。
一方後半生は血族の人間関係に冷たい隙間風が吹く。
功労はあるが野心家の異父弟を幽閉し、愛妻には離反され、嫡男との闘争により敗死する
という悲劇的終末である。

しかし渡洋征服したイングランドには、自らの理想とする国家を建設するという事業は、
見事に成功させている。
非情に徹した反乱制圧、家畜に至るまで調べ上げた課税資産台帳ドウムスディ・ブック
の作成、荘園制度による統治、ノルマン風城塞の構築、カンタベリー大寺院を頂点とする
教会勢力の把握などの手を打ち、現英国王朝の礎を創りあげた。

私家本後半の主題をウィリアム征服王の事業欲と人間性の相克に置いてみようと思ってい
たが、司馬先生に、コミニケーション・ツールとしての「英語」の成立という、さらにス
ケールの大きな副産物を指摘された。


今や英語は英連邦五十数ヶ国十数億人の公用語であるのみではない。多くの国際会議の言
語である。更に、インターネット時代の現在では、世界の殆どのホームページの共通の言
語となっている。(私を含め、日本のホームページの大部分は日本語であるけれども)
この英語成立の原点は、ノルマン・コンクェストにあったのだ。



イングランドがノルマン・コンクェストによってもフランス語圏とならず、どのようにし
独自の「豊富で暢達な英語と文化」を作り上げていったのか。
流石に外語出身の司馬先生である。経済畑の私に面白い大きな課題と謎解きの示唆を与え
て下さった。

ご訃報を知った日、私はこのお葉書を額に納め、壁に飾った。
挽歌二首

ノーブレスオブリージを武士像に描きし巨星梅の香に消ゆ

(注)ノーブレスオブリージとは「高い地位に立つ者の負う重い責任」という
   欧米エリートの基本的心得

国会の論戦虚し国憂う司馬師は逝きて雪降りしきる   合掌


ノルマンの征服は一英雄の国盗り物語や、ゲルマン民族大移動の終幕だけではなかった。
司馬先生が指摘されたように、多民族統治のため「英語という副産物を生んだ」言語情報
革命の開幕でもあったのだ。

私は、インターネットにホームページを開設したが、この英語訳が今後の課題である。


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