晴耕庵の談話室

NO.48



REPORT

2000/Aug/20

標題:「返還されたスクーン石は贋物」説


ロンドン憶良さん


先日は我が家のHPにリンクいただきどうもありがとうございます。
これからもよろしくお願いします。憶良さんのところのように英国
全体の話題を扱うサイトで、スコットランドなどイングランド以外
の地域の事情を大きく取り上げていることは、とても重要だと思
います。

憶良さんのサイトの「スクーンの石」に関するページを興味深く
読ませてもらいました。この石が1996年、700年ぶりにスコットラ
ンドに返還されたことは、本国スコットランドでも当然当時大ニュ
ースとして取り上げられました。サッチャーとブレアの間に挟まっ
て、任期の長さの割に影が薄かったメイジャー首相ですが、少な
くともひとつは歴史に残ることをしたということになるでしょう。

さて、憶良さんは「返還されたスクーン石は贋物」説というのをご
存じでしょうか。
1996年の返還前にローカルテレビでドキュメンタリーをやったり、
その後スクーン石の歴史に関する本が出たりして、少なくともス
コットランドではかなりよく知られた説です。贋物説には大きくわ
けて2つの系統があります。

1つ目は、憶良さんも書かれている1950年の学生によるスクーン
石盗難事件の際、本物は隠したままコピーを返したのだというも
の。
確かにあれだけのことをやってのけた人たちが、地元住民の圧
倒的なサポート・協力にもかかわらず最後はおとなしく石を当局
に引き渡したというのはちょっと解せません。そのため「結局は
愉快犯か」などと叩かれたわけですが、時間的にもコピーを作る
ことは可能だったし、その技術がある人とのコンタクトもあったよ
うです。
すっかり映画スターになったロバート・カーライル主演のBBCの
人気ドラマ"Hamish MacBeth"(「マクベス巡査」のタイトルで、日
本でもビデオが販売されているとか)で、このスクーン石を扱うエ
ピソードがありましたが、これはこちらの説にもとづいています。

2つ目の説はもっとすごくて、そもそもエドワード1世が奪ってい
った石が贋物だったというもの。状況証拠はいくつか挙がってい
ます。

■古い玉璽でスコットランド王がスクーン石に座った姿を描いた
ものがあり、その石のサイズや形が今の「スクーン石」と全く違う。
「表面に彫刻がある」といった描写も残っているらしい。

■イングランド王国は、スコットランド王国の独立を認めるエディ
ンバラ条約の締結後、「あの石、返しましょうか」と聞いてきたと
いう。ところが何とロバート・ブルースは「いや、いらないよ」と答
えた。本物ならそんなことを言うはずがない。

■ロバート・ブルースはこの条約締結後安心したかのように病死
したのだが、死に際に忠実な戦友を集めて遺言を残したとの伝説
が残っている。この戦友の1人はLord of the Islesと呼ばれるスコ
ットランドの海の支配者で、伝説によるとブルースはこの人に「ス
クーン石の保管」を委託したのだそうだ。いらないと言った石の話
であるはずはないから、本物がスコットランドに残っていて、それを
託したのだとしか考えようがない。

さらにこの2つの説を組合せ、今のスクーン石はエドワードの贋物
のそのまたコピーなのだという人もいます(作家の故ナイジェル・ト
ランターもその1人でした)。

前述したスクーン石の歴史の本(タイトル失念しました、申し訳ない)
は、エドワードが贋物を持ち帰ったなら本物の石はどうなったのか
と、それらしい石の話をいろいろ集めています。
かいつまんでみると、

■中世史愛好家にはおなじみのテンプル騎士団(Knights Templar)。
スコットランドにはこの騎士団に縁の深いシンクレア家という一族が
います。このシンクレア家は独立戦争の際ロバート・ブルースに味
方しており、バノックバーンの戦いにもテンプル騎士団が加わって
いたのではないかという研究者もいますが、このシンクレア家の墓
所に何やらいわくありげな石が大切に守られていると言われてい
ます。

