ロンドン憶良見聞録


5分でまとまる国


オイル危機から20年以上経った現在、福井三国沖タンカー重油流失事故で日本海
の漁民が泣いています。
阪神大震災の時と同様に官僚は情報を迅速に上げず、トップは決断と指示をせず、
行政は動かず、結局国民のボランティアに依存しています。
レ・ミゼラブル(ああ、無情)とはこのような状態とでしょう。
日本は危機管理体制ができているのでしょうか。



「喉元すぎても熱さを忘れず」とイロハカルタを書き直し、国民がもっと声を大に
して(田舎の道路や地方の新幹線や高い公団住宅ではなく)危機管理対策にこそ
大事な税金を使うべきではないかと思いますが・・・
どこが英国と違うのでしょうか。憶良氏一家の古い体験談ですがお読みください。

憶良氏は、今日は清泉銀行とWW社のジョイント・ベンチャー(合弁会社)である
SWW社で、ビジネス・ランチョンを御馳走になっていた。
「憶良さん、ロンドンの生活に慣れましたか?」
と、ウイットマン氏が流暢な日本語で尋ねた。憶良さんと呼びかける気配りである。
「はい、どうにか1年が過ぎましたよ。お陰様で家族も落ち着きました」
憶良氏が気楽なのは、ウイットマン氏の日本語が日本人以上に上手で、英語を使う
必要がないからである。横文字を考えながら食べる食事は、いかに御馳走でも味が
なく、銘酒であっても酔えないものである。

「ウイットマンさんの日本語はとてもお上手ですね」
「四年ほど日本に居ましたから」
「憶良さん、ウイットマンさんは永平寺でも修行されていますからね」
 河東氏が、同僚ウイットマン氏の珍しい一面を紹介する。
「えっ、あの禅寺の永平寺で?」
「とても素晴らしい、得難い経験をしましたよ。でもねぇ冬の永平寺は厳しい寒さで
すよー。いやぁ、あの脳味噌も凍てつきそうな寒気には、正直なところ参りました」
一流の声優が語るような彼の抑揚に、目を閉じれば、憶良氏も訪れたことのある
古刹の凛々たる冷気がぞくぞくと感じられる。

「愚問かもしれませんが、永平寺では何を悟られましたか?」
「無です」
「ムですって?」
「ハイ。分らないことが分かった。何も分からなかった、つまり無を知りましたが、
まだ悟りには達していません。永平寺の禅は『ただただ座れ、ただ座れ』ということ
です」
「ハア」
憶良氏は日本人でありながら座禅ひとつ組んだ経験がない。どうもこりゃなかなかの
御仁との禅問答だなと思ったら、以心伝心、それと察したのかウイットマン氏が話題
を変えた。



「日本からこちらに来られると、ストライキとかティー・ブレイクとか驚かれたでし
ょう」
日本では春闘で私鉄のストライキが時折話題になるが、まあうまい具合に労使の話し
合いがついて片付いていたから、英国の炭鉱ストや鉄道ストは生々しい経験である。
ティー・ブレイクというのは、勤務時間中、午前10時頃と午後3時頃に、15分の
喫茶休憩時間が慣習として従業員に認められている。
仕事にエンジンが掛かった頃、現地職員たちが立ち上がって、休憩室へゾロゾロと
入っていく状況に、いささか憤慨し、違和感を持ったものである。

「正直なところ着任当時は随分びっくりしました。でも『郷に入れば郷に従え』で、
すっかり慣れましたよ」
「日本の方々から見ると、英国人はグウタラな国民に見えるでしょう。でも一旦緩急
ある時には、我々国民は5分間でまとまりますよ」
「えっ、たった5分で? まさか?」
「労働党と保守党は、ドロドロの階級闘争をしているように見えますが、そのふたつ
がまとまることがありますかねぇ」
河東氏と憶良氏が同時に疑問の言葉を出した。
「信じられないでしょうが、大事な時には国民は5分でまとまります」
ウイットマン氏は、白ワインの銘酒シャブリ・グラン・クリュの入ったグラスをちょ
っと目の上に持ち上げ、自信たっぷり二人にウインクした。



それから数ヶ月後。憶良氏は、ウイットマン氏の言葉が真実であることを、痛烈に思
い知らされた。
1973年(昭和48年)10月、第四次中東戦争が勃発した。
OAPEC(アラブ石油輸出国機構)はただちに石油の輸出をストップした。世界経済は
中東の石油に依存していたから、日本や欧州の非産油先進工業国に与えた衝撃は
大きかった。
オイル・ショック、あるいはオイル・クライシス(危機)というヘッド・ラインが
世界のテレビ・ラジオ・新聞紙面を走った。
日本列島経済沈没の噂がまことしやかにシティで囁かれた。

