晴耕庵の談話室

NO.31


REPORT

99/4/24
標題:バトル訪問記

ロンドン憶良様

バトルにいってきました。幸い天気にも恵まれ、少々気温は低いものの快晴。
Battleは古戦場のあるAbbey前の駐車場を中心に南北に伸びたHigh Street
沿いの小さな町でした。

Battle Abbey正門で入場料を払うと日本語のAudio Guideを貸してくれます。
これが結構よくできていて、ノルマンの騎士、サクソンの戦士、それからエドワ
ード懺悔王妃エディスの三者が順路内の案内板にしたがって各々の立場か
ら解説する仕組みになっています。
ノルマン騎士が「ハロルドはうそつき」といえばサクソン戦士が「ウィリアムは侵
略者」と主張し、エディス王妃は酸鼻を極めた戦闘を切々と語る、といった趣
向です。また、両軍の武器や戦術の違いも分かりやすく紹介しています。

さて、入り口を入るとまず目に入ったのは学校(Battle Abbey School)で、第一
次大戦以降Abbeyの遺構を校舎として使っているそうです。
順路に沿って進むとまず小さな展示室。ノルマンコンクェストの背景やノルマ
ン・サクソンの服装などの展示ですが、どうもウィリアムの正統性を強調してい
るように思えたのは考え過ぎでしょうか。

展示室を出て短いビデオを見た後、いよいよ古戦場へ。現在Abbeyが建って
いるのはかつてサクソン軍が陣取ったところ、そこからなだらかな丘を下って行
きます。順路は古戦場の西北端から始まって、周囲を反時計回りにぐるりと巡
るようになっています。



そうと言われなければ、イングランドのどこにでもあるような緑の草地、小鳥の
さえずりが聞こえ、ちょっとWalkingに来ただけの様な錯覚さえ覚えます。まさ
に「兵共が夢の跡」。



ハロルドが陣取ったCladbec Hillとウィリアムが陣取ったTelham Hillとの谷間
にあたるところに小さな沼が静かな水面を湛えています。じつにのどかな日
和です。この沼地に足を取られてウィリアムの誇る騎馬兵団も苦戦したと、
Audio Guideが教えてくれます。
沼地を超えて、少し坂を登り、ノルマン軍のTelhamHillの側から見るとAbbey
の建つCaldbec Hillはやはり高く見えます。そこにずらりと「盾の壁」が並び、
その中心にWessexの竜の旗が翻えっていたのです。



順路はここからノルマン軍の突撃の跡をたどるようにAbbey(=ハロルド本陣)に
向かって登り坂、傾斜は20度強、距離は300m程度。馬に乗っていたとはいえ、
鎖帷子、兜に身を固め、槍、盾、剣を携えての登り坂の突撃の厳しさ、体力の
消耗は容易に想像できます。ノルマン軍が歩兵中心の構成であったら勝てな
かったのではないか。



今度はAbbeyから古戦場を見下ろしてみます。南に向かって実に見晴らしが良
い。ハロルドにはノルマンの動きが手に取るように見えた事でしょう。



Abbeyはウィリアムの勅令で建てられたもの、その中心にある教会(遺構)の祭壇
の位置はハロルド終焉の場所と伝えられています。Abbeyの解説書にも
"Atonement for the slaughter of conquest"とある様に、勝利の記念というよりも、
戦死者、特にハロルドの鎮魂が主目的だったのでしょう。

入場口に戻ると、売店の中をノルマンの兵士がうろついているではありません
か。子供たちと早速追いかけ、外に出たところを写真を撮らせてもらい、少し話
を聞きました。



やはり鎧兜は相当重く、膝まで覆う鎖帷子が19kg、盾(木の板を皮で覆ったもの)
が5kg、剣が2kg、これだけで併せて26kg!面白かったのは鏃。鏃だけをキーホル
ダーの様なリングに数個括りつけて腰からぶら下げているのです。これはスペア
の鏃。矢は当時は貴重品だったそうで、ノルマン軍も充分には持っていなかっ
た。実戦ではお互いに敵の射た矢を拾って射返していたそうです。

Abbeyと古戦場の見学を終わって、Battle Museumに行こうと思ったのですが、ど
ういうわけか入り口に鍵がかかっていて入れませんでした。町のInformation
Centreに問い合わせても「開いてるはずだけど」、と要領を得ず、結局ここは見
ずじまい。

High Street沿いのレストランで昼食を摂っていると、やはり古戦場を見に来た
外国人が近くのテーブルに座ってウェイターと何やら話しています。「ここの
Audio Guideは英語・フランス語・日本語があるのに私の国の言葉が無い。なぜ
だ」。どこの国の人か結局判りませんでした。前日訪れたCanterbury寺院にも日
本語のAudio Guideはありました。日本人の存在が、こんなところでも大きくな
っているのだな、と思いました。

