晴耕庵の談話室

NO.11


イングランドと北欧ヴァイキングとの関わり(1)

REQUEST

98/5/10
標題: リンクのお願い


VITKI様

はじめまして。ロンドン憶良と申します。
ノルマンディー公ウィリアムの半生記を題材にした歴史小説「見よ、あの彗
星を」(ノルマン征服記)などを中心に、英国理解と紹介のホームページを
開設しています。
しかし英国中世史理解のためには北欧ヴァイキングとの関わり重要です。
つきましては私のホームページのリンク先に「英国中世史に大きな影響を与
えている北欧ヴァイキングの神話や文字などを紹介されているHP」としてリ
ンクさせて頂きたいのですが、いかがでしょうか。
                        ロンドン憶良


RESPONSE & COMMENT

お手紙有り難うございました。ご提案、有り難うございます。こちらの方は全
く問題はないのですが、「参考になるサイト」?、かどうかかなり不安なので
すが・・・。特に、ヴァイキング内国のことばっかり書いて対外的な行動を書
いてない上に素人の個人的見解ですし・・・。

そちらのホームページは昔、検索サイトで検索し、拝見していた記憶がありま
した。是非とも、本を購入して読ませていただきたいと思います。友人のノル
ウェイヴァイキングマニアにそちらのホームページを紹介します。

これからのますますのご活躍をお祈り申し上げます。

PS
非常に大きなお世話、なことなんですが(多分ご存知だと思いますが)ハラルド
・ハードラダ王は Harald Hardrade でハラルド苛烈王(もしくは厳格王、ハル
ドラーデ)と通常言っております。 hardrade は hard to rede の意味で、ハー
ドラダ苛烈王は「苛烈王・苛烈王」となってしまいます。すみません、好きなノ
ルウェイ王なもので・・・。ハラルド苛烈王のサガをいつか訳してHPで紹介しよ
うとも計画していま(現在は1/7程度の所で止めてほったらかしにしていますの
で英国戦にはほど遠いところですが・・・)。

                       VITKI


THANKS

VITKIさん

早速リンクのご承認ありがとうございます。

ハラルド・ハードラダの苛烈王の件ありがとうございました。
当時の呼称には似たような名前が多く、使い分けに困りますね。
ロバートなどは混乱の極みです。
私の本でもハロルドはHarold Godwineson,Harold Hardraada,Harold Herefoot
の三名が登場します。
ゴッドウィンの息子ハロルド・ゴッドウィンサンはハロルド伯およびハロルド
新王として使いました。
ハードラダの場合は英文ではHarold Hardraadaでお説の通りハラルド苛烈王と
するのが正しいのですが、ハロルドとの混同を避けるために、ハラルドとし、
かつハードラダの表現の方を多用しました。
お説の通りハードラダ苛烈王は重複ですので三版がでる時(私家本ですのでい
つになりますか)ハラルド苛烈王あるいはハードラダ(苛烈王)のごとき表現
で訂正したいと思います。
今後ともお気づきの点お知らせ下さい。

ウィリアム征服王と同様にハードラダの人生もまた多彩なのに驚きました。
北海の巨王としたのは敗者もまた大人物であったからです。
ハードラダについてのサガをぜひ読みたいものです。早期完成を期待します。
ハロルド伯、ハードラダ、およびウィリアムの角逐はユニバーサル映画もの
にしたい題材と思っています。

                  ロンドン憶良
REQUEST


標題: イングランド戦

以前、御著書を購入させていただいたVITKIという者です。
興味深く読ませて頂きました。特にイングランド側からということもあっていろい
ろと参考になりました。

今回、厚かましくもメールを送信いたしましたのは、知人のデンマーク人が日本で
レクチャーを行いたい、そのレクチャーをサポートして頂きたいと以前から要望を
されていたのですが、なんとか京都と東京での少人数での集会のめどがつきました。

現在、必死の思いで彼の原稿から解説、補足の小冊子を作っているのですが、今ま
でイングランド側からの資料などを集めていなかったことが仇になってしまってお
ります。やはりデンマーク人にとってもイングランド戦が最大のテーマとなってい
るらしく12枚のデンマーク・ヴァイキングについての原稿の2ページにイングランド
戦のことが書かれておりました。しかしながらノルマンコンケストはもちろん詳細
は全くといっていいほど興味を持って今までとりくんでこなかったためにイングラ
ンドなどのことなど全く判りません。が、しかし期日がせまっており(7/4)今から
イングランドの資料を集め自分の見解でコメントを書くには現在の私ではむりと判
断いたしました。

大変、厚かましく、無理な要望かもしれませんが、今回のこのレクチャーの補足説
明をする上で御著書を参考にさせていただきたくお願いをしたいのですが、ご了承
を願えませんでしょうか。