早速BBC(英国放送協会)テレビを通じて、英国民に対するヒース首相の特別放送
が行われた。
「親愛なる英国国民諸君!これから暫く、私の話を冷静に聞いてください。我が国は
今や存亡の危機に直面しています。石油は貴重です。火力発電に依存している我が国
は、国民全員がエネルギーの節約を図らねばなりません。明日からオフィスでも家庭
でもむだな電気は一切使わず、明かりは半分にしてください。政府を信頼しこの危機
を乗り越えるため、全国民が協力してください」
という趣旨の大演説であった。

翌朝出勤した憶良氏は、チーフ・メッセンジャーのウイリアムが、せっせと蛍光灯の
管を外している姿を見た。
「グッド・モーニング・サー、昨夜ヒース首相の演説を聞かれましたか」
「ああ、聞いたよ。素晴らしい演説だったね」
「それで、あっしらは早速実行してまっさ」



総選挙では、まぎれもなく労働党を支持するであろうと思われる彼らが、保守党党首
ヒースの演説に同意し、実践しているのだ。支店長や次長の憶良氏の意向を伺うこと
も指示を受けることもしていない。彼らにとって、どこに勤めていようと、どの党が
天下を取っていようと、国の危機に、首相に協力を求められれば協力するのが、国民
として当然の義務と心得ているようだ。

上司の鼻息を伺ってという意識はない。つまり国の大事な時には、会社や支持政党な
どは二の次にすべきだという意識がきちんと出来ているようである。
ヒースの演説に、商店街も家庭も済々として節電に協力した。
午前9時、シティの各銀行がドアを開けた時、ものの見事に電灯が半分になっていた。

家庭の主婦たちの行動やスーパーなどの対応も見事なものであった。
家に帰ると美絵夫人が、昼間の出来事を感激の面持ちで報告した。
「トイレット・ペーパーは一巻しか売ってくれないの。『無くなったら買いに来てく
ださい。心配しないで政府を信用してください』とレジの小母さんが言うのよ」
日本では主婦達が血相を変えてスーパーに殺到し、トイレット・ペーパーや砂糖を買
い溜めしていたとか。



生活必需品であるガソリンも決して満タン売りはしない。
「無くなったら買いに来て下さい」
少量しか売ってくれないので、どうしても頻繁に買いに行くことになる。
ガソリン・スタンドには車の長い列ができている。英国人たちは悠揚迫らず自分の
順番を気長に待っている。
彼らは「メイク・ア・キュウ」(列を作ろう)という習慣を、第二次世界大戦の窮乏
時だけでなく日常生活でも、身につけ実践している。
日本ではガソリンのドラム缶の買い溜めもあったとか。
邦銀派遣職員は、ゴルフに行くのも当分の間乗合にしようと申し合わせをした。



しばらく経ってテレビやラジオで、ガソリンの配給切符制度のことが報道された。
石油問題がこれ以上深刻になる時には、配給切符で制限するというのである。
結局は、配給切符は使われる事なく、石油危機は終息したけれども、憶良氏の受けた
衝撃は大きかった。なんという英国政府の手回しの良さであろうか。国民が配給切符
制度に文句ひとつ言わず、なんと素直に従うことか。

日本では配給切符のキの字も出なかったようだが、自民党政府が仮に配給切符制度を
とると言ったら、はたして社会党や共産党はすんなり賛成したであろうか。
「この切符の印刷と全国配布の手回しの素早さから察するに、英国政府は中東戦争と
禁油措置を予測してたのではあるまいか」
「007の国ですから、大いにあり得ますね」
憶良氏と部下の園田君は、英国人の政治外交感覚の底知れぬ深さに感嘆した。

いつもの年であれば、きらびやかなイルミネーションで飾られるトラファルガー広場
のクリスマス・ツリーも自粛され、申し訳程度の寂しい飾り電灯であったが、誰も
不満を述べる者はなかった。
悠然として、国民一体となって危機を受け止めている姿を見て、ウイットマン氏の
確信に満ちた言葉がはっきりと理解できた。
「ぐうたらな英国民ですが、一旦緩急あるときには、5分でまとまるのです」
憶良氏はウイットマン氏に電話をいれた。
「ミスター・ウイットマン、恐れ入りやの鬼子母神。貴君の言った通りです」
英国人の挙国体制と愛国心に、脱帽!



官僚や首相を責めることも必要でしょうが、われわれ日本国民が大事なことを
他人任せにし過ぎてきたのではないかと反省します。
皆さんのご感想いかがでしょうか?

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