1994年7月 嫁さんと
”人は城なり”と言った武田信玄の居城で有名。 戦国の平城の水堀が残っているのは珍しんじゃないでしょうか。本丸跡には武田神社があります。
きっと江戸時代も武田信玄を敬ってこの城郭を保存したのでしょう。
1998年7月 一人で
今度はちゃんと見てまいりました。武田神社や宝物殿あたりは観光客でいっぱいです。
旧大手は神社の玄関になっている南側ではなく、東側になり大手馬出しの遺構がひっそりとありました。
神社の裏側の工事中のところに、野図積みの天守台があります。(工事で立入禁止区域でした。見つからないように!)
西側曲輪には人もまばらでその北側になると皆無ですが、北曲輪への桝形の遺構や土橋、天守台直下の空堀などなかなか良いですよ。
1998年7月 一人で
笹尾砦とも言います。武田信虎が信濃勢に備えるため建てた砦です。南側が釜無川の断崖になっていて、ものすごい高低差を誇っています。
一の郭、二の郭は整備され土塁が良好に保存されています。三の郭は薮、四は畑、五、六も薮となっています。
小淵沢駅から30分ほど歩いて行きました。物好きなヤツです。
1998年7月 一人で
勝頼が織田勢に対抗するため躑躅ヶ崎館を立ち退き、より実戦な地を求めて建てた城です。たくさんの曲輪がある広大な城で、
遺構はまるごと残っていますが整備はあまりされてなく、草木でよく確認できません。本丸にある想定復元図で思いを馳せましょう。
最寄りのJR新府駅は無人駅です。著名?な城のわりにはなんとなく地味な印象です。
1998年7月 一人で
この大胆な名前をもつ城は、躑躅ヶ崎館から北に2Kmほどの所にある独立峰にある山城で、躑躅ヶ崎館の詰城の意味合いがあったようです。
ものすごい急峻な山で、中腹から郭が階段状に続いています。山の麓には信玄産湯の井戸がある積翠寺があります。
1998年7月 一人で
甲府駅のすぐそばから高石垣がせまっています。現在甲府城は大規模な発掘調査を兼ねた整備工事中で、二の丸からは立入禁止でしたが、
少しだけ勝手に入り写真を撮っちゃいました。穴太積みの石垣による規模の大きな城で、本丸には切り込みハギなどの時代の新しい石垣もあります。
本丸内部には作業者の方がいたので登るのをあきらめました。それにしてもひときわ目立つあの馬鹿でかい塔はなんだろう?
1998年7月 一人で
勝沼ぶどう郷駅から南に30分ほど高台を降りると、きれいに整備された勝沼館跡があります。
土塁で囲まれた敷地に建物跡、井戸、厠跡があり、発掘調査の成果がそのまま表現されており、広くはありませんが説明看板も充実し、
水洗トイレなどもあるきれいな公園になっています。帰り駅へ向かう途中にワイン工場があり試飲で酔ってしまいました。駅からの眺めは最高です。
1998年7月 一人で
大月駅すぐ横にある山がそうですね。比高250mで上部分が岩肌がむき出しになった独立峰です。
この山はものすごい絶壁で上からはほぼ真下が眺められ、最高位の本丸跡には電波塔が立っています。岩を利用した城門跡も印象的です。
この山はほとんどが階段で夏に登る際は水が必須です。水を持たなかった私は死にかけました。
198X年X月 修学旅行で
ずいぶん昔のことですが、懐古園の門と天守台の石垣があり、裏手のはるか下に千曲川が流れていました。
懐古園の門の前には、ひなびた小さな遊園地がありました。 まだあるのかなぁ〜
2016年5月 家族で
上田城とセットで見てまいりました修学旅行以来でまさかもう一度来るなんて。
城が城下町より下にある穴城と呼ばれる縄張りで、千曲川の断崖を背に敵は一方向からしか攻められない仕組みになっております。
天守台の石垣が結構高く登ってみると柵もなく下半身がプルプルします。修学旅行の時はおじいさんが草笛ふいて歌っていたのを鮮明に覚えていたのですが、
草笛禅師横〇祖道のモニュメントがあってボタンを押すと録音したメロディが流れてきました。ぐぐってみましたが有名な人だったんですね。
城の南側の旧侍屋敷跡にはラブリーな動物園と遊園地はそのままですね。駅前もとってもラブリーで駅改札前は野菜直売のテーブルがありました。
1984年7月 一人で
関ヶ原の前哨戦で真田家が、この上田城で中山道を西進する徳川秀忠軍を苦しめ、関ヶ原に間に合わせなかったのは有名な話しです。
その後、他家が入封したにも関わらずこの町は六銭門一色です。 3つの櫓と、立派な内堀が残っています。
2009年5月 家族で
家族で行ったキャンプのついでに見てまいりました. 南北両櫓の間に櫓門が復元されています。
本当は城内をくるっと見て堀とか遺構の様子を見たかったのですが、テント設営の労働があるため先を急ぎました.
