爆弾仕掛けたよ

(前頁より)



さて、IRA(アイルランド共和国軍)はどうして爆弾騒ぎを起こすのだろ
うか。彼らのサイドにも視点を置いて、憶良氏流に歴史から眺めてみ
よう。


もともとアイルランドはケルト民族の一派であるゲール族が住む島国
であった。
五世紀に聖パトリックが渡来して来てキリスト教を布教し神学や学問
が栄えていた。
アイルランド人は、アングロ・サクソン民族の支配しているイングランド
を侵略することはなかったが、イングランドはアイルランドを支配しよう
として、中世以降争いが続いて来た。




1172年に、ヘンリー二世が、首都ダブリンを占領した。
(『われ日本のベケットたらん』で述べた、カンタベリー大寺院の大司教
トーマス・べケットを暗殺した王である)

その後はアイルランド側も頑張って、侵略を防いで来たが、1534年に
至りヘンリー八世に征服され、イングランドの植民地となった。

ヘンリー八世は女好きで、王妃を6人取り替えた話は、天下に有名で
ある。
当時はローマ・カトリック教会であったから、離婚そのものも大変であり、
再婚につぐ再婚など許されるべくもない。そこでヘンリー八世は、自分
の離婚と再婚を容易にするためカンタベリー大寺院をローマ教皇庁か
ら独立させ、英国国教会を作った。

古いカトリック勢力にたいする宗教改革、プロテスタント活動でもあった。
かくしてイングランドでは英国国教会が支配的となり、カトリック教は次
第に圧迫され、被支配階級の宗教となっていった。

ヘンリー八世とその子エリザベス女王(一世)が支配したアイルランド
では、ブリティッシの植民者がプロテスタントとして支配階級となり、ア
イルランド人を借地農民として悲惨な生活を強いた。このため政治・宗
教の両面で深刻な対立が続いた。

しかしアイルランド人はカトリック信者として強いプライドを持っており、
容易にプロテスタントに改宗しなかった。




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