われ日本のベケットたらん

(前頁より)



ところが大司教に就任したベケットは、彼の言葉どおり、ひたすら神に
仕える敬虔な聖職者に変貌した。
神は王の上に存在し、王の支配を受けるものではないと主張したので
ある。ことごとに王の指図に反発し、王の介入を拒否した。特に王は教
会裁判権が欲しかったがベケットは厳しく拒んだ。寵愛していたベケッ
トだけに王は怒った。

1170年の12月、フランスの領地に滞在していた王は、酒の勢いもあ
って怒鳴った。

「もう我慢ならぬ。誰かあの生意気な牧師を黙らせる勇気ある者はい
ないのか」
4人の騎士が立ち上がり、刺客としてドーバー海峡を渡った。



年も暮れなんとする29日深夜、カンタベリー大寺院に侵入した刺客た
ちは、ベケットの首を撥ねた。

かくして王権は剣で教会を征服したかに見えたが、それは大いなる誤
算であった。




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