2016年5月 家族で
城の大手門前の二の丸の会館で大河ドラマ館真〇丸が開催され一緒に見てまいりました。天気も良く鎧武者のおもてなし隊もかなりの人気でしたよ。
駅も綺麗になってJR上田駅の表示横に六銭文のオブジェが誇らしげにありました。真っ赤なのぼりが街中に飾れられてテンション上がりますね。
1984年7月 一人で
姫路城のようなきれいな白い城もいいですが、無骨な黒い城も、戦国ぽくっていいですね。でも、この城は美しいです。池が天守を浮かせて見せているので神秘的ですね。
石垣がやや低いかなと思いますが、五層の現存天守ですので贅沢は言えません。
2017年5月 嫁さんと
ここは良いですね絵葉書の様な写真が撮れます。夜景も堪能して参りました。昔は外堀も兼ねていただろう川沿いが良い雰囲気の店が立ち並び馬肉を堪能しました。
松本市立美術館は同市出身である草間〇生の水玉だらけの大きなチューリップのオブジェが出迎えてくれました。原色の水玉攻撃が華やかで販売機までも水玉でした。
1984年7月 一人で
川中島の合戦で武田方の前線になった城です。 ここから飯を炊く煙を妻女山からみた謙信が、先手を打って兵を八幡原に一気にすすめました。
江戸時代初期に真田家が入封して、現在は石垣がわずかながら残っていて、付近には武家屋敷もあります。
ここの真田宝物展示館に、石田三成が真田家に出した、”関ヶ原には西軍の味方を”の内容の書状がなんと国宝になっていました。
2008年9月 家族で
善光寺と八幡原とセットで行ってまいりました。20年前の古い記憶がよみがえるのは刺激的なものです。
今となっては高速道路が南北を横切っており、妻女山からの鳥瞰には派手に横切って見えることでしょう。城内は昔と比べて恐ろしく過剰なほど整備されています。
誰もいない文武学校の武道の道場で娘達がダンスを披露してくれました。
2007年10月 家族で
北関東、長野道の高速道開設によりずいぶん長野が近くなりました。今回は諏訪湖と城をセットにして娘達も湖でボートに乗れたので大喜びです。
城の方は大河ドラマ「風○火○」の影響で本丸に臨時の土産物屋があり、ドラマや小説の度にその呼び名が変わる○○姫に便乗した商品がたくさんありました。
この復元天守閣は見目めは戦国期の過渡的なものですが、南北側と東西側では全く別の城に見えるほど意匠が異なるのがおもしろいところです。
どこまで正確に復元したのだろうか...
1984年7月 一人で
当時は謙信に夢中だったので、城址入り口にある銅像を見ただけで興奮したものでした。
土塁や、井戸、名の家来たちの屋敷跡などの遺構が随所に残っています。
山麓にある林泉寺は、謙信が幼少のころ修行した寺で、宝物殿には遺品が数多く展示されています。
1984年7月 一人で
家康の六男、忠輝が築城した城です。 石垣はなく土塁のみなのですが、とにかく広い。
外堀の内側には競技場、内堀の中には公共施設みたいな建物、おまけに、外堀には大きな池があって、ハスでいっぱいでした。
田舎の城をなめてはいけません。 城郭としての保存状態は都会と比べて良かったりします。
1992年X月 一人で
小さな城ですが櫓が一つ現存しており、この櫓は北陸独特の海鼠壁を持っていて美しかったです。
公園としても良く整備されております。
2013年7月 嫁さんと
御三階櫓が復元されており結構なことです。現存の二の丸隅櫓の中にも入れましたが人がいません防犯は大丈夫か?
