「見よ、あの彗星を」
ノルマン征服記


第3章 懺悔王懊悩


1042年、38歳のエドワード王子は26年ぶりでイングランドに帰国した。
長い間、戒律の厳しい修道院で、一修道士として過ごしてきたエドワー
ド王子には、聖職者としての威厳が備わっていた。

少年の頃は白子であることを気にしていたが、今はその白髪も、かえっ
て重厚な印象を与えた。国民はアングロサクソンの英雄アルフレッド大
王の血をひくエドワード王子の治世に大きな期待をかけた。

サクソンの大領主ゴッドウィン伯の後ろ楯の下に、戴冠式が華々しく挙
行された。
その式に生母エマは招待されなかった。母は異父弟ハースカヌートを
溺愛していたではないか。
戴冠式が終わると、エドワード王は生母エマの巨額な財産を没収し、母
に蟄居を命じた。




アングロサクソンの国民はエドワード王を歓呼の声で迎えたが、戴冠
後の王は必ずしも期待したような君主ではなかった。

王はアングロサクソン語よりもフランス語を好んで使用した。側近にノ
ルマン人を雇った。
カヌート大王以来宮廷礼拝堂の司祭でエマ皇太后の顧問であった
実権者スティガンドを追放した。

イングランド海峡に面するドーバー、サンドウィッチ、ヘイスティングス
などの重要な港の管理をノルマン人に任せた。
領主にもノルマン人を任命した。

このように重用されたノルマン人達は、次第に財力と権力を蓄え、新し
いノルマン閥を形成していった。この結果ゴッドウィン伯とノルマン貴族
の勢力均衡が実現しつつあった。
折角王をノルマンディの僧院から連れ戻し還俗させたゴッドウィン伯は、
眉をしかめた。

「王を、わが娘エディスと結婚させるほかに妙案はない」



1045年春、ゴッドウィン伯はエディス姫とエドワード王を結婚させた。
この政略結婚により、長男にはマーシャ地方の、また次男ハロルドは
イーストアングリアの伯爵となった。
ゴッドウィン伯の勢力はテームズ川の南からイングランド中東部へと
広がった。

エドワード王は政治には興味がなかったから、ゴッドウィン伯が実権
を握っていた。
しかし教会人事だけはエドワード王が握っていた。王はイングランド
最高の聖職者であるカンタベリー大寺院の大司教に、親友のノルマ
ン人「ジュミエージュのロバート」司教を任命した。

ゴッドウィン伯は、失脚したスティガンド司教を領内のウィンチェスター
寺院の司教として庇護した。



絶世の美女エディス姫を王妃とし、実権者ゴッドウィン伯を岳父に持っ
たエドワード王にとって、二人は不快の種であった。
王妃との間に子どもはできなかった。

王は敬虔な聖職者であった。熱心に教会へ参詣し、神の御加護が国
民に等しく与えられるようにと祈っていた。
国民は王を「懺悔王」と呼ぶようになった。

ゴッドウィン伯が宮廷で権力を増すにつれ、王はノルマン系の聖職者
や貴族を引き立てた。
終に岳父ゴッドウィン伯と対立する事件が起こった。




第4章 葛藤

「見よ、あの彗星を」Do You Know NORMAN?へ戻る

いざないと目次へ戻る

ホームページへ戻る