第3部 薊(あざみ)の国

第9章 大脱走(2)





「そろそろ手配にかかりましょう」
 藪影に潜んでいた妖精の女王が部下に声をかけた。

 女王は妖艶な酒場女に、乙女達はきらびやかな踊り子の衣装になっ
ていた。黒装束の男たちは旅芸人の道化師や楽隊の姿にと変身して
いた。手には大きな酒瓶や旨そうに焼いた鹿肉をぶら下げていた。
 一行は陽気な音楽を奏で、酒に酔ったふりをして踊りながら館の警
備兵たちに近づいて行った。

「兵隊さん、ご苦労様。もう今日のお勤めもおわりでしょ、一杯いかが」
 と、女たちは流し目で声をかけた。
 警備に退屈していたノルマン兵たちは、夕暮れに現れた旅芸人の一
行に一瞬驚いたが、美女達と酒の魅惑には負けた。
「隊長、どうしますか?」
「うむ、今日も何事もなかったし、夜も門を閉めりゃええだろう。久し振
りに少しだけ呑むか」

 乙女達は、楽の音に合わせて、妖しげに踊った。兵士たちの口元は
だらしなく緩み、もう一曲もう一杯の所望となった。
いつしか酒盃は重なり、宴(うたげ)は夜更けになった。



 一人、また一人とノルマン兵は女を抱き部屋に下がったが、皆酔い
倒れた。警備兵の夕食と酒には、強い眠り薬が仕掛けられていた。

 深更、黒装束の男たちや白い衣装をなびかせた乙女らを乗せた馬
が、森や林を駆け抜ける姿を見たものはいない。
 仮にいたとしても、白い妖精が空中を疾走している夢をみているの
ではないかと、わが目を疑ったであろう。

 『白い妖精たち』とゴスパトリック卿の配下たちは、見事深夜の大脱
走に成功したのである。





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