ロンドン憶良見聞録

女王の島



「憶良さん、今操縦士がハート・アタック(心臓マヒ)を起こしたらどうし
ますか?」
隣席のレイボラック氏が憶良氏に聞いてくる。
二人は、グァンジー島からジャージー島に向かって、二つの島を往来
する小さな飛行機に乗っていた。滑走路を3百メートルも走ったかと思
うと、飛行機は空中にフワッと浮いていた。
眼下は英仏海峡(イングリッシュ・チャネル)の海面である。

「不時着を神に祈るのみですね。ケ・セ・ラ・セ・ラ。まあ何とかなるでし
ょう」

二人の前には、タクシーの運転手のように、操縦士がたった一人で操
縦桿を握っている。副操縦士もスチュワデスもいない。2人席が5つば
かりの軽飛行機である。それぞれの席の横についているドアを、自分
で開けて自分で閉め、ベルトを絞めてシートに座っている。機内通路
などという空間はない。遊園地の飛行機に、プロペラをつけて飛ぶよ
うなものである。小さいが近代的なのは、プロペラが機首についてい
るのではなく、後尾に3ヶついている。AURIGNYとかいう名らしい。



バンク・オブ・イングランドを定年退職し、憶良氏の銀行に顧問として
勤務しているレイボラック氏は、英国為替管理法のベテランである。
銀行員というよりも、女王警備をしていた元近衛士官という方が似つ
かわしい威風堂々とした体躯に、見事な八字髭を蓄えている。
小柄な憶良氏と並んで歩くと、いかにも凸凹な組み合わせの二人で
あるが、これで結構あちこち出掛けた。

ルクセンブルグ・アムステルダム・マン島・そしてグァンジー島・ジャー
ジー島。
雇っている方は憶良氏の方であるから、チャーチル元首相のごとく、
憶良氏もふんぞりかえる癖がついた。島人には用心棒を連れた東洋
の商人と映ったかもしれない。 しかし大男のレイボラック氏も、操縦
士一人の飛行機は不安とみえる。

二つの島をチャネル・アイランドという。島と島は近いから、飛行機は
海面からそう高くないところをちょっと飛ぶという感じである。海面の
白波がよく見える。
天気は良いし、特別風がある訳ではないから、まずは快適の20分
のフライトで、パイロットのハート・アタックもなく、無事ジャージー島に
着く。



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