晴耕庵の談話室

NO.80



標題:ロバート・ザ・ブルース王とスコットランド王室騎士団(3)

REPORT

2002/9/5

ロンドン憶良様


日本でのメイスンの理解について

日本ではなかなか難しいところですね。かつては、東久邇宮稔彦さん
や鳩山一郎さんといった方たちもメンバーでした。今はモーツァルト愛
好家の湘南の文化人さん(一応メイスンにおいては、本人の了解なし
に他の方がメンバーであることを広言するのはエチケットに反するこ
とになっておりますのであいすみません。)や、今が旬の有名な作詞
家さんらがいらっしゃいますが。

日本でメイスンが一番表にでているのは、年末の全国でのベートー
ヴェンの第九(合唱の部分のシラーの詩がメイスンのために作られ
たもの)の演奏会か、はたまた、ケンタッキー・フライド・チキンのカー
ネル・サンダースおじさん人形が、子供たちのためのメイスンの無料
病院のバッジ(ロータリーのバッジの下の三日月と剣のデザインのも
の)をつけていることぐらいでしょうか。

一応、日本のグランド・ロッジ(メイスン本部)もホーム・ページをもっ
ていて、建物内の写真等を載せているんですが、構成がなんとも今
ひとつなんですよねぇ。私が言うのもなんなのですけれども。

  
王室とフリーメイスン

現在、基本的にメイスンリーが王室とむすびついているのは、英国と
北欧3王国とヨルダンだけですね。北欧3王国ではイングランド同様、
国王、もしくは君主が女王の場合は皇太子がメイスンリーのグランド・
マスター(総長)を務めるのが伝統になっていますし、貴族階級とも
不可分に結びついています。
(例えば、本稿のスコットランド王室騎士団以外には、もう一つ、フリ
ーメイスン会員のみに授与される国家勲章(勲爵士位)として、スウェ
ーデン王国のカール13世騎士団勲章があります。)


アメリカの独立と共和制に寄与したフリーメイスン

かたや、共和制の国においては文字通り、”自由・平等・友愛”といっ
たかんじですね。こうした国々の一部では逆に、メイスンになることが
逆にステイタス・シンボルになってしまうという皮肉な現象もおきてい
ます。(南米やフィリピンなど。) 

一方、米国やフランス、あるいはイタリアではそもそも、建国自体が
メイスンによってなされたのだ、という強いプライドがメンバーの中に
現在もあり(実際、ボストン茶会事件自体、ボストンにあったスコット
ランド傘下のメイスン支部「聖アンドリュー・ロッジ」の会員たちが夜中
にロッジに集合してインディアンに変装して英国の船を襲ったという
のが実情です。

(彼らの支部のその夜の議事録が今も残っていて、出席した会員の
うち、”もう一つの方のお茶会”にまわった面々の署名のよこにはア
ルファベットの”T"が添えられているんですよ。
”Tea”=Tというわけで、彼らとしては半分本気、半分は冗談で英国
船から茶箱を海に捨てにいったつもりが、結局、独立戦争のきっかけ
になってしまったといったところなんでしょうね。)
ジョージ・ワシントン以下建国の父と呼ばれる人たちはベンジャミン・
フランクリン含めほぼ全員熱狂的なメイスンでした。

昔、高校の世界史の教科書を見ていると、どうしてアメリカ独立戦争
なんかに、フランスからラファイエット侯爵や、ポーランドのコッシュー
トなんぞが義勇軍としてかけつけてきたんだろうか、さっぱり、わから
なかったのですが、要は、これ、フランクリンの呼びかけに応じてやっ
てきた”メイスン軍”なんですね。

当然、アメリカ人の中ではこのあたりの事情はよくも悪しくも常識にな
っていて、19世紀の一時期、共和党・民主党に加えて第三の政党と
して、その名もずばり「反メイスン党」というのが躍進したことがあった
ぐらい、アメリカでのメイスンというのは日常的なものです。

当然、歴代の大統領の半分も会員だったわけですが、最近(カーター
以後)は大統領選で負けた方の候補ばかりがメイスン会員ですから、
おもしろい。
もっとも、クリントンさんはメイスンのボーイ・スカウトである「ディモレ
ー騎士団」では現役時代もOBとしてもかなり熱心だったのですが(フ
ィリピン訪問時には、公用をすっぽかして当地のディモレー騎士団か
らの歓迎会に出席していて大問題になった)、例のモニカ・ルインス
キー嬢との痴話の一件のときに、「心も体も清潔であるべきディモレ
ー騎士団の理想に甚だ反する、子供たちのためにならない」との理
由で永久追放されてしまいました。

