羅生門

ある日の暮れ方のことである。一人の下人が、羅生門の下で雨やみを待っていた。広い門の下には、この男のほかには誰もおらず、ただ、一匹のきりぎりすが柱にとまって鳴いているだけである。

近年、京都にはさまざまな災いがたてつづけに起こり、町はさびれる一方、この羅生門も荒れるがままに捨ておかれていた。やがて、その荒れ果てたのをよいことに、ここには引き取り手のない死人が捨てられるようになった。そんなわけもあって、人々はこの門に近寄ろうとしなかったのである。

さて、この下人もそんな不況の余波をくらって、長年使われていた主人から暇を出され、行き場をなくしてここにいる。夕方から降り出した雨は、いまだにあがる気配もない。

「さしあたり、明日の暮らしだけでもなんとかせねば……」

どうにもならない問題をとめどなく考えているうちに、あたりはすっかり闇におおわれ、下人は底冷えのする寒さに包まれた。風は、門の柱と柱の間を遠慮なく吹き抜け、さっきまで柱にとまっていたきりぎりすの姿も、もうそこにはない。

下人はひとつくしゃみをし、首をすくめて辺りを見回したが、雨風を逃れて一晩を過ごせる場所などありそうもない。ふとその時、幸いにも、門の上の楼へ上がるはしごが下人の目にとまった。楼の上には死人が捨てられていて気持ちのいいものではないが、この寒さの中で過ごすのに比べれば、それとていくらかましであろう。

下人は意を決し、はしごの一番下の段に足をかけた。

それから、何分かの後である。下人が羅生門の楼に上がってみると、そこには丸々と太った老婆がいた。そして、その周りには死体がごろごろと転がっている。

下人は言った。
「おのれ、こんなところで何をしている!?」

それまで熱心に女の死体から髪の毛をむしり取っていた老婆は、ゆっくりと下人の方を振り向いた。
「この髪を抜いてな、この髪を抜いてな、かつらにしようと思うたのじゃ。ああ、そりゃあこんなところで死人の髪の毛を抜くということは、なんぼう悪いかもしれぬ。じゃが、こうでもせねば、飢え死にしてしまうでのう……」

老婆は、その丸々と太ったお腹をポンポンと叩いて笑ってみせた。下人はそんな老婆に何ともいえぬ怒りがこみあげ、思わず胸もとにつかみかかった。
「では、おれが着物を盗んでも恨むまいな。おれもそうしなければ飢え死にする体なのだ」

そして、下人が老婆の着物をはぎ取ろうとした時だ。周りに倒れていた死体が急に起きあがり、下人に向かって口々に叫んだ。
「この痴漢野郎!!」
「こんな夜中に女を襲うとは!!」
「許しておけんぞ!!」

死体たちは下人に飛びかかり、殴ったり蹴ったりした。あまりの奇襲に、下人は一方的に痛めつけられるままである。

「やめろ。やめてくれ……」

しかし、死体たちはいっこうに攻撃の手を緩めず、さらには老婆も加勢して、下人を半殺しに近い状態にまでした。

「さあ、こんなけがらわしい奴は、ここから追い出してしまえ!」
「そうだ、そうだ。やっちまえ!!」

老婆と死体たちは、血だらけになって意識を失いかけている下人をはしごの口までひきずってゆき、その場で着物をはぎ取り、裸になった下人を蹴り飛ばした。

下人は、またたくまに、急なはしごにぶつかりながら夜の底へ落ちていった。

勝ち誇ったように笑っていた老婆は、しばらくの後、その短い白髪頭をさかさまにして、門の下をのぞきこんだ。外には、ただ、黒洞々たる夜があるばかりである。

下人のゆくえは、誰も知らない。


(C) Tadashi_Takezaki 2003