晴耕庵の談話室

NO.25


HELLO

99/2/16
標題:シェイクスピアは罪作り

「シェイクスピアは罪作り」を面白く拝読いたしました。
私達は毎水曜日夕方シェイクスピアの原典を読んでいるグループです。
今年2月からはマクベスを読み始めました。
メンバーの中には最初からマクベスは善人と言う人がいましたが、この
記事をメンバーの皆さんに披露させて頂きます。
またシェイクスピアを取り上げて下さい。
東京 H.M.  
 
THANKS

H.M.様

メールありがとうございました。
私はシェイクスピアが特別好きでも嫌いでもありません。
彼の人間描写の悲劇喜劇を結構楽しんで観ています。
ふとした機縁からノルマン・コンクェストにはまり込み、英国中世史
にだんだんのめりこんでいる者です。

マクベスを倒したマルコム三世が、目下原稿作成中のノルマン・
コンクェストの後半部分でウィリアム征服王と抗争を続けます。
マルコムを描くためにはマクベスに触れないといけないので少し
調べています。(マクベスの名誉回復のために(?)短編を予定して
いますが、シェイクスピア・ファンにはショックとなるかもしれません。)

特別学識があるわけでもなく、アマチュアのてなぐさみですが、
メンバーの皆様に、どうぞよろしくお伝えください。

                 ロンドン憶良


BACK GROUND

H.M.様

追伸

シェイクスピアが史実と異なりマクベスを悪人に仕立てたのはなぜ
でしょうか?
すでにご存知と思いますが、歴史的背景をちょっとまとめてみました。

1603年3月エリザベス女王逝去に伴い、スコットランド王ジェイムズ
6世がイングランド王としてジェイムズ1世を兼ねることになりました。
これに伴い、シェイクスピアの属する一座はジェイムズ1世の庇護
を受け、劇団名も「内大臣一座」から「国王一座」へ変えています。

ジェイムズ1世は就任早々カトリックとピューリタンの弾圧をしました。
(当HPのガイ・フォークス火薬陰謀事件をご参照ください)
このスコットランド・イングランド兼任の王に一種の媚びを売るために
書かれたのが「マクベス」という説を読んだことがあります。

少し時代がさかのぼりますが、ジェイムズ1世の祖先になるマルコム
三世の王妃となったマーガレット妃はアングロサクソン正統王室の血
を引き、孫のマチルダ・オブ・スコットランドがウィリアム征服王の末子
ヘンリー1世に嫁して、やっとノルマン王朝はイングランド国民に血統
が承認されています。

父の仇であるマクベス王を悪王に仕立て、倒したマルコム王を賛美
することは、ジェイムズ1世の心をくすぐることになります。
「マクベス」が上演されたのは1606年ですから、なるほどと納得され
ます。
ちなみにジェイムズ1世暗殺を狙ったガイ・フォークス事件が発覚した
のは1605年です。

血なまぐさい時代背景の中で、劇団も生き延びるためにパトロンの
庇護を得ようと必死だったでしょう。

                 ロンドン憶良


THANKS


ロンドン憶良様

H.M.です。メール有り難うございました。

マクベスが、「ガイ・フォークス事件」の直後の上演とのお便りで
改めて貴ホームペジを拝見いたしガイ・フォークス事件について知りました。
大変勉強になりました。

ただ「マクベス」がこの事件直後に初演されたということは、
私の手元の文献にはありませんので、その根拠をお教え頂けると
有り難いです。

また、「マクベス」には魔女が重要な役割を演じますが、その頃の
魔女にまつわる事件など目に留まりましたらお教え下さい。

ではまた。


「マクベス」の初演がKing Christian of Denmark が
イングランドを訪問中(1606.7.17−8.11)
だとするとやはり処刑の直後となりますね。
(その後わかりました)

                      H.M.

ANSWER


99/2/25
H.M.様

メールありがとうございました。

「ガイ・フォークス事件」が参考になったとのこと。
作者冥利というところです。

>私の手元の文献にはありませんので、その根拠をお教え頂けると

古い版ですが小学館の大百科事典シェイクスピアの項に初演の
年の一覧表があります。
シェイクスピア作品をお読みになる上でご参考になるのではと
思います。

魔女にかかわる話はまた気がつきましたときお知らせします。

                    ロンドン憶良

            
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