ともあれ、現在、アメリカでは各州ごとにメイスンの総長がいて、それ
ぞれ任期1年で交代するので、運営は極めて民主的に行われている
のですが、いわゆる”高位の”メイスン階級については終身の最高会
議総司令に統括されていて、現在は、元NASA長官のフレッド・クライ
ンクネットさんがつとめていらっやいます。クラインクネットさんは、ア
ポロ計画を指揮した元NASA長官なのですが、大胆な人で、メイスン
に熱心なばかりに少々いわば職権を乱用して、アポロ宇宙船にメイ
スンの旗をのせさせて、月面に置いてこさせてしまったり (だから、
「静かの海」かどこかには今でもメイスンの旗がフワフワしているは
ずです)、あげくには、メイスンの活動に専念するためにNASA長官
をやめてしまったり、と少々変わった人なのですが、会ってみたら長
身の典型的なジェントルマンでした。

--- このあたりについてや、壮大な最高会議の建物(連邦議事堂と
一緒にその隣につくられた。通称「テンプル騎士団の家」)のインター
ネット上擬似見学ツアーについては、ホーム・ページがあって、上の
日本グランド・ロッジのものとは全く異なり、かなり面白い内容になっ
ていますので、お時間があったらどうぞ。(ちなみに、日本のメイスン
も、神戸及び横浜のスコットランド及びイングランドのロッジをのぞけ
ば、歴史的にはアメリカ系で、極めてオープンです。)


マイケル・コリンズとメイスンのF.C.事務局長について

私自身、マイケル・コリンズの大ファンなので、ことアイルランド問題
については(スコットランド独立問題についてもですが)、どうしても
感情的に反イングランドに傾いてしまいます。個人的には関係ない
ので良くないな、と思いつつも、IRAが暗殺したマウントバッテン伯に
未だに執着しているチャールズ皇太子などを見ると、ムラムラと怒り
がこみあげて............いけない、いけない。

ともあれ、F.C.氏自身、実におもしろい、かつ、本当の尊敬に値する
人で、叩き上げで将官かつ極東地域米軍人事部長にまでなっった方
でありながら(否、それだからこそかもしれませんが)、忙しい仕事か
ら抜けられる週末には、「関東ピエロ・クラブ」の主宰者として、顔を白
く塗りたくってピエロの扮装をして、老人ホームや肢体不自由児のた
めの施設をまわっているのです。もちろん、アメリカ軍C将軍としてで
はなく、「ピエロのF君」として。

スコッツの騎士R.S.氏の人物像

彼は、いわゆる日本フリークの枠に収まりきらない方ですね。ただ以
前も申しましたが、日本人の我々からすると、西洋騎士道に比してあ
まりにも現存する武士道を過大評価、というより、過剰なロマンを持っ
てしまっているような気はしますが。 何はともあれ、やはり、ハイラン
ド・スーツのしっくりとくる方です。
ちなみに、R.S.氏の男爵としての領爵地名は.........すみません、忘れ
てしまいました。なにしろ、本人はエディンバラ市内にすんでいて、彼
自身、自分の領爵地名になっているところには実際には行ったことも
ないし、土地ももっていないそうなので...........。これが、現在の典型的
な大英帝国貴族の実態といったところでしょうか。


フリーメイスンに身分は無関係です

私のようなものが入っているのですから、フリーメイスンの面々に"身
分”は全く関係ありませんよ(笑)。というより、(イングランドでは多少
事情もちがってくるのでしょうが)基本理念からして、世俗の肩書、国
籍、宗教ないしは政治的信条を超えて義兄弟として共に手をとりあっ
てやっていこうと言うのがそもそもの存在目的なので、身分云々を言
い出すと自己崩壊しかねないのです。だからこそ、私のような若輩者
(おなかの出はじめた中年男が、あまり若輩、若輩、というと、もうお
前はそんなに若くはないぞ、といわれそうですが)でもエルギン伯や
元NASA長官さんと時には夜を徹してでも話ができるわけですし、そ
れがメイスンの醍醐味といったところでしょうか。

私自身、メイスンになったのは大学二回生の時で、京都の支部の最
長老は、後に浄土宗の大僧正になられるのですが当時は袈裟を着
るのがいやで逃げ回っていた仏教大学の先生で、「君は京大の哲学
か、ならば、単位は湯水のように取れるし、とりあえず卒論まではも
のすごく暇だろう、今のうちにメイスンに入りなさい(本来、メイスンは
本人の自由意志絶対主義の立場から、勧誘行為を禁じられているの
ですが............。)、という流れの中で最低年限の20歳でメイスンにな
っていました。

ともあれ、それとは別にスコティシュ競技大会自体は次回も関東のど
こか(失念しました。もうしわけありません。)で行われるので、詳しい
日程、場所等について親分のP氏に今度きいておきます。(彼は日大
の英文学の教授なんですが、講義の始まる来週まで、生地のアメリ
カ・カンザス州の山の中(というと、本人はものすごく怒るのですが)に
帰っていますので。)あらためて、お知らせ申し上げます。
 

