ロンドン憶良の世界管見


上海・黄山・蘇州・杭州紀行


第2日目 上海より黄山へ――世界自然遺産を愉しむ――




5時起床。登山用の二泊三日分の荷物をまとめリックサックに詰め、
他はホテルに預け、出発。
上海より黄山へのフライトは一日早朝と夜の二便のみ。
日本人は中年夫婦と中高年親子家族と小生らの三組のようである。

フライト約一時間で黄山空港着。田舎の畑の中の滑走路一本。
機外に出て、すたすた歩いて、建物に入らずそのまますぐ広場え。
何とものどかな風景である。
バスもタクシーもなく、人々は出迎えのミニバスや車であっという間に
消えてしまって、残ったのはわが家族。
広場への出口には長途車と短途車(つまりシロタク)の待合場所に
車が並んでいる。

さて黄山の麓まで空港からでも80キロはある。(中国は広いのだ)
身分証明書と写真をぶら下げたこざっぱりした身なりの男が近づき
何か話す。息子が筆談で黄山のロープウェーの駅である雲谷寺まで
200元と書くが、首をふり、料金表を出してぺちゃくちゃ。

(お兄さん、そりゃひどいよ雲谷寺ならせめて300元(4500円)には
ずんでよということらしい)300元で交渉成立。日本の交通費はバカ
高い!と実感する。
(黄山登山は列車で屯渓へ来て、バスで黄山に行くのが通常らしい)

この男が屯している運ちゃん達に一声かけると数人がぺちゃくちゃ。
一人の若者がさっと手を上げて、我らを招く。
途中40キロほど走ったところの茶畑の中に突然近代的な建物が現れ、
車が横付け。若い美女数人が飛び出してきた。
どうも運ちゃん契約の土産物屋らしい。前後して飛行機で乗り合わせ
た日本人夫婦や現地人家族なども現れる。
まだ登山もしていないのに土産物でもなく、何も買わなかったせいか
運転手は憮然としてすっ飛ばす。

大門というあたり雑然と賑やかになったところで、車と運転手は交代
という。お金は払わなくてよいということらしい。
成る程そこからイロハ坂のような道になった。親切な運転手は地図を
くれたり(絵図面で重宝した)帰りも使ってくれと名刺をくれたり、サーヴ
ィス旺盛。(市場経済主義は田舎まで浸透している)





ロープウェーは40人乗り。中国各地からのバスでの団体旅行者が多く、
赤黄青など色とりどりの野球帽が流行らしく、引率者の小旗にしたがっ
て帽子が列をなして移動する。(リボンよりも迷い子は出まい)

山上近い白鵝嶺まで急斜面を一気に登ると、車内に嘆声。
テレヴィで見て来たあの蛾蛾たる山の峰峰が眼前にあり、霧が突風に
吹かれ、消えたり現れたり。


始信峰

ちょうどお昼なので、持参のカロリーメイトなどで腹ごしらえ。
第一目標始信峰(1668メートル)に向かう。頂上付近は岩山に張られた
手すりを伝っての登頂である。

頂上で中年のフランス人ペアに会った。日本では北海道九州をも1ヶ月
あまり旅してきたという。北海道を誉めていた。黄山まで来て出会った欧
米人は少ない。欧州には険しいアルプスなどがあるからだろうか。

始信峰のあと峰峰をたどり、李白の詠んだ山の世界を堪能した。
東海という雲海に見え隠れする石筝峰・観音峰を経て引き返し、筆架峰・
駝背峰など北海と呼ばれる地域の峰峰や、猿がちょこんと絶壁の磐上で
雲海を眺めているような石猿観海や猪八戒が西瓜を食べて種を飛ばした
かという岩など経由して西海飯店に着いた。


石猿観海

中国では「黄山より帰ったものは五岳(泰山、崋山、衡山、恒山、嵩山)で
さえも目に入らない」と言うそうであるが、中国絵画の山水の描写、懸崖の
老松、雲海の世界は誇大ではなく現実であると実感した。


北海を望む

険しい峰歩きには強力がつき物で「奥さん」「駕籠」「荷物」という日本語
でしばしば呼び止められた。
ここにも生活に必要な外国語は庶民に馴染みになっている。
山上の登山道やゴミ処理は整備されており、随所に石造のゴミ捨て場が
あり、清掃人がしょっちゅう綺麗にしている。食料を背負って登山する強力
とともに、生ゴミの山を背負って下山する強力もいた。
環境保全への強い姿勢が見られる。
富士山の登山道はこれほどきれいだろうか。

ホテルに入ってしばらくして物凄い雷雨があった。山も山なら雷雨も尋常
ではない。たちまち眼前の絶壁に白竜が昇るがごとき滝ができる。
それが強風に吹かれしぶきが空に舞う。息を呑んで見つめた。

ともかく黄山にたどり着き、充実した尾根歩きの一日であった。
一風呂浴びて、就寝。



第3日(8月25日) 黄山山上―――世界自然遺産を愉しむ――
            黄山の伝説・歴史・文芸

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