link to Kimura's HP



七山セミナー その2

勤務医時代の仲間に会って、雑談したくて本郷に行ったが、いたのは偉い先生ばかり。
でもうれしかった一言。
その1:A名誉教授
私が開業した事を報告する前に、「インターネットで患者を集めて、大成功しているそうだね。」
私は昭和53年入局。当時の教授はN先生で、教室のテーマは癌の診療。前立腺癌の超音波診断を研究のテーマに与えられ、昭和59年に博士になった。昭和62年、A先生が教授に。同じ大学の先輩が教授になってくれるという点では東大は恵まれているが、A新教授が掲げた教室のテーマは腎移植。
私としては、9時5時の公務員生活から、24時間体勢のERへ、文科系サークルから体育会系クラブへ突然放り込まれたようでした。(そのころの新人のホープがりつ先生です。平成元年入局で、何日でも病院に泊り込むことが平気な新人でした。)
お前は、肛門に棒を突っ込んでエコーを撮っているが、指は突っ込んだか?お前みたいなのを棒屋というんだ」。A教授は逃げ道をあらかじめ塞いだ上で、たたみかけてくる、恐ろしい先生でした。
以来、前立腺は必ず触診するようにしています。PSAで前立腺癌が早期発見される時代、触って分かる癌などめったにないのですが、これはA教授の教えです。守り続けます。
その先生が、私の近況を知ってくださっているのに感激しました。「大成功などしていません。予定より早く軌道に乗っただけです。」とお答えしました。
その2:F教授

挨拶が長すぎる、年寄りみたいなので、この続きは次回。乾杯の音頭を頼まれただけなに、自分が新人だったころの話から長々としゃべり始める先生に似てきたようです。
A教授時代のことなら、愚痴がいくらでもつづきます。

2006年11月18日


[戻る]