晴耕庵の談話室

NO.7


NEWS & OPINION


98/ 5/14
標題: お手数をおかけしました。(天皇陛下御訪英をめぐっての報道)

ロンドン憶良様

早速御手配いただきましてありがとうございました。 楽しみに致しております。

ここの所、2週間後に迫った天皇陛下御訪英をめぐっての報道が目立っていま
す。偶然にもこの時期丁度、横須賀に住むY.N.の両親もこちらに来ることにな
り、26日Horse Guardsでの歓迎式典か、それに続くパレードを拝見することにな
りました。 ビルマで終戦を迎え、その後イギリスの捕虜となった義父にとっ
て、息子がその国で働くことになったことさえどこか受け入れがたい複雑なもの
があるようでしたのに、今度の天皇陛下御訪英では、イギリス退役軍人の方々の
抗議行動が計画されている由、それを目の当たりにする義父のことを考えると、
あえてでかけなくてもとも思うのですが・・・

ロンドン見聞録にもありましたが、私もポピーの日には似たような思いをしま
した。(多分ロンドン憶良さんのお子様と私は同年代だと思います。'61年生まれ
です)私たちの世代は、現代史(と言うには既にかなり過去となっているわけで
すが)を、客観的な視点から教わってはいません。昭和6年中国侵略以降の日本外
交史は、一種のタブーとなってしまい、教室ではほとんど触れられないままに終
わっています。
感情的な排斥論や懺悔ではなく、事実に基づいた第2次大戦史があればと思いま
す。なぜイギリス退役軍人は今にいたるまで抗議を続けているのか。連合国側が
戦後日本陸軍を捕虜としたのは国際法上違法なのか。そうだとすればなぜそのこ
とはおおっぴらに問われないのか。

以前、アメリカで知り合った韓国人の友人から日本人が'併合’時朝鮮半島で何
をしたかを聞き愕然としました。彼らにとっては常識となっている事実を、私は
何も知らなかったのです。まず、状況を判断できるだけの材料がほしい。そして
その事実から学び、今後の糧としたい。
ポピーの日に、故国のために貴い命をささげた人々を皆が国境を越えて悼んでこ
そ、平和な世の礎にならんとした御心に報いられるのではないでしょうか。

このことがあるを承知で訪問先にイギリスを選んだ日本は、ここで非は非と認
め、また不当な言いがかりには敢然と反論し、国際社会のリーダーの一人にふさ
わしい態度を見せてほしい。遺族会や旧軍人の圧力に屈して内向きに都合のいい
ようなことをいって後世の人々に笑われることのないように。今海外に暮らす日
本人が、その地で母国を誇りに思えるように。

インドの核実験に対してすばやく抗議の声を上げたのは、被爆国として当然と
はいえ、いつも日和見ばかりの日本にしては珍しくもよいことでした。BBCのニ
ュースで、アメリカと日本がすぐ抗議したと伝えていました。経済力だけではな
い、それに見合った政治的リーダーシップも取れる所を大いに見せてほしいもの
です。(そうした政治家を選ぶ厳しい選択を有権者たる自分も負っているわけで
す。)
これまでの所日本人だからと言う理由でいやな目にあったことはない子供達で
すが、今度のことをどのように受け止めるでしょうか。義父が当事者として孫た
ちに事実を語り、その上で更にこの平和の尊さを伝えてくれることを願っていま
す。

この旅行については、後日お伝えしたいと思います。ではまた・・・



NEWS & OPINION

98/ 5/29
標題: ロンドンから帰ってきました。

ロンドン憶良様

26日、HORSE GRURDSでの、天皇皇后両陛下の歓迎式典を拝見し帰宅しました。
退役軍人のかたがたの抗議行動も事前に報道されていた通り、騎馬兵が馬を早め
てその前をとおりすぎたのも、予定通りの行動だったのでしょう。

この件についての報道の中で、日本大使館は、終始'過去の事実は事実として
も、われわれは未来を見据えて日英関係を捉えねばならない'というコメントを
出し続け、また、ブレア首相もそのようにのべていました。結局、この人々はい
ずれ遠からず皆去り、その抗議の声も絶える、その日を静かに待てばよいのだ、
今ここさえ忍べばよいのだということなのでしょうか。 女王もいずれ次の代の
王に取って代わられる日がくる、日本の次期天皇は、夫人ともども英国留学の経
験がある、その代になりさえすれば、もはや両国間に何のしこりもないではない
か、ということなのでしょうか。
こちらのマスコミは連日この抗議行動を報道してはいましたが、積極的に支援す
る風ではないし、日本側のコメントを必ずつけていました。

