風 日 好   ・・・ 今日は日和がよいけれど、明日はそうではないだろう 

     1月〜                               旧稿一覧


   1月某日  コンビニ弁当

 おめでとうございます。
 お正月にふさわしくない話で恐縮ですが。
 マータイ氏の「モッタイナイ!」を気にしてでしょうか、あるいは便乗宣伝にもなると思ってでしょうか、どこかのコンビニチェーンでは、毎日たくさん捨てられる賞味期限切れのコンビニ弁当を回収して飼料にするシステムを作る計画をしている、というニュースがありました。
 しかし、都会などでは、手を着けずに捨てられるそういった弁当を「個人的に回収」して、公園のテントなどで食事をしている人々もいると聞きます。となると、この度のコンビニチェーンの計画は、そういった人々の食糧事情に、かなりの影響を与えるのではないかとも心配されます。あるいはむしろ、そういった「個人的回収」をさせないようにすること、つまりテント村への「経済封鎖」にこそ、計画の隠された目的があるのかもしれませんが。
 けれどもまた別のニュースによれば、福岡県のある養豚農家で、回収業者が持ち込んだコンビニ弁当を母豚に毎日与えたところ、子豚に奇形や死産が相次いだということです(西日本新聞社「食卓の向こう側」)。 となると、「個人的回収」の封鎖は、結果的に、テント村住人の健康管理に資することになるのでしょうが、一方、チェーン店あげての「組織的回収」で全ての売れ残りコンビニ弁当が飼料になって、それを食べた奇形豚が大量に生産されて、その肉がコンビニ弁当の豚カツなって・・・という循環が始まるのでしょうか。
 もちろん、これらは全て、ニュースを読んだ読者側の、いい加減な憶測に過ぎません。本来ならば、記者の方々がもっとプロ意識をもって、例えばコンビニチェーンで「弁当回収」の発表があったとすれば、受け売り報道だけで終わりにせずに、少なくとも福岡県には取材をしてから記事を書いてほしいものです。
 テント村といえば、最近テレビでも、1ヶ月貧乏生活といった「面白」番組や、貧しい異国家族滞在記のような「感動」番組が流行りのようです。また、たまには、外国の貧しい子供が頑張って暮らしている姿を報道する「同情」番組などもあります。でも、「体当たりレポーター」を自称するアナウンサーやレポーターは掃いて捨てるほどいますが、ひとりの横山源之助もひとりの鎌田実もいないらしいのは、個人の問題ではなく、現在のマスコミの体質的問題なのでしょう。「体当たりレポーター」というのなら、例えば1ヶ月公園テント村で暮らすなり、あるいは派遣工場労働に従事するなりして、その「体験」を報道してほしいものですが。ま、視聴率の保証がないですからね。

   1月某日  いい加減な正月

 年末から年始にかけて、クリスマスを祝い、除夜の鐘を聴き、そして神社に初詣。例えばアメリカでは、非クリスチャンに配慮して、「メリークリスマス」ということばもやたらには使わないそうだが、われわれは実にいい加減というか気楽である。これからの受験シーズンには、菅原道真のような実在の人物はましな方で、語呂合わせの切符にまで合格を祈願したりする。
 実際には、宗教上の対立そのものが人を殺させるのはなく、現世での深刻な社会的対立や抗争が宗教の名で人を殺させるのであるのだろうし、またそのことについて、格別われわれが除外された伝統文化をもっているのではないことは、島原や伊勢長島などで殺された数万の人々を思い出すだけでも分かる。けれども、少なくともいまは、実にいい加減に切符や笹に祈る、馬鹿げた気楽さが安心である。
 関係ないが、そういえば、日本酒に焼酎、ビールにワイン、ウィスキーと、これまた実に節操のない、いい加減な正月であった。
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