賢者の箱 |
「さて、今日はみなさんに、チンパンジーがどんなに賢い生き物であるか、ひとつの実験をお見せいたしましょう。」 この研究所の責任者である私が言うと、見学に来ている小学生たちが歓声をあげた。 ここでは、主に動物の知能やさまざまな能力についての研究をおこなっており、ときどきこうやって一般の人が見学にやってくる。人手が足りないもので、こういう子供たちの相手も私がしなくてはならない。 「では、ガラスの向こうを見てください。」 子供たちの期待に満ちあふれた視線にこたえ、ガラスの向こうに1匹の愛らしいチンパンジーが現れた。 おもむろに、私は説明を続ける。 「このチンパンジーは、昨日から何も食べていません。だから、とってもお腹がすいているのです。さて、ここで…」 真っ白な天井に四角い小さな穴が開き、そこから、丈夫な糸で吊るされたバナナが降りてきた。 そして、床から3メートルくらいの高さでとまる。 「こうしますと、お腹のすいたチンパンジーは、何とかして、あのぶらさがっているバナナを欲しがるわけですね。」 案の定チンパンジーは、自分の背丈よりずっと高い所にあるバナナに向かって、何度も何度も跳びついた。しかし、その手は虚しく宙を切るばかりだ。 子供たちは、そんな必死のチンパンジーの姿を真剣に見つめている。 「さて、ここで部屋の中へ大小いくつかの箱を入れてみましょう。」 私は意味ありげな表情を作ってみたが、子供たちはチンパンジーに気を取られて、見向きもしない。 「さて、チンパンジーはどうするでしょう。」 白い壁の一部がスライドして、部屋の中に赤や青や、いろいろな色のついた箱が入れられた。 すると、今まで届かぬバナナに向かって果敢に跳び続けていたチンパンジーは、慌てて箱のところにやってくる。そして、箱を、ちょうどバナナのぶらさがっている下の辺りに運んでいき、せっせと組み立てはじめた。 ここまでじっと成り行きを見ていた私は、ここでおもむろに子供たちの方へ向きなおり、ひとつ咳ばらいをしてから、もっともらしく口を開いた。 「何度跳びついてもバナナに届かないことを理解したチンパンジーは、箱を積み重ねて、その上に上って、目的のバナナを手に入れるのです。このように、チンパンジーは、目的のために道具を使うという、人間と同じような知能を有する…」 しかし、私の言葉を聞いて、子供たちは生意気にも「えーっ」「嘘だぁ」なんて騒ぎはじめた。 「ちょっと、みなさん、静かに。」 私が何と言おうと子供たちのざわめきは止まらない。 「大人の話をちゃんと聞け!!」 私は腹を立てながら、くるりと振り返った。 「あ……」 呆然とした私の目に映ったのは、バナナに跳びつくのに疲れたのか、大小の箱を見事に組み合わせて作ったベッドで大の字になって寝息を立てているチンパンジーの姿であった。 |