晴耕庵の談話室

NO.3


HELLO & QUESTION

標題: リンクのお願いと「Scone石」の質問
97.3.13

大杉さん、はじめまして。
わたくし、西欧中世史を調べているT.O.と申します。

HP拝見させていただきました。ノルマン・コンクウェストから始まって
足で集められたと思われる写真等、解りやすいイラストなど、なじみの薄い
事柄がよく理解できました。

最近、ホイジンガの「中世の秋」を読みながら百年戦争について調べてい
るのですが、まさにその始まりの時期に起きたスコットランドに対する戦争
についても、「スコーン石」の話し含めて説明してあり、助かりました。

一つ質問なのですが、何故スコットランドの王さまは「スコーン石」の上
で戴冠されたのでしょうか?『イメージシンボル事典』によれば、太陽王の

石からの誕生に関係するという説明があるのですが、どうもピンときません
でしたので。もしなにかご存知でしたらお教えてください。

さて、わたくしもHPを先月、開設したばかりでして、未だ言語の勉強中
なのですが、是非リンクを張らしてください。

貴兄の「ロンドン憶良のホームページ」
(URL=http://www.asahi-net.or.jp/~cn2k-oosg/index.html)
わたし「カノッサの屈辱」
(URL=http://www.asahi-net.or.jp/~nm5t-oozk/index.htm)

それでは、よろしくお願いします(__)

T.O.カノッサ


RESPONSE

SUB:リンク有り難う、「Scone石」の解説

T.O.さん、メールありがとうございました。小旅行をしていましたので昨日メール
を知りました。歴史のすきな方にリンクされてうれしく思います。当方にもリンク
をはらせてください。

ご質問ありました「スクーンの石」と二人の英雄について、ご回答します。

Scone
The coronation place of Scottish kings;the last king to be crowned there
was Charles ll ,in 1651.The Stone of Scone,or Stone of Destiny,was by
tradition Jacob's pillow at Bethel.It is said to have been brought to
Scone in the 9th century AD by Kenneth Mac-Alpin,the man who united
Scotland after defeating the Picts at Scone.・・・
(Illustrated Guide to Britain より)

ご存知のとうり、スコットランドには先住民のピクト族がいましたが、アイルランド
からスコット族が4世紀頃には進出していたといわれています。
史実として確認されているのは紀元500年頃ファーガス・モー・マク・エルク
(ファーガス2世)(Fergus Mor mac Erc)の進出です。
彼はダルニアダ王朝を建国し、初代国王になっていいます。

ピクト族(オールバ王国)とスコット族(ダルニアダ王国)は北のスカンジナビア
・ヴァイキングには協同して対抗し、あるときは激しく争い、次第に融和していき
ました。この両族の統一をはかったのがKenneth l,Mac-Alpin です。彼は846年
にピクト族との決戦に勝ち、統一国王となりました。
その時王都をダルニアダ王国の首都ダンスタフニッジからオールバ王国の首都スク
ーンに移し、「運命の石」もスクーンに移し、この石の上で、ダルニアダ・オール
バ王として戴冠式をあげました。

これいらいスコットランドの王はこの石の上で戴冠し、石は「スクーンの石」と
よばれることになりました。この「運命の石」はもともと聖地パレスティナにあって、
聖ヤコブが頭を載せたものをアイルランドに運んだ「聖なる石」で、これをファー
ガス2世がアイルランドからスコットランドに持ち込んでスコット族が戴冠をして
きたとの伝承があります。
(森護著スコットランド王国史話より)

この聖石をイングランドに持ち帰りお尻に敷いたエドワード王もたいした男ですが、
長い間その返還を求めてきたスコッツの人々の粘りにも敬服します。
淡白な日本人には700年かけても返還を求める気力はありますかどうか。

ではまた 1997.3.23


THANKS

標題: スコーン石情報ありがとうございます

大杉さん、リンク許可ありがとうございます。
わたしのHPへのリンクの件もよろしくお願いします。

スクーン石の詳しい説明ありがとうございます。
パレスティナからという話しは差し引いて考えても、アイルランドから
渡って来たものですか。スコットランド統一の証なわけですね。

どうもありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。

T.O.カノッサ



RESPONSE


SUB:ご指摘有り難う、Tyne川とBerwickについて

T.O.さん、ご質問に回答します。

1)Tyne川はイングランドの東北部Durhamの北部Newcastle-upon-Tyneの町を通りか
  ら北海へ流れている川です。Newcastle-upon-Tyneの町はHadorian's Wallが通っ
  ていますようにスコットランドに近く、河口の町の名はTynemouthです。
  歴史的にもよく出てきます交通の要衝でしょう。

2)Berwickは、ツイード川の河口の町Berwick-upon-Tweedのことだと思います。
  スコットランドとの国境の港町でここも交通の要衝です。
  Berwick-upon-Tweed
  The northernmost town of England was once a great port of Scotland,and
  it changed hands 13 times before finally becoming English teritory in 1482.
  A 2-mile walk leads round the top of the town's Elizabethan walls, starting
   from Meg's Mount where there are magnificent views inland along the winding
   River Tweed.The circuit then passes by the 15-arch stone bridge built by
  order of James I in 1611 to connect the town with Tweedmouth on the opposite
  side of the estuary. From there, it goes along the quayside,the shipyards
  and salmon fisheries and finally around the harbour mouth to the open ground
  fronting the North sea.
  地図などコピーして郵送しましょうか。

3)エドワード三世については近日アップロードしたいとおもいます。

4)エドワード一世が石を持ち帰ったのは、ご指摘の通り1297年です。ミスタイプでした
  ので更新したつもりでしたが、再度訂正します。ご指摘有り難うございました。

5)リンク結構です。どうぞご利用ください。

ではまた 1997.5.18


THANKS

題名:Re: ご指摘有り難う

Date: Tue, 20 May 1997

"Tyne"と"Berwick"について、教えていただきありがとうございます。
とりあえず、ミシュランの地図が重宝すると聞いたので、今日買って
こようと思います。もしそれで、解らない場合は、郵送をお願いする
かもしれません。そのときはよろしくお願いします。

エドワード3世、楽しみにしています。

T.O.カノッサ

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