勿論、個人的な使用で、「著作権」の侵害などに当たるようなまねはしたくはあり
ませんので承諾がご無理な場合は全く使用致しません。ご承諾頂けた場合でも参加
者にはこれ以上のコピーは絶対にしないようにきつく注意を促します。出典、連絡
先なども明記致します。

内容としましては20〜30人程度に配布するコピーの小冊子のイングランド戦の説明
で使用したく思います。系図などもそのままコピーで使いたいと思います。前もっ
てチェックが必要であれば早急に送付致します。

厚かましく、勝手な用件のみで誠に申し訳ございません。

1998年6月7日                        VITKI


APPROVE

VITKIさん

メール拝見しました。
お申し越しの件結構です。どうぞお使いください。
参考文献、連絡先としてあげていただくとのこと、当方に異存ありません。
拙著が生かされる喜びを感じます。
このセミナーでヴァイキングの活動やノルマンコンクェストなど、異民族や
異文化、異宗教の接触、激突、融和、統合などが討議され、国際理解が進む
成果を期待いたします。
取り急ぎ回答いたします。

1998.6.7                  ロンドン憶良

   
THANKS & COMMENT

ご承諾有り難うございました。系図などは文字で読んでもさっぱり判らない
んですが系図だと非常にわかりやすいので理解力の低い私にとっては非常に
有り難いものでした。なんとなく漠然とノルマンコンケストが見えてきたよ
うな気がします。(気だけと思いますが)。ノルマンとイングランドとの関
係も非常にわかりやすかったので有り難い限りでした。なるほどなあ、と感
心ばかりしております。多角的なものの見方が重要であることを再確認致し
ました。

レクチャーのレポート等ができましたら送りたいと思います。お目汚しとな
るのは必死だと思いますが。

PS
再度、恥をかく気がするのですが、スウェイン・フォークビァド王ですが、
「誰?」の状態だったんですが、2月3日死亡、「あ、スヴェン二叉髭王か」。
英国のヴァイキングの本で読み返すと英語では FORKBEARDでフォーク髭
と知りました。北欧語ではTVESKAEG(ちょっとつづりを忘れたのであや
しいですが)2本髭です。ヴァイキングの文献ではフォークビァドでは見た
ことがなかったもので・・・。

乱文というか稚拙な文章で申し訳ございません。

                            VITKI

THANKS

VITKIさん

メール拝見しました。
私の著書が何かのご参考になればと思いますが、何分にも学者でなく、銀行員
が余暇に書いた歴史小説ですから、この点はご了解置きください。
(年月日や史実を柱にしていますが、類推も結構入れておりますので)

「Swein Forkbeard」をどう訳そうかと思案したことを思い出しました。
二叉髭王という訳を当時は知りませんでした。これはどういう髭でしょうか。
普通の八字髭ではなく双方の先端がフォークのように二又または三つ四つに
分かれているのかなとも思いますが、いかがでしょう。
豪傑とすれば二又より三・四又の方が似合いそうですから。どちらかといえば
フォーク髭王と訳した方が含みがあっていいですね。
ホームページの絵を修正する必要がありそうです。

私の方はヴァイキングの方はいいかげんな推測もありますので、お気づきの
点ご遠慮なくご指摘ください。
(将来3刷り目が出る日があるかないか分かりませんが、原本には逐次推敲を
加えています。)

ご成功を祈ります。 

1998.6.9           


THANKS & QUESTION

ご返事ありがとうございます。

「二叉髭王」とあったらイメージがわきやすいのになあ、と思ったという程度の
ことでした。送信した後に「よけいな一言を書いてしまった」と心配をしました。

今日、デンマーク人の知人にあったのでその時にどんな髭かと聞きましたらやはり
あごひげが二本に分かれていると言っておりました。この当時はヴァイキングには
フォークと言う道具がないのですが・・・。ほとんど煮たものを食べていたので、
スプーンかナイフしか使用しておりませんでした。大概、王のあだ名は北欧側とイ
ングランド側が一致しているのにこれだけが一致していないことに興味を覚えます。
(デンマーク人もフォーク髭王と英語で言われているとは知らなかったのです。)

現在、必死でノルマンコンケストを覚えようと思っているのですがなかなか思うよ
うにははかどりません。

最後に質問なんですが、参考文献で上げてあったバイユー・タペストリーの本です
があれはバイユー・タペストリーの写真集なのでしょうか?もしそうであれば購入
したいと思っているのですが。