                                 Y.N. from Bolton

PS
我が家の庭の写真も添付します。前回お送りした「ボルトンにも春がきました」
と併せてご覧いただければと思います。

PS 2(N筆)
Battleの丘は、緑の草におおわれた牧場の続きだった。
こんな狭い場所に1万人以上もの兵が集まったとは・・・

丸一日続いた壮烈な戦い以上に、その戦いの後この丘に広がっていたであ
ろう屍累々たる光景に思いがいく。

この場所にいったいどれ程の時が流れたのだろう。戦いに勝った者も、もう遠い
遠い昔に死んでしまった。石造りのAbbeyさえ今では朽ち果て、鎮魂の鐘を撞く
者もない。ここが、英国史上最も記憶される出来事が起こった所なのだろうか。
青空の下、のんびりと牛のなく声が聞こえる。

歩きながら恐ろしい戦いの様子を思い浮かべれば浮かべるほど、今目の前に
広がる穏やかな風景とのあまりのアンバランスに胸うたれた。この丘に、死んで
いっ た者たちの執念や無念の思いがどれほど凝縮していたとしても、時の流れは、
それを容赦なく透明にしていく。今この時の静けさはどうだ。子供達が追いかけ
っこしながら丘を上っていく。鎖帷子をつけた重い兵士を乗せた馬が駆け上が
っていった同じ丘を。

こうして、何もかもが静かな時の流れの彼方に消えていくのだろうか。そしてい
つか、座標を失った時そのものも存在しなくなるのだろうか。

・・・Battleの丘でそんなことを考えた。(終)

                                    N.N. from Bolton

THANKS

Y.N. & N.N.様

Battle訪問記有難うございました。
ちょっと九州の郷里へ旅行をしていましたので、返事が遅くなりました。

大変詳細な訪問記の上映像が添付されているので、私だけでなく
他のかたがたにも多いに参考になると思います。
また後日三版でも刷るときには筆を加えたいところもでてきました。
早速談話室へのアップをいたします。

>Battle Abbey正門で入場料を払うと日本語のAudio Guideを貸してくれます。

日本人観光客がここまで訪れるようになったかと、感慨無量です。

>ハロルドが陣取ったCladbec Hillとウィリアムが陣取ったTelham Hillとの谷間
>にあたるところに小さな沼が静かな水面を湛えています。じつにのどかな日和で
>す。この沼地に足を取られてウィリアムの誇る騎馬兵団も苦戦したと、Audio
>Guideが教えてくれます。

写真でよくわかります。戦の当時は小さな谷川ではなかったと思いましたが。

>順路はここからノルマン軍の突撃の跡をたどるようにAbbey(=ハロルド本陣)に
>向かって登り坂、傾斜は20度強、距離は300m程度。馬に乗っていたとはいえ、鎖
>帷子、兜に身を固め、槍、盾、剣を携えての登り坂の突撃の厳しさ、体力の消耗
>は容易に想像できます。ノルマン軍が歩兵中心の構成であったら勝てなかったの
>ではないか。

その通りです。歩兵中心の構成であったらノルマン・コンクェストは無理です。
ハロルド王は戦略家としては優れた武将で、陣取りでは圧倒的優位でしたが、
やはり装備に劣り、疲れた兵士や農民兵では、実力が発揮できず残念だったで
しょう。騎馬軍団を組織したウィリアム王の慧眼に感服します。

>"Atonement for the slaughter of conquest"とある様に、勝利の記念というよ
>りも、戦死者、特にハロルドの鎮魂が主目的だったのでしょう。

当時としては大激戦であり、敵味方とも死者累累。勝利したとはいえ後日鎮魂
の寺院を建立した気持ちはわかります。
統治のための政策的配慮もあろうかと思います。

>やはり鎧兜は相当重く、膝まで覆う鎖帷子が19kg、盾(木の板を皮で覆ったもの)
>が5kg、剣が2kg、これだけで併せて26kg!面白かったのは鏃。鏃だけをキーホル
>ダーの様なリングに数個括りつけて腰からぶら下げているのです。これはスペア
>の鏃。矢は当時は貴重品だったそうで、ノルマン軍も充分には持っていなかっ
>た。実戦ではお互いに敵の射た矢を拾って射返していたそうです。

貴重な報告ありがとうございます。
日本でもあの重い鎧や兜をかぶり、よく戦ったものだとその体力に感心します。

>外国人が近くのテーブルに座ってウェイターと何やら話しています。「ここの
>Audio Guideは英語・フランス語・日本語があるのに私の国の言葉が無い。なぜ
>だ」。どこの国の人か結局判りませんでした。前日訪れたCanterbury寺院にも日
>本語のAudio Guideはありました。日本人の存在が、こんなところでも大きくな
>っているのだな、と思いました。


経済不況に悩んでいるとはいえ、年間千数百万人が海外に出かけている国
はそうそうないでしょうから。

>我が家の庭の写真も添付します。前回お送りした「ボルトンにも春がきました」
>と併せてご覧いただければと思います。

有難うございます。早速追加挿入をしましょう。
また中流家庭の一般的な庭の写真などよいのがありましたら、ご紹介ください。

                                  ロンドン憶良
           
晴耕庵の談話室(目次)へ戻る

ホームページへ戻る