ウェールズ独立600年祝祭の動き(1)

(前頁より)


これに先立ちリチャード王は、1385年に従姉の子4代目マーチ伯
ロジャー・モーティマーを次期王位継承者に指名していた。
(この指名はいささか早計であり、その後ヨーク家とランカスター家の
王位継承を争う「薔薇戦争」の原因となる。)

青年リチャード王はエドワード懺悔王を尊崇するなど信仰心篤く、
人柄がよかったが、王を取り巻く叔父や諸侯たちの権勢欲から、
虚々実々の宮廷闘争が続いた。



リチャード王は叔父ランカスター伯ジョン・オブ・ゴーントの息子で
王位に野心を燃やすヘンリー・ボリンブロク(後のヘンリー四世)を
フランスに追放し、反宮廷派を処罰した。
ヘンリー・ボリンブロクを処刑すべきところ、従兄弟であるので、
憐憫の情をかけたのが仇となろうとは予想できなかった。
この間オウェン・グレンドワーはリチャード王に忠実に仕えた。

1398年、アイルランドに出兵した王位継承者マーチ伯ロジャー・
モーティマーが戦いで惨殺された。
王は、翌1399年自ら軍を率い、アイルランド制圧に赴いた。
オウェン・グレンドワーも参戦した。

この隙にヘンリー・ボリンブロクは15人の部下を率いて帰国し、反宮
廷派の貴族たちが連合して反乱を起こした。この軍10万ともいう。
留守を守っていた摂政エドマンド・オブ・ラングリーの軍勢は降伏。
エドマンドは自ら馬を走らせ、船に乗りアイルランドのリチャード王へ
急を告げた。

リチャード王は直ちにロンドンに向けて軍を引き返したが、ウェール
ズ国境でこれを迎え撃つヘンリー・ボリンブロクの軍団に敗れ、王や
オウェン・グレンドワーは、北ウェールズのフリント城(Flint Castle)で
降伏逮捕された。



王は駄馬に乗せられ、ロンドンに護送され、ロンドン塔に監禁された。
オウェン・グレンドワーも王と共に逮捕されたが、郷里の領地へ隠棲
することを許された。


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