晴耕庵の談話室

NO.52



OPINION & QUESTION

2000/9/1
標題:ノルマン人の歴史に興味(2)


ロンドン憶良様


貴重な情報ありがとうございました。さっそく先方に本の検索を
依頼しました。

8月20日にメールを送っていただきながら、ご返事が遅れて申
し訳ありません。実は8月19日から30日までフランスに出掛け
ておりまして(私事ですがモンブランに登ってきました)、今にな
ってようやくその間に届いていたメールを確認している次第です。

私は現在、Ian W.Walker氏の「HAROLD The Last Anglo-Saxon
King」を読んでいます。今まではフランス人の歴史家達が書い
たノルマン史を中心に読んでいましたので、イギリス人である氏
の視点は新鮮です。
フランスでは割とバイユーのタピスリーを素直に解釈し、エドワ
ード王が1051年にウイリアムに王位継承の約束をしたことや、
1064年にハロルドがその約束を再確認するためエドワードに
派遣されてノルマンディーに渡ろうとした場面には特に疑問を
挟まず、どちらかというとノルマン・コンクェスト後のイギリスがい
かにフランスの影響を受けその後発展していったかを説明する
のに力点を置いているように思えます。

ハロルドは常に裏切り者のイメージですね。Walker氏の考察の
中で私が興味を引かれる点は、ハロルドが1064年にドーバー
を渡った理由について

(1)釣りに出掛けて流された。(William of Malmesburyによる)
(2)大陸の何処かの諸侯と政略結婚の密約を結ぶため
(3)ノルマンディーに人質となっていた弟Wulfnothと甥Hakonを
  取り戻すため(Eadmerによる)
の3点を挙げています。

憶良さんの著書では(1)の筋で展開しておられますが、素朴な
疑問ながら、当時貴族が釣りに出掛ける趣味があったのでしょ
うか。私はまだまだ中世の風習について不勉強ですのでなん
とも判断できません。
もしこの点についてご存知の事例がありましたら教えていただけ
れば幸いです。

また(3)の説は、ハロルドの立場を考えればあまりにリスキーな
行為です。

では(2)の場合は、一体誰と誰の婚姻の為なのか。
Walker氏の挙げる可能性として
(a)ハロルドとウイリアムの娘アガサ
(b)ハロルドの妹Aelfgyvaとノルマン人の誰か
(c)ハロルドの妹Aelfgyvaとノルマン以外の大陸諸侯

この場合、タピスリーの場面15「CLERICVS ET AELFGYVA」
のAelfgyvaが、一体ハロルドの妹なのかウイリアムの娘なのかに
よって解釈が分かれるでしょう。バイユー市によるタピスリーの解
説では(a)になっています。ただこれもハロルドにとってリスキーな
行為です。
この婚姻の受諾を理由に仮想敵国に乗り込むほどハロルドは単
純な人間でしょうか。そのついでにウイリアムのイングランド王位
継承を無理やり飲まされるのは目に見えています。

私の意見としては、(c)がもっともらしいのではないかと思います。
ただ結果的に目的地に着く前にウイリアムの客人(=捕虜)になっ
てしまい、ウイリアムの王位継承の宣誓と彼の娘との結婚を強要
されたのが実情ではないかと想像します。
もっとも何処の誰と同盟しようとしたのかは永遠の謎ですが。

かなり長くなってしまいましたが、ここで改めて自己紹介をさせて
ください。

1964年兵庫県生まれ。
私は実は大学での専攻は物理学でして、卒業後はシステム・エ
ンジニアとして働いておりました。2年前に11年働いた職場を辞
め、チュニジアにアラビア語の留学のため1年間滞在しました。
その後、昨年の10月にフランスに渡り、フランス語とフランス中
世史を独学しました。

今年の4月からはイギリス、スコットランド、アイルランドとノルマン
キャッスルを見て回り、この7月に帰国しました。
今は滞在中に購入した本の整理に手一杯でまだこれからの針路
を決めるにはいたっておりません。
希望としては元来好きだった歴史にかかわった仕事で食べてい
ければこんなに幸せなことはありません。
現在は兵庫県の実家に滞在しております。

また私なりの疑問が出ましたらお聞きするかと思います。よろしく
おつきあいください。

                                  F.M.



REPLY

2000/9/13


F.M.様

私は9月1日より12日まで九州に旅していましたので、今日13日
にメール拝見しました。
絶版本専門の古本屋が御役にたてば幸甚です。

ノルマン・コンクェストの面白みは、単にウィリアム公だけでなく
ハロルド伯やハードラダ王などの英傑が、波乱万丈の人間的
絡み合いをしていることだと思います。

特にハロルドがウィリアム公の捕虜になるという予想外の展開
は、大きなポイントになります。
貴君のご意見興味深く拝見しました。

私は
釣りに出掛けて流された(William of Malmesburyによる)説と
ローマ巡礼説(ウェールズ王グリューフィドの鎮魂)を絡めて
構想をまとめました。
その他の説とともに、私見を拙著(昭和56年版)の「あとがき」に
書きましたが、他の方の参考にもなろうかと思いますので、「あと
がき」を「参考文献」とともに近々追加アップロードする予定です
ので、ご覧下さい。

私はサラリーマンのサンデー・ライターとしてノルマン・コンクェ
ストを小説化しましたが、学問的に研究されるのであれば、西宮
の大手前女子大の「アングロノルマン研究所」は蔵書が揃って
います。
いちど訪問されてはいかがでしょうか。ノルマン文化研究をされ
る学徒として歓迎されると思います。

                     ロンドン憶良


THANKS

2000/9/15


ロンドン憶良様


大手前女子大にそんな研究室があったとは驚きました。
西宮市なら私の家から2時間くらいですので、ぜひ伺いたく思い
ます。連絡先を教えていただければ幸いです。
いつもいろいろありがとうございます。

                           F.M.


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