全体としてこれは既に過去のことで、決着がついているのだとでも言うような
印象を受けました。特に、日本での報道が、1日目はいざ知らず、2日目3日目に
は、○○を御訪問になりだれそれと親しく歓談されました、のみになり、イギリ
スで'今日もまた抗議行動が予定されています。'と繰り返し報道されたのとは大
違いだったことは大変気になりました。"これだけの抗議行動は、英国本国のみ
ならず、日本の視聴者にも強い印象を与えたことだろう"とラジオでいっていま
したが、実際のところ日本では、2日目以降のそれは無視されていたのです。

天皇は、憲法上の理由から何を述べるすべもなかったとしても、政府は、自国
の立場を堂々と表明するチャンスだったのに・・・・と残念に思うのは私だけで
しょうか。いや、そもそもこのことをそれほど重要視すること自体おかしかった
のでしょうか。本来、退役軍人の人たちも、謝罪と代価を求めるなら、もっと以
前から別の方法で要求すべきだったのであり、今回のやり方では単なるデモンス
トレーションと受取られても仕方なかったのかも知れません。私自身には、肩透
かしを食ったようなまったく釈然としない経験となりました。

義父も黙して語らず、Bolton,Lake District,Londonと駆け足の旅を終え帰国致
しました。それと同時に記録的な晴天と高温も去り、こちらは肌寒いほどの陽気
になっています。
ではまた。
N.N.




BOOK DESIGN

98/ 5/16
標題: ありがとうございました。(素敵な装丁)

本日(5月15日)、「見よ、あの彗星を」が届きました。
ありがとうございました。
すっきりとした、とても素敵な装丁ですね。しかもサインまで戴いて...!
まだ手に取ったばかりですが、わくわくしています。

とりあえず御礼まで。

Y.N.& N.N.


BOOK DESIGN

標題: 装丁について

Y.N.& N.N.さん

> すっきりとした、とても素敵な装丁ですね。

装丁をお褒めいただきありがとうございました。
もともと私家本のため、初版原稿を日経事業出版に持ち込んだ時は簡単な
一色の表紙を予定していました。
ところが日経事業の社長と編集長が原稿を見て、中堅の伸びそうなデザイ
ナーにデザインさせたので再度東上見てほしいとの連絡があり、費用は些少
でよいからとのことで装丁を山崎登さんにお願いしました。
出版に関わる人の心意気でしょうか。

復刻再版の時には山崎さんは日本を代表するブックデザイナーになってい
ました。初版の時のイメージは変えずにレイアウトやカラーなど若干手直し
したいとの申し出により、お手許の再版のデザインは初版の時に比べ格段に
よくなりました。
(初版は編集長の好意で紙質印刷ハードカバーと凝っていますが)
アートの方の自分の昔の作品に対するこだわりを感じました。

因みに山崎さんのプロフィール
1983年ライプチッヒ「世界で最も美しい本」展金賞
1997、98、99年造本装丁コンクールに3年連続文部大臣賞
代表作小島信夫「月光」(講談社)、大竹省二「女100人の肖像」
(講談社)、近藤啓太郎「白閃光」(日本経済新聞社)
、 蕪村全集第7巻(講談社)、金田一春彦他日本語百科大辞典(大修館書店)など

馬子にも衣装ですが、このご縁で第2作「ロンドン憶良見聞録」も山崎さん
の装丁です。
こちらには挿画に樹下龍児さん(秋篠宮「栂」、紀宮「ひつじ草」の衣装紋様
デザイナー)が参加。こちらも日本の代表的な紋様デザイナーです。
商業出版でないだけにお二方で楽しくデザインされたとのことです。
デザインをお褒め頂いたので、つい裏話などを申し上げました。

しかしお目が高いと感心しました。
1998.5.17     ロンドン憶良


BOOK

98/ 6/10
標題: 続編のご計画は・・・?

ロンドン憶良様

ご無沙汰いたしました。

昨日主人からバトンタッチして,いよいよ御本を読ませていただいています。私
は、こうして印刷された活字を読む方が、画面を見るよりずっと集中できるの
で、また楽しく拝見しています。先にホームページで絵も見せていただいたの
で、想像もしやすいです。お描きになる時は、時代考証にもご苦心なさったこと
でしょうね。ホームページの方は完結まであとわずか、名残惜しいようなさびし
いような気がします。続編のご計画は・・・?

いよいよ明日、World Cup Soccur開幕。パブはワイドスクリーンで実況を見よ
うと看板を出すし、スーパーは、World Cup 協賛セールを始めるし、子供達まで
World Cup事典を片手に大騒ぎです。日本が出場してくれるおかげで、楽しみも
増えました。時差があるのでそちらでの観戦は大変ですね。 日英両国の健闘を
祈りつつ。

N.N.


BOOK

N.N.様

続編の構想は出来ています。若干書いていますが国内統治には波乱万丈がありま
せんので、どう表現しようかと頓挫しています。
ホームーページで短編で出して見ようかとも考えています。
ではまた

               ロンドン憶良

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