メイスン本部の見学について

基本的にメイスンの建物の多くは一般に公開されていますし、ロンド
ンのグレート・クイーン・ストリートにある英国本部や、前述のアメリカ
連邦議事堂横の最高会議「テンプル騎士団の家」にいたっては、一
日に三度、一般の方のための見学ツアーを行っているほどなのです
が、東京タワー横の日本本部については、十数年前に右翼さんの街
宣車が玄関に突入しようとしたり、どこぞのテレビ局の「電波少年」と
いう番組の松村邦洋なるタレントが夜中に無断で忍びこもうとしたり、
といったことがあって以来、オート・ロックになってしまいました。

もっとも、身元がはっきりしていて、しかも目的に他意のない場合に
は、いつでも、会員でなくとも会員の同伴でいつでもウェルカムです。
ただ、英国等のように専用のガイドを雇っていないので、会員の案内
になります。
メイスン関連のもの以外にも、会員が遺したレジョン・ド・ヌール勲章
等も収蔵されていたり、建物自体の礎石も古代イスラエルのソロモン
王時代の石切り場跡から切り出した特別な石を使っていたりと、ちょ
っと、他では見られないものもあります。


メイスンについての参考書籍

メイスンについてはもう少し一般に良い書物があるとよいのですが、
日本語のものでは難しいですね。むしろ、原書にあたった方が早い
のかも知れません。
日本語のものとしてお勧めできるのは、モーツァルト関連のものの多
くがあります。
(国立音楽大学の学長だった故・D.A.先生が熱心なメイスンだった関
係で彼のお弟子さんであるT.E.現同大学園長や同じくA先生らモーツ
ァルトの専門家には、全面的に日本本部の収蔵資料を提供させてい
ただいていたので、モーツァルト関係者の方の御著作中のメイスンに
ついての記述はまず信頼できます)

それから、去年、絶版となってしまった好著としては、筑波大名誉教
授の綾部恒雄先生の「アメリカの秘密結社」(中公新書)他各社から
の御著作、日本グランド・ロッジ元グランド・マスター・山屋明さんが一
般むけのとっつきやすいイントロダクションとして表した「日本のフリー
メイソン」(あさま童風社・刊)、それから、若干の不正確さはあります
が、柏書房から出ている「秘密結社の事典」があげられると思います。

私家版としては、日本グランド・ロッジの現広報委員長である片桐三
郎さんの一般向けの労作である「フリーメイスンのあゆみ」(ちょっと、
ボリュームがありすぎるのが難点でしょうかね)があます。よくもあし
くも、かなり専門的な部分(シンクレア家によるスコットランド世襲グラ
ンド・マスター制度問題やクリストファー・レン等)まで扱っているのが
特徴です。

スコットランド王室騎士団についてのまとまったホーム・ページが見つ
かりました。騎士団のコート・オブ・アームズもしっかりでており、ちょ
っと若いロバート・ザ・ブルース王のお顔も。

長々とお便り申し上げてしまい、誠に申し訳ありません。お暇がおあ
りになりましたら、また、おつきあいくださいませ。


                      Y.H.,PhD,ThD,





THANKS

2002/9/9

Y.H.,PhD,ThD,様

先日はフリーメイスンについて詳細なご説明ありがとうございました。

とりわけアメリカの独立時のエピソードや歴代大統領などの話は私
だけでなく、多くの日本の方が興味深く読むと思います。

週末に暇をみては福祉施設でピエロを演じるような将軍は、帝国陸
軍にもいなかったし、今の自衛隊にもいないでしょう。
元NASA長官のフレッド・クラインクネットさんの月面にメイスンの旗を
残したエピソードも面白いですね。

彼らは高官としての職責はきちんとこなしながら、なにかユトリやユー
モアを感じます。
私が『ロンドン憶良見聞録』のエピローグで心の「ゆとり論」を取り上
げたのは、まさにこの点です。

クリントン元大統領は、女性問題で失脚しましたが、私は彼の業績を
評価しています。北アイルランド問題が収束に向かって大きく進展し
たのは、ブレア首相とクリントン大統領(当時)の連携が大きいと思い
ます。
北アイルランド問題は数百年のケルトとアングロサクソンの民族抗争、
カトリックと英國国教の宗教戦争、侵略と収奪の帝国主義、富者と貧
者の戦争でした。
ブッシュ大統領の器量では解決できなかったと思います。

小泉首相には忙中にも閑ありというような、心から音楽を愛している
「ゆとり」が見られます。宰相としてこの「ゆとり」を持って判断を下し
てもらいたいと期待しています。

メイスン関係の参考書多数ご紹介頂き、ありがとうございました。
HPの来訪者にも多いに参考になると思います。

天才建築家クリストファー・レン卿の偉業については『ロンドン憶良見
聞録』中「 百年の計」で紹介しましたが、彼もまたメイスンでしたか。
メイスンの歴史からみますと、建築家の彼がメイスンであったというの
は納得できますね。ロンドン訪問者の為にもレン卿の設計した50余
の教会はHPで紹介したいと思います。
ロンドンを離れる時英人顧問(BOEのOB)から「LONDON CITY
CHURCHES」という本を記念に頂いていますので、片桐さんの著書で
Wren卿のことが分かれば何か書けそうな予感がします。


ではまた


                      ロンドン憶良


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