「見よ、あの彗星を」
ノルマン征服記

第16章 流血、スタンフォード橋(その2)


ハラルド・ハードラダ苛烈王の指揮するノルウェー・ヴァイキングと、ト
スティ卿の輩下に参集したフランダース兵や、外人傭兵を含めた連合
軍の総員は約1万名であった。当時としては、稀にみる大規模な軍団
編成である。
連合軍は、威風堂々と3百隻の船団を組んで、更に南下を続け、ハン
バー河の河口に入った。
暦は、9月18日となっていた。

ハンバー河は、ヨーク平野の隅々から支流を集め、悠々と北海へ注ぐ、
ヨーク地方の大河であり、生活の動脈である。
ハードラダ王の狙いは、まづ、ノーザンブリアの州都、ヨーク市の攻略
であった。
連合軍は、ハンバー河の支流の一つであるウーズ川に漕ぎ入れ、北
西に溯(さかのぼ)った。
川幅は次第に狭くなってきた。更に漕ぎ進んで、ヨーク市の南10マイ
ル(16粁)の地点にある小村、リッコールに上陸した。
海岸沿いに一旦南下し、河口から北西に漕ぎ上がるので、距離的に
は大迂回作戦であったが、時間的にはかえって迅速であった。




海岸沿いにはモルカール伯の軍勢が警戒線を張っていたから、もし
陸路を進めば兵員の損耗を避けることはできなかったであろう。
ヴァイキングは水軍である。そのヴァイキングの持味を十分に生かし
た、手慣れた進攻作戦であった。
リッコール村からヨーク市は指呼の間である。

ノーザンブリアの領主モルカール伯と、隣国マーシヤの領主エドウィ
ン伯の許には、海岸部の郷土から続々と早馬の連絡が届いていた。
二人の兄弟は、この危機に面して、即座に防衛の同盟軍団を作った。
ヴァイキングの軍団に対決するために、ヨークの南2マイルの地にあ
るフルフォード街道(ゲイト)に陣地を構築した。

フルフォード街道は南からの一本道である。そのあたりは道の片側
はウーズ川であり、反対側は湿地帯であったから、守備には都合が
よかった。
ノルウェー軍団と、これを迎え撃つノーザンブリア・マーシヤ連合軍の
両陣営、ともに約9千名の将兵は対峙した。





9月20日

ノルウェー軍団は、フルフォード村の防衛陣地に突撃を開始した。
ヨーク市の運命を賭けて、この小村の街道で大激戦が展開された。
円い楯を左手に、剣を振りかざし、喚声をあげて突撃してくるヴァイキ
ングに対して、農民兵を主力としたヨーク軍団は善戦した。有利な地
形に陣を敷いているため、縦列になって強引な突進を繰り返すヴァイ
キングに弓矢が集中し、戦死者が続出した。




戦の駈引きにかけては、ハラルド・ハードラダ王の豊富な経験と勘は、
ひときわ勝れていた。
王は、戦の最中に突如として全軍退却を命じた。戦いに慣れている
ヴァイキング達は、心得たりと、一斉に算を乱して退却した。
勢いに乗ったヨークの農民兵達が、柵から出て追撃に移った。
ヴァイキング達は、なおも逃げた。陣地からは続々と兵が溢れ出た。
ハードラダ王の軍団は、なおも退却を続けた。

敗走すると見せかけたヴァイキング達が、平原に出て来た時、ハラル
ド・ハードラダ王が全軍に本格的な反転攻撃を命じた。
こうなってくるとヨークの農民兵は、実戦の経験豊富なヴァイキングの
敵ではなかった。
しばらく混戦となったが、ヨーク軍団の右翼は、たちまちウーズ川に追
い落された。
左翼の兵は、湿地帯に沈められてしまった。


平原も街道も、フルフォード村は死屍累々としていた。
ヨーク軍団の残兵は、散り散りになって逃走した。同盟軍の司令官で
あるモルカール伯とエドウィン伯の兄弟は、いずくともなく落ち延びて
いった。



ヴィキング軍団は緒戦に勝った。しかし、兵員の損傷は少なくなかっ
た。ほぼ千に近い兵を失っていた。
手傷の者2千名を除いた約6千の兵は、意気揚々とヨーク市に入城
した。
ヨーク市民は、何ら抵抗することもなく、ノルウェー王の軍団を迎え入
れた。