あわせて復元された辰巳櫓付近から本丸にある陸上自衛隊がよく俯瞰できました。
2013年7月 嫁さんと
中世山城がそのまま江戸期の近代城郭になった稀有の城です。規模の大きな打込みハギの石垣が見られ奈良の高取城を思い出しました。
本丸で大阪からきたおじさんと城の話で盛り上がり全国60の城を行ったことを自慢。私はその倍ですがなにかと思ったが口に出すのはこらえた。
私にカメラの興味をもったらしくカメラの話をしながら一緒に下山した。ここは鮭の産地でありとにかく優しい味がする鮭を満喫したのであった。
1983年X月 友人と
市内の中心部にありますが、県庁所在地の割には小さな城です。 加賀藩の支藩だったのでやむ得ないところですね。
天守の石垣はオリジナルですが、天守自身は模擬天守だそうです。
1983年X月 友人と
何も無かった記憶がある。
1987年X月 友人と
前田利長が隠居城として築城した城です。 江戸時代に例の”一国一城令”にて廃止になった割のは、堀、石垣が立派に残っています。
古城公園として立派に第二の人生を歩んでいます。(変だなこの表現)
1983年X月 友人と
謙信が、七尾城を落したときに詠んだ”夜露は野陣に落ち...”の詩は有名かな。
遺構はあったようななかったような記憶がありませんが、眺めは、能登島などが一望できて最高でした。
1998年3月 一人で
”霜は軍営に満ちて...”でした。全然ちがっていましたね。1文字も正解がないじゃないか!!
私がいかにいいかげんな人間かというのを露呈しているようなもんです。遺構はたくさんあります。
本丸付近には立派な石垣もあります。景色が良いので★★★です。 本丸付近まで車で行けますが、城好きなら古道を歩いて登ってください。
これは命令です。
1983年X月 親と
ごぞんじ加賀百万石の本城です。 兼六園から本丸に向かうところに有名な海鼠壁をもつ石川門があります。
石川県の由来はここからきたのかな。 実物はかなり大きいですが、本丸の中は金沢大学の敷地になっていて入れません。残念!!
2015年5月 家族と
北陸新幹線開通後、家族で行ってまいりました。金沢大学移設後初めての見学で、五十間長屋や菱櫓など復元されて結構なことですが本丸は森でした。
鯉喉櫓台付近で見られる四段の高石垣は見事ですね。また玉泉院庭園奥で見られる色紙短冊積石垣が矩形のパッチワークが美しい思いました。
このあたりもなかなかの落差である。
1984年X月 一人で
加賀一向一揆の拠点となった山城で、空掘、土塁などが残っていました。 本丸跡に慰霊碑もありました。
一部、発掘調査の途中らしく塁石にシートがかぶせてありました。
1998年6月 一人で
本丸の桝形の石垣が復元されていて、本丸、二の丸に建造物跡を示す指標があります。その後の発掘調査の成果でしょう。
本丸と後二の丸の構成や、三段で構成されている後三の丸など、なかなか絶妙な普請をしており、お勧めの城ですね。
鳥越城の出城であった、二曲城とともに見学するといいでしょう。
1998年3月 一人で
能登半島の口をあけた湾の北側になり、七尾からは能登島を挟んで対面になるのかな?
湾を見下ろす小山山頂に、本丸等のたくさんの曲輪があります。
山頂の看板には縄張図が無いので、麓の史料館で穴水城跡の調査報告書を買ってから、城に行くと良いでしょう。
1998年4月 一人で
前田家の隠居城として築城されました。旧本丸にあたる高校のグランドの南端に、切込ハギのかわいい天守台が残っています。
三の丸は公園となっていて遺構は見当たりませんが、市役所横に城門の遺構がほんの少しだけ残っています。
この地は城より安宅の関(勧進帳の舞台となったところ)のほうが有名かな?
1998年4月 一人で
錦城山に中世山城の遺構があり、麓には、前田家の分家である大聖寺藩の館が、近世に営まれています。
藩主の別邸である長流亭が残っており、重要文化財に指定されています。川を挟んで見る長流亭の風景は、城の本で良く見るアングルです。
1998年6月 一人で
まったく行く予定もなく、知識もなかったのですが、鳥越城見学の帰りに偶然、看板を見つけた城です。
本丸まで40分ほどの登山でつらかったですが、苦労する価値はあります。小さい城ながら、立派な中世山城の要素を十分に持っている城です。
二の丸の角馬出しが状態よく残っています。手作りの説明看板がとても好感がもてますよ。
1983年9月 友人と
この武骨な現存天守はとてもよい。 戦国のにおいがぷんぷんします。
角川映画”戦国自衛隊”の撮影で使われた話は有名です。 なぜ、この城が国宝にならないか知ってますか?
