ミア 〜今日と明日をつなぐ声〜 (第3章)

「何をバカな……」

「嘘ですよ。怒んないでください。でも、結婚したいわけじゃないんです」

「じゃあ、どうしたいんだ?」

「それが自分でもわかんないから……」

突然、ミアの声が震えた。もしかして、泣いているのだろうか。

「ミア、どうした。大丈夫か」

「……」

「僕に、何かできることはあるか?」

「……大丈夫です。ごめんなさい。カッコ悪いですよね、私。何か、ヒロさんに甘えちゃってて」

「そんなことは気にしなくていい」

電話の向こうでは、ミアは目を真っ赤にしているに違いない。

「同じような毎日が続くことって、落ち着いてて幸せなんだと思ってました。本当にずっと、そう思ってたんです。だけど、今年になって、自分の年齢のことを考えたときに、その幸せが本当の幸せなんだろうかってちょっと考えちゃって……」

「気にするのはわかるよ。でも、30歳になるからって、特別に何かが変わるわけじゃない」

「それはわかってるつもりなんですけど。でも……。ああ、今日の私って、ダメですね。最悪……。ヒロさんに迷惑かけたくなかったのに」

「ミア……。自分を責めるな。誰だって、いつでも明るく元気でなんていられるわけない。落ち込むことだってあるし、悩むことだってあるさ。でも、それはそれでいいんだ。涙が出てしょうがないときは、素直に泣けばいい。ひとりで悩むのが辛かったら、相談してくれていいよ、僕でよければ」

「何で、年齢なんてあるんでしょうね。年齢がなければ、私、何も気にとめずにずっと幸せでいられたかもしれないのに」

「気になるのは、年齢だけじゃないよ。季節だって、時間だって同じさ。春の暖かい風に吹かれた瞬間や、朝日がのぼるのを見た瞬間にだって、人は何かを想うもんだ」

「そうですね。でも、どうして30歳って気にしちゃうんだろう。何だか世間に流されてるみたい」

「ミアがラジオを辞めたいって言って、僕は正直なところ、すごくショックを受けた。これまで続いてきた幸せに終止符を打つなんて勘弁してほしいと思った。だから、いてもたってもいられなくてミアに電話したんだ。でも、考えてみれば、これって僕のエゴだよな。番組を続けたいのって、僕個人のわがままなんだ。みんなの幸せと、自分の幸せを一緒にしちゃってた。今、やっとそれに気づいたよ。こんな夜中に電話してる僕こそ最悪だな……」

「そんなことないです。私は、私のことを気にして電話をしてきてくれるヒロさんに感謝してます。ヒロさんが独身だったら、きっと、もっと甘えちゃってたような気がします」

「…………」

「電話、ありがとうございました」

「うん。ラジオ、辞めるなら、それもいい。次に何をするか決めてなくてもな。それより、めいっぱい悩んで、悩むのに飽きて早く元気になれ」

「わかりました。じゃあ、おやすみなさい」

「おやすみ……」

ふと見上げた空は、もう白々と明るくなりはじめていた。僕は、自宅の玄関をくぐった。


1週間が過ぎ、次の金曜日がやってきた。

午後9時に僕がスタジオ入りしたときには、珍しく先にミアが来ていて、小さなテーブルのところでリスナーからの手紙を読んでいた。

「おはよう、ミア」

「おはようございます」

僕は、振り向いた一瞬のミアの表情をうかがってみたが、それはいつもとまったく変わらないものだった。ミアは、すぐに手紙に目を戻した。
テーブルの上には郵便物が山積みになっている。この番組には、毎週毎週、信じられないほどたくさんの手紙が送られてくる。それも、ミアの人気を示すひとつのバロメーターだ。リスナーはそれぞれが、自分の想いを手紙にしたためてミアにぶつけてくる。ミアはすべての手紙に素早く目を通し、今日の番組で取り上げるものをピックアップしていく。

僕はミキサーのハラ君と打ち合わせだ。

「これが今日のタイムテーブル」

「いち、に、さん……と、今日はこの3曲をかけるんですね。これはこっちの棚にあったな。あっ、ヒロさん、そこのラックからこの曲のCD取ってください」

タイムテーブルといっても簡単なものだが、60分間の放送で、何分何秒からどんなコーナーをやって、何分何秒にどの曲をかけるか、どこでCMを入れるかがすべて書きこまれている。ハラ君は曲とCMのテープを準備する。

「これでOKと……」

僕はスタジオ内の自動販売機で缶コーヒーを3つ買って、ミアとハラ君に手渡した。何事もない、いつもと同じ風景がそこにある。ハラ君がいつもの笑顔で話しかけてきた。

「そういえば、ヒロさん、元気になりました?」

「何が?」

「先週、豆腐屋ですっかり落ち込んでたじゃないですか」

「バーカ。このオレが落ち込んだりするわけないじゃないの。心配無用じゃ!!」

「ならいいですけど。やっぱヒロさんには元気でいてもらわないとね。この番組は元気の出る番組なんですから」

時計の針が10時50分を差した。ミアは、選んだ手紙を持ってブースに入る。椅子に腰掛けて、背筋をしゃんと伸ばす。マイクテストOK。ミキサールームに僕とハラ君。

午後11時。放送スタートだ。ハラ君がオープニング曲をかけて、音をしぼって……。僕がミアに合図を送る。

「みなさん、こんばんは。1週間のごぶさた、いかがお過ごしでしたか? 今日も聴いてくれてアリガト。この放送は、ワタクシ、いつも元気いっぱいミアがお送りします。では、最初のおたより。兵庫県のペンネームみゃおさんから。『私はミアさんと同じでもうすぐ30歳になる独身の女です。今まで仕事に命懸けでやってきたんだけど、何か最近仕事辞めて結婚しないとヤバいかなぁなんて思うようになりました。ミアさん、同じ立場からアドバイスしてください』ってことなんですが。そうですねぇ……。30歳って、結構考えがちなんですけど、別に何がどう変わるってわけじゃないし、やっぱり自分の思うようにやるしかないって気がする。みゃおさんが今でも仕事にやりがいを感じてるなら続けるし、嫌になったなら辞めるんですよ。無理して結婚相手を見つけるのもナンだし。自分の気持ちに素直になって、自分の信じる道を歩んでいきましょう!! なーんて、カッコつけすぎ? でも、私は自分で自分を信じてるからラジオを続けてまーす!!」

そのとき、ミアは僕の方をちらっと見て、一瞬微笑んだ。僕も、ミアに微笑み返した。

今日の放送が終わったら、明日がはじまる。僕の明日は、ミアの明日はどうなるのだろう。そして、番組を聴いているみんなの明日は?

明日が希望にあふれた日であることを願って、僕たちの番組は今日と明日をつないでいく。


(C) Tadashi_Takezaki 2003