■前述のLord of the Islesの直系子孫であるマクドナルド家(スカ
イ島にクラン・ドナルド・センターというのがあるように、あの辺りの
海域及び対岸のハイランド地方はマクドナルド氏族が強い)が、伝
説の通りブルースに託された石をきちんと今も継承し、守っている
と主張しているのだそうです。
その所在は当主以外には明かされない一族の秘密ですが、保管
している石については「真っ黒で表面が滑らかな大きい石で、彫
刻が施されている」とか。

■ヴィクトリア女王の時代にパース近郊の山中で地滑りがあり、
直後にその辺りを見に行った地元住民が、それまで隠れていた
洞窟を見つけ、中に「彫刻で覆われた大きな白い石」を見つけた
というので大騒ぎになったそうです。これは当時の新聞にも載っ
ています。その後イングランドの研究者がこの石を調査すること
になり、石は運び出されたというのですが、不思議なことに実際
に調査があったという記録はまったくなく、石の行方についても
その後分らなくなってしまっています。

このうちのどれかがスクーン石なのか、それともどれも別物なの
か、著者も話を集めただけで推測はしていないし、立証のしよう
もありませんが、実に興味深い謎ではあります。

返還された「スクーンの石」は議論の末エディンバラ城に納めら
れ、スクーンには今まで通りコピーが置かれていますが、実はエ
ディンバラ城の石も同じくコピーでしかないのかも?
トランター氏は生前冗談交じりに「700年も歴代イングランド王の
尻に敷かれて、コピーではあってもありがたみはかなり増したか」
と書いていましたが。

長いメールになってしまいすみません。それではまた。

              Y.H. in Scotland より


Y.H.様

メールありがとうございました。

私は親英ですが、あくまでも客観的に是は是、非は非
の姿勢で行きたいと思っています。
現地の生活から参考になることを、今後ともよろしく
お願い致します。

スクーンの石についての詳細なレポートありがとう
ございました。
700年もの間、なんとか取り戻そうと努力した
スコッツの熱意は、日本民族にはありますかどうか。
それに、スクーンの石にお尻を乗っけるイングランド
の王家や、怪盗まがいの愉快犯。
結構ユーモアがありますね。
「偽スクーンの石」論は大変面白く、多くの来訪者の
興味を引くと思います。

           ロンドン憶良


ロンドン憶良様

お返事ありがとうございます。

> 700年もの間、なんとか取り戻そうと努力した
> スコッツの熱意は、日本民族にはありますかどうか。

だいぶ以前の選挙(労働党側党首がまだジョン・スミスだった頃?)
中の話だったと思うのですが、テレビがスコットランドのどこかで街頭
インタビューをやりました。
ジョン・スミス(ハイランド出身のスコットランド人)はスコットランド自治
を公約に掲げていましたので、それについての質問だったのではな
いかと思いますが、答えた街角のおじさん曰く、
「俺たちはエドワードがベリック(Berwick-upon-Tweed)の町でした
ことを忘れていないからな」。
もちろん、エドワード1世が見せしめとして、ベリックの町の住民を女
子供まで含めて虐殺させ、しかも累々たる死体の埋葬を許さず腐乱
するにまかせたという事件のことです。
このおじさんが直接覚えているという話ではもちろんありませんが、
「民族の記憶」というのでしょうか。すごい執念だと脱帽しました。

> 「偽スクーンの石」論は大変面白く、

スコットランド人以外はなかなか知らない話題ではないかと思います。
この説を知った上であの石を見ると、また違った印象が生まれるので
は?

なお、独立戦争に関する話題として、私のHPの「スターリング旅行
ガイド」に、スターリングとバノックバーンの2つの合戦に関する話題
を掲載しました。興味がありましたらのぞいてみてください。
ダイレクトURLは
http://members.netscapeonline.co.uk/hwhanlon/japanese/jscot/stir060.html
です。

それではまた。

                            Y.H. in Scotland より                    

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