晴耕庵の談話室

NO.36


ESSAY

2000/4/29
標題: 再訪・蘇格蘭のみち


ロンドン憶良様

ご無沙汰しています。いつぞや、「この国のなまえ」という小文を
アップロードして頂いたSY(ロンドン在住)です。職場の仲間内
の雑誌にスコットランドの話を載せましたのでお送りします。
ロンドン生活もそろそろ転勤の噂が気になる頃になってきました
が、できるだけ長くいたいと思っている今日この頃です。


再訪・蘇格蘭のみち

「夕空晴れて秋風吹き、月影落ちて鈴虫鳴く」―――我々の世
代には懐かしい小学唱歌「故郷の空」の一節である。
かつてドリフターズというグループがこの名歌に「誰かさんと誰か
さんが麦畑・・・」と、以下記すのが憚られるような不謹慎な歌詞を
つけて台無しにしてしまった。―――と、当時思っていたのだが
これは全くの誤解であった。

「故郷の空」の元歌はスコットランド民謡、coming through the rye
であり、その意味はライ麦畑で逢い引きをしているカップルを見な
がら、恋人のいない若い乙女が「私だってもてるんだから」と呟い
ているというものだ。
つまり、「故郷の空」は元歌と全く無関係な替え歌であり、ドリフタ
ーズの歌こそが元歌のコミックな味わいを活かした名訳(なかにし
礼氏)であったのだ。

この歌には格別の思い出がある。10年以上前米国に住んでいた
頃何故か猛烈にスコットランドに行きたくなり、夏休みに遥々大西
洋を超えて家族旅行を決行したのだ。
安売りチケットでロンドンに行き、「Flying Scotsman」という何とも
Scottishな名前の列車でエディンバラに到着。
そこからレンタカーをしてエリカの(彼の地ではheatherという)薄紫
の花咲く原野を思う存分走り回った。

この旅に2つのカセットを持参した。当時「日本のうた」で一世を風
靡していた鮫島由美子の「庭の千草」と、ソプラノの大御所キリ・テ・
カナワの「イギリス民謡集」である。いずれも英国・アイルランド各地
の歌を前者は日本語、後者は原語の歌詞で歌ったもの、いわば
「英国民謡東西対決」としゃれ込んだ訳だ。

結果的にこれは旅に何とも言えない味わいを付け加えることになっ
た。特にスコットランド民謡のメロディーは耳に心地よく響き、運転が
覚束なくなることもあった程だ。
面白かったのは、「故郷の空」のような替え歌の歌詞の方が元歌より
も同地の風景にマッチしているようにさえ感じられたことである。

司馬遼太郎氏のいう「明治という国家」の進路を決定づけた岩倉遣
欧使節団が英国を訪問した折、産業革命全盛期のロンドンやマンチ
ェスターの熱気に圧倒された後、「蘇格蘭」の地に祖国に通じる風景
と安らぎを見出したという。
これが日本人のスコットランド体験の原点となり、数々の小学唱歌に
スコットランド民謡が取り入れられる素地となったのだろう。
そしてそれらの歌は岩倉使節団の帰国後、「文明開化、富国強兵」
路線を突っ走る自国の姿に一抹の不安を感じていた人々の共感を
呼び、いつしか日本人自身の心のうたとなっていったのではないか。

真夏の夜を彩ったエジンバラ城のTattooパレード、地の果てを思わ
せるスカイ島の異様な風景、ネス湖の湖畔で「ネッシーが出るまで帰
らない」と言い出し手を焼かせた息子達―――この旅の印象が強す
ぎたこともあって、今回お膝元の英国に住むようになってからもスコッ
トランド行きをながく躊躇っていた。

グラスゴー大学で日本経済に関する講演を依頼され、10年ぶりに訪
れた彼の地には季節柄heatherの花はみられなかったが、スコットラン
ド版「二都物語」のエジンバラとグラスゴーを結ぶ1本道を車で走りな
がら、「年たけてまた越ゆべきと思ひきや」との感慨を禁じ得なかった
のである。

グラスゴー大学の「アダム・スミス・ビル」という格調高い名の校舎での
講演で使った「スコットランドは日本人にとっても心の故郷」という言葉
はそうした思いから自然に出たものであった。

講演の前後、同大日本センターの戸田所長と取り止めのない話をし
て時間をつぶした。戸田氏はもともとジャーナリストだったが、ふとした
きっかけでこの大学に籍を置き、以来当地と日本との掛け橋に徹して
こられた。
スコットランドの歴史、「故郷の空」の元歌を作った詩人ロバート・バー
ンズ、グラスゴーを世紀末芸術の発信地に押し上げた建築家マッキン
トッシュといった当地出身の芸術家についてひとしきり解説された後、
戸田氏がやや声を落として言われた。
「残念ながら、日本での知名度でグラスゴーはエジンバラに大きく水を
空けられています」。

確かに古城を含む街の景観、夏の芸術祭の賑わいといった点でエジ
ンバラの優位は明らかだ。しかし、グラスゴーも文化的な都市再開発
のモデルとして近年急速に浮上してきている。
市の内外に点在するマッキントッシュの作品は、都市と建築家の幸福
な組合わせという点でガウディのバルセロナに匹敵する貴重な財産だ。
さらに同氏の建築に明らかなジャポニスムの影響は、先に述べた日本
とスコットランドとのユニークな結びつきに通ずるものがある。私はそう
した感想を述べ、戸田氏にというより独り言のように呟いた。

「いずれこの街にも日本人観光客が押し寄せるようになるのでしょう。
もっともそれが本当に良いことかどうかはわかりませんが・…」。

今回の慌しい日程では岩倉使節団の郷愁を誘った「蘇格蘭」の真髄、
ハイランドに足を伸ばすことは叶わなかった。
余韻を残した旅もまた楽しからずや。ロンドンへの機上から遠ざかるグ
ラスゴーの灯を眺めながら、ふと口ずさんだのはいうまでもなくロバート・
バーンズが作詞し、世界中で親しまれているあの歌の一節であった。

For auld lang syne, my dear,
For auld lang syne,
We'll take a cup o' kindness yet,
For auld lang syne. 

                              SY in London
 

SY様

メールありがとうございました。
スコットランドに関する格調高いエッセイ拝見しました。
アメリカからご家族旅行されました由、その思い入れの深さに敬服しま
した。
ケルト民族の歴史・文化・芸術の深みは、なにか共感をひくものがある
のでしょうか。

先週沖縄に一週間旅してまいりました。
琉球王国の歴史や人々の感性に、ふとウェールズを思い出しました。
突然短歌が湧き出しましたので、「短歌紀行」のような形で沖縄の自然
と人と国際関係の歴史をまとめてみたいと思っています。

           ロンドン憶良


ロンドン憶良様

沖縄とウェールズというのは面白い組み合わせですね。楽しみにして
おります。小生はまだ連合王国のなかで北アイルランドに行っておりま
せん。ロンドン在住のうちに是非訪れてみたいと思っていますが、部下
や家人から「危険だから」といって猛反対されています。

                        SY in London


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