パリの空の下チョコレートが流れ
(前頁より)



「旦那、上をご覧よ。あの窓の辺りから外へ飲みかけを捨てた奴がいる。
最近はパリの人間もマナーが悪くなりましたよ」
新調のコートを汚された憶良氏は、カッカッと湧き上がってくる腹立たし
さを、グウッと抑えながら、若者の指さした三階辺りの窓を見上げた。
しかしパリ特有の縦長の鎧戸は、憶良氏の詮索を冷たく拒否するかの
ように、ピッタリと閉まっていた。文句をつけようにも、全く見当がつかな
かった。

「ムッシュ、ムッシュ、背広の背中も汚れているよ」
「エッ?背広が?」
「多分、襟とコートの間から流れ込んだのさ」
「ありがとう。でもこの汚れは、拭くくらいじゃとっても駄目だ。幸い、あ
の向かい側のビルに友人がいるから、あそこで洗うよ。メルシ・ボク」

憶良氏は手早く渡って、笹口君の事務所のあるビルに入ると、すぐに
片隅に行って背広を脱いでみた。
(アーアッ、これじゃとっても街を歩けやしない)

「旦那、私の言った通り、ベッタリくっついているでしょう」
広げた背広の向こう側に、声がした。
「友人の事務所は三階だから、そこの洗面所で洗うよ」




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