昭和23年の福井震災で一度倒壊してしまい、修復されているので重文にとどまっています。
1998年5月 一人で
久し振りにまた来てしまいました。たくさんの人が天守に登っていたので、天守が壊れてしまうんじゃないかと思いました。
丸岡城名物の急階段も健在で、皆さんキャッキャ言いながら登っていました。
2019年9月 嫁さんと
車で来てしまいました東尋坊とセットです。懐かしいですね何も変わっていません。最初に来た時誰もいなかったので横になって昼寝したのを思い出しました。
周りは駐車場や東屋みたいな施設が綺麗に出来ていました。当時の水堀が残ってると良かったのですが日本の城が淘汰されていく中でこの北陸の小さな城が現存しているのは奇跡ですね。
1985年X月 一人で
ここもすごい。 館跡の礎石などが残っていますが、その大きさにびっくりします。
まわりにも屋敷、井戸の跡などたくさんあり、背後の山の中腹には庭の跡があります。
今でも庭石なのど遺構がはっきりとわかります。 山の上には砦跡があるということで、かんばって登りましたが、途中で道がなくなってしまってあきらめました。
この辺一帯の遺跡を見ていると、戦国の悲惨さを実感できます。
1985年X月 友人と
町の真ん中にある小山の頂上に、野面積みの石垣があり、かわいらしい天守が復興されています。
天守からはもちろん町が見渡せて、この城より高いものは何一つありません。言っちゃ悪いのですが、大野市はかなり田舎です。
でも、お城のある町というのはいいですね。
清水が湧くのでも有名なところです。
1985年X月 友人と
立派な堀、石垣が残っていますが、なんと本丸跡に県庁ビルが、天守の代わりといわんばかりに鎮座しています。
これはイメージが悪いですね。 すくなくともビルはよろしくないんじゃないかな?
1998年5月 一人で
今度は良く見てまいりました。県庁ビルの横にある控天守台、天守台ともに完成度の高い切込ハギによる石垣です。
1941年の福井震災の影響で、天守台は半壊したまま保存され上面がうねっているのがよくわかります。
天守台近くには、福井の名称の元になった福の井もあります。
1985年X月 友人と
小さな公園に、柴田勝家の銅像と碑石、鬼瓦がありました。
となりのショッピングアーケードの名前は、”北ノ庄ショッピングセンター”だったかな?
まあ、ここに七層の名城があったことは、知るよしもありません。
1998年5月 一人で
柴田神社は整備工事中で、柴田勝家の銅像付近はきれいに整備されています。いつのまにか、柴田勝家像の隣には、お市の像が立っていました。
像の前には、5mほど地下を掘ったところにある、北ノ庄城の石垣の一部を公開しています。発掘調査のせいか、昔みた時とずいぶんレイアウトが変わっているようです。
1998年5月 一人で
ただのお寺ではありません。丸岡城から東に4kmにある山中で、丸岡城の前身の城郭でもあり、一向一揆軍の居城となった寺院群で、
石垣や庭園跡などの遺構も見られます。ところどころに坊の跡と思われる石垣がたくさんありますよ。見学しているのは私一人でした。
1996年7月 嫁さんと
この城は、野面積みの石垣で有名です。 野面積みといっても小さな石を想像していたのですが、1つ1つの石は結構大型なのでびっくりしました。
城山の下からの眺めで木やビルなどが邪魔して、城を仰ぎ見ることができないのが少し残念です。
2017年8月 家族で
大河ドラマ館、おんな城主〇虎を目当てに車で来てしまいました物好きな奴です。お城は随分小ぎれいになって木造で城門が復元されていました中もちゃんと入れます。
市内から北へ随分離れますが井伊家発祥の井伊谷も行って参りました菩提寺はもちろん井伊家が匿った後醍醐天皇四皇子宗良親王を祭った井伊谷宮があります。
建武中興十五社制覇を目指す者にとっては重要なミッションです。
1996年7月 嫁さんと
天竜川を背後した高台に、築城されている戦国の城で、かわいい天守台が残っています。
家康の長男、信康がこの城で自刃しているので、近くの寺に霊廟があります。(行ってないけど)
1998年2月 一人で
家康と勝頼で何回か争奪戦があった城ですね。城のある鶴翁山は標高100mほどなんですが切り立った孤峰で天然の要害になっており、
山はU型になっていて西峰、東峰と別れています。
東峰は、西峰よりやや高く本丸、三の丸、その他の曲輪があり、西峰には、西の丸、二の丸などがあります。
西峰先端の堂の尾曲輪には切割(堀切)の遺構が良く残っています。西峰の馬場の展望台で尺八を吹いているおじさんがいました。
1998年2月 一人で
高天神城からパスを乗り継いで行きました。始めは甘く見ていたのですが、藩城の平山城ということもあり、なかなか立派な城です。
本丸は公園化工事の最中なので中に入れませんが、本丸、西の丸の掘は土塁による立派なものです。
北の丸の背後の松尾山には、10mほどの深い空掘りもみられます。
1998年2月 一人で
土塁の上に復元天守が建っています。この城は天守より現存する二の丸御殿の方が有名かもしれません。
初めて御殿を見学することができましたが、意外と質素な印象をうけましたね。
天守の最上階では係りのおじさんがいろいろ説明してくれたのでよかったです。>静岡は親切な人が多い!