ヨーク市の城門とCity Wall
(写真は一部修正しています)

トスティ卿は、市内や地方の郷土・商人・司祭など有力者の子弟を人
質に取るようにと、ノルウェー王に献策した。

フランダースに亡命していたトスティ卿は、ノルマンディのウィリアム公
が、イングランド侵攻の準備をしていることを熟知していた。したがって、
ヨーク市でこれ以上
無駄な血を流したくなかった。
イングランド制圧のためには、更にロンドンまで南下しなければならな
い。ヨークの領民に反乱されることは避けたかった。
フルフォード街道での戦闘に勝利を収めたとはいえ、ヨークは敵地で
ある。
何日(いつ)何時(なんどき)夜討朝駈けをかけられるやも分らない。
船を守る必要もあった。



ハードラダ王は、一旦ヨーク市を占領したが、彼は全軍に「直ちに軍船
繋留地のリッコール村へ帰るように」と命令した。
ヴァイキングにとつては、船が最も安全であった。彼らは、ヨークの各
地から人質が揃うまで、市の有力者を連れて船に帰った。
ハードラダ王とトスティ卿が、これらの有力者達と話合った結果、新し
く人質となる少年達は、9月25日に、スタンフォード橋で引渡されるこ
とになった。

スタンフォード橋は、ヨーク郊外を流れるダーウェント川に架かってい
る小さな橋である。しかしヨーク地方の各地から道路が集まっており、
交通の便利が大変よかった。
ダーウェント川は、川幅僅かに数十ヤード(50米前後)の小さな清流
である。流れは速く深かった。
小さなスタンフォード橋が、この清流の上に架かっていた。どこにでも
ある田舎の木橋である。


ダーウェント川と現在のスタンフォード橋



9月25日

9月の下旬というのに、異常に暑い日である。いつもの年であれば、
ヨーク平野には、爽やかな秋の気配が訪れている筈であった。太陽
が、まるで真夏のように照り、蒸し蒸しする暑さであった。春に、妖し
い彗星が現われたせいか、異常気象の年であった。

ハラルド・ハードラダ王は、傷を負った兵のほか、3千名の兵を船に残
して、息子のオラフ王子を守るように命じた。
5千余名の手勢を連れたハラルド・ハードラダ王は、トスティ卿とともに、
約束の場所、スタンフォード橋へ向かった。
リッコール村からは約16マイル(約26粁)の道程であった。
照りつける太陽のために、甲冑の下に汗が吹き出し、滝のように流れ
た。
橋に到着すると、ハードラダ王は大休止を命じた。
喜んだ兵士達は、早速木蔭に腰を下し、楯を置き、甲冑を脱ぎ、汗を
拭いた。川に飛び込み、水浴する者が多かった。或る者は、夜の宴会
のためにと、近くの牧場に飼われている牛や羊を追いかけていた。ま
た一部の隊は、丘を越えて、東に展けている景観に見惚れていた。




トスティ卿は、何となく気になった。虫が知らせたのであろうか。彼は
ハードラダ王に「このような、のんびりとした状況は禁物であろう」
と、進言した。
ハードラダ王は、一笑に付した。
「ヨーク軍団が壊滅した今、何を怖れるものが此の地にあろうか。ハロ
ルド王の軍団は、今頃は南部の海岸にへばりついて、ノルマンディの
方を眺めているであろうよ」
と、トスティ卿の言葉に耳を貸さなかった。

静かな、田園の真昼時であった。

東岸の丘に登って、遥かヨーク市の方を眺めていた兵の一人が、突然
叫んだ。
「あれは何だ!」
「土煙だ!」
「人質を連れて来るにしては様子がおかしいぞ」
彼らは、丘を駈け下りて、ハードラダ王に報告した。

王は、その巨体をゆすって、丘の上に登って来た。

「トステイ卿、見られよ。あれは兵馬だ。お手前の方が正しかったかな。
何者かの手勢が、こちらへ進軍中だな」
彼は、口に手を当て、
「皆の者!戦闘準備!」
と、大音声(だいおんじょう)をあげた。

突如として、ヨーク郊外に出現した大軍団に、ノルウェー王の部下達は
驚き慌てた。




第16章 流血、スタンフォード橋(その3)へ

いざないと目次へ戻る

「見よ、あの彗星を」Do You Know NORMAN?へ戻る

ホームページへ戻る