少しずつではありますが、楽しく本を読んでおります。

                            VITKI


ANSWER

VITKIさん

参考文献にあげている写真は、ロンドンのヴィクトリア・アルバート博物館で
入手した写真で、写真集ではありません。
文献としてならば、上梓後入手した「The BAYEVX TAPESTRY」PHAIDON PRESS LTD
5 Cromwell Place,London SW7 が素晴らしい写真集です。大型のかなりの
アート本(194ページ)です。
ある方から頂いたので、価格は不明ですが、日本の本屋(含む古本屋)あるいは
アイスランド旅行の際に大きな本屋さんで(あるいはインターネトで)判明する
のではないでしょうか。

何年か前、アイスランドのサガとエッダについて小エッセイを書きました。
コピーお送りしましょうか。

                ロンドン憶良
THANKS

ロンドン憶良様

バイユータペストリーの本のタイトルのご連絡有り難うございました。
丁度友人が英国に旅行に行くことになったので頼みました。手に入れば
有り難いのですが、インターネットショッピングでは写真集らしきもの
が見あたりませんでした。

是非とも小エッセイを読みたく思います。

今、なんどもご本を読み返しています。本が痛んでぼろぼろになるので
はないのであろうかというぐらい読み返しております。非常に判りやすく
て楽しんでおります。

ヴァイキングと北欧神話の冊子を作っている最中でもう少しすれば送付
できると思います。(知人のデンマーク人が書いたものを訳したもので
すが・・・)。

あれだけイングランドとヴァイキングが複雑にからみあっていたとは、
知りませんでした。(ヴァキングからの資料ではロロの妻の名さえ書か
れていないので初めて知りました。)
                        VITKI

イングランドと北欧ヴァイキングとの関わり(2)

REPORT & REQUEST

ロンドン憶良様

益々のご活躍、ただひたすら感心するばかりです。
「晴耕庵の談話室」をご覧の皆様、実は私は敵対するヴァイキング関連のホームペ
ージをやっております。で、実は英国には詳しくないんです。申し訳ないです・・・。

今年の秋にスウェーデンにルーン石碑を求めてぶらっと行ってきました。スウェー
デンのオルケスタ教会には「イングランドで税を徴収した」との文面のある石碑が
あります。その他ヴァレンチュナ教区には図柄も美しい「イングランドで税を徴収
した」の文面のある石碑が2つばかりあります。イングランド側には悪名高い
「デーン税」なんですが、その割には残っている銀貨が少ないんですよね・・・。
一体どこに行ったのであろうか?ひょっとして記述は(イングランド側の)オーバ
ーに書かれているのではとも思ったりもしたりなんかして。というのも船数杯分の
銀貨とかって記述があるのに・・・。

「晴耕庵の談話室」ごらんの皆様に一つお教え願いたいことがあります。エドガー
のことなんですが、詳しく書かれた本などご存知の方がおられたらお教え願えませ
んでしょうか?エドガーの後にヴァイキングの攻撃が非常に激しくなるので(もっ
ともそのころはヴァイキングは内政が大変だったので英国に行っている場合ではな
かったんですが・・・)ちょっと興味を持ちました。彼が一体どんな政策をしてい
たのかと。本当に情報がなくて困っております。英語のものでもいいのでご存知の
方お教え願えませんでしょうか?

あと1000年頃のイングランドの海軍の詳しいこととか・・・。お願いします。この
頃の大陸との関係とか・・・。1000年頃のことなんでも知りたいです。

宜しくお願いします。

「北欧神話とヴァイキングのホームページ」
VITKI 
E-Mail vitki@mail.big.or.jp


RESPONSE

VITKIさん

メールありがとうございました。
私は学者ではなく、歴史好きの隠居のホームページですから、ちょうど
中高年散歩登山のように、気軽に幅広く高低いろいろな談話や質疑応答
などを楽しみたいと思っています。

VITKIさんの「ヴァイキング」は私だけでなく、他の方にも参考になる貴重な
内容で、談話室へのお出でを感謝します。ブレーン・ストーミングのように
次々と話題が発展しわくわくしています。

「北海の巨王たち」は、小説では戦の相手役ですが、個々人の生涯には別の
興味と愛着があります。(ある書評家からは小説としては敵役は非情に冷酷に
書くとよいが、私のは相手にも愛情が出て甘いと指摘されました)

「デーン税」の情報ありがとうございます。イングランドとデーン人の
交流は、是非書いておきたいと「見よ、あの彗星を」でも「デーン税」を
書いておいてよかったと思います。

1000年頃はヴァイキングに跳梁されたとはいえ、定着したデーン人や
アングロサクソンもまた対抗策としていつしか水軍を持ったことは十分想
定されます。談話室のROMの方から、よい情報が得られるとよいですね。
私もこの機会に調べてみましょう。

ではまた                 ロンドン憶良

談話室御来訪の方々の皆様へ。
VITKIさんへご協力を憶良よりもお願いします。

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