1998年2月 一人で
この城はマニアには有名ですよね? 円郭式縄張をもつ数少ない城です。(他の城であるのかなぁ?)
本丸は中学校と小学校になっていて、遺構は二の丸と三の丸の掘がごく一部残っています。
旧二の丸、三の丸あたりの街の道が、弧状に走っているので感動ですね。 城の南側に田中城下屋敷が整備されていて、本丸櫓や茶室などが移築されています。
1998年2月 一人で
ここもいい城です。北城と南城と呼ばれる2つの城により構成されています。
北城は今川氏による丸子城の築城当時のエリアで、後に武田氏が大増築を行い、曲輪づたいに新しく本丸を置いたのが南城とされています。
曲輪の状態は良好で、深い掘、竪堀、掘割など見所はたくさんありますが、唯一の欠点は東名高速の近くなので結構うるさいのです。
1998年2月 一人で
広大な輪郭式の城です。二の丸の掘は完全に残って駿府公園になっており、南角には巽櫓と東御門が復元されています。
ともに大きな建造物で見学も可能です。巽櫓を英語で SOUTHEAST TOWER と紹介していました。二の丸の東半分は公園の整備工事中で、日本庭園を作るそうです。
三の丸の掘は半分ほど残っており、県庁、その他公共施設、6つほどの小中高学校があります。
2006年11月 家族で
法事の後に寄ってきました。天守台の写真を見たことなかったので疑問に思っていたのですが、戦時中陸軍施設のために更地にされてしまったそうです。
家康手植のミカンなど新しい発見でした。
1998年2月 一人で
駿府の館を守るために作られた砦の一つで、頂上の狭い本丸には愛宕神社が鎮座しています。
二の丸、三の丸らしき広場もあり、その他曲輪や帯曲輪らしきものもありますが、縄張図がないので良く分かりません。遺構は比較的良好です。
1998年3月 一人で
ついに念願の山中城に行ってまいりました。駅から少し遠かったのと、少し雪が残っていたこと、寒かったことを除けばいうことありません。
あまりにも整備されすぎて西の丸、西櫓付近では、バカでかい盆栽の中を歩いている様でした。このあたりの障子掘はやはり圧巻です。
夏の芝生がきれいな時に、もう一度行きたいですね。
2024年2月 嫁さんと
戦国時代に早雲が築城し関ヶ原後に廃城になった城ですね。高校の裏山に曲輪跡、城沼もあり本丸からは富士山が綺麗に見えました。
近くには田んぼの真ん中にほつねんとある頼朝配流の蛭ヶ島は、新旧石碑と東屋があり、信じられないほど安価なお蕎麦は絶品でした。
この地は幕末に大砲鋳造のために建造された反射炉も有名で、立派な史料館も隣接しおり江戸防衛のための施設の解説が詳しく展示されてます。
この反射炉が非常にフォトジェニックでいろんな角度から良い写真が撮れますよ。
また旧代官邸である広大な江川邸では、幕末の偉人江川英龍関連の展示がありました。
恥ずかしながらこの人の存在は初見でしたがなかなかの人物のようです。
2024年2月 嫁さんと
ギャグで載せてます。新幹線車窓からよく映えるこの城は何時か行ってみたいと子供の事から思ってました。
昭和のレトロ感をバカにしてましたが有名な城郭画家の萩原氏の展示がありびっくり感動しました。展望台からの景色は絶景ですね。
ゴジラの印刷された御城印を買ってしまいました。
昔のゴジラ映画はその時代の有名なランドマークを壊していったものですよ。1962年に今と比べて笑っちゃうぐらい可愛いキングコングとの決闘で破壊されました。
1995年9月 一人で
出張帰りにふらっと寄りました