南会津の城
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広大な会津地方には、戦国時代初期から有力の国人領主が居ました。伊達正宗の会津統一や秀吉の北条攻めへの参陣など経て、最終的には一国一条令によりすべて、廃城になっています。
現在では、開発に巻き込まれていない保存状態のよい中世の山城があります。(逆に整備しきれていない部分もありますが、壊されてしまうよりかはマシですねぇ。)
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鴫山城 |
所 在:福島県 南会津郡 田島町
地図[MapFanWeb] 交 通:会津線 会津田島駅下車 南へ徒歩10分 種 別:中世 山城 南北朝時代にこの一帯の国人領主だった長沼氏が、愛宕山に山城を築城。 戦国期には伊達の軍門に下り、以降伊達家家老として長沼氏は存続します。 上杉、蒲生時代に城代が入り改修工事が施され、徳川期に一国一城令により廃城となりました。 上写真は愛宕山のふもとにある蒲生時代に建てられた大門と呼ばれる石垣の遺構で、穴太積の石垣が見事に修復されています。 昭和60年ごろに町で修復工事を行うまでは、この城門の石垣や、空堀、上千畳、下千畳と呼ばれる曲輪は、野に埋もれていたらしいのですが、今は立派に整備されています。 この発掘調査報告書が、旧南会津郡所にて1200円で売られており、お堅い本ですがなかなかよいです。この本によると大門の石垣の修復は、滋賀県在住の穴太積みの伝統技術保有者の方が監修したそうです。 下写真は愛宕山の全容で、ふもとに頂上から八の字に、尾根づたいに曲輪、空堀りが続いているそうなんですが、木々が多いためあまりよく分かりません。山頂は岩肌が露出しており愛宕神社が祭られています。 |
久川城 |
所 在:福島県 南会津郡 伊南村
地図[MapFanWeb] 交 通:国道401号 伊南村 伊南川 西側の岸辺 種 別:中世 山城 国人領主の河原田氏が、戦国期に駒寄城から伊南川西側の高地に城を移し、伊達政宗の侵攻に備えて築城しました。伊達の攻撃には耐え、後の秀吉の北条攻めには参陣しなかったため、領地没収となりました。 その後、上杉、蒲生では城代が入り一国一城令で廃城。 上写真は本丸の空堀で結構大きなものです。近年、伊南村では公園化を進めており、あたり一面芝生が敷かれています。北側の登城口には、昭和30年ぐらいまで桝形の遺構があったそうなんですが現在はありません。南側出口の角馬出しと呼ばれる遺構は、かすかですが確認できます。 北側の登城口の近くは、久川城資料館がありますが、半分公民館みたいなもので展示物もわずかです。城の復元絵図がポスターになっていて無料で配布していました。(開館日が限定されているので注意) 下写真は久川城からみた伊南川と、写真の矢印の小さな山が、駒寄城址です。駒寄城は、まだ何の整備もされていないとの事です。見学を強行しましたが途中であきらめました。伊南村役場の隣の保育園の前に、西館と呼ばれる屋敷跡の土塁が残っています。 |
その他のみどころ
大桃の舞台 |
所 在:福島県 伊南村
地図[MapFanWeb] 交 通:国道401号 伊南村から尾瀬へ 約15Km大桃 村の農民が能などの娯楽で使用した、茅葺き屋根をもつ舞台です。現在のものは明治の再建ですが、珍しい文化財なので、国の重要有形民俗文化財の指定を受けています。 |
南泉寺の楼門 |
所 在:福島県 田島町
地図[MapFanWeb] 交 通:国道289号 田島町から南郷村方面へ 車で5分 城の櫓門を彷彿させるような茅葺き屋根の楼門です。実際に上まで登れて、鐘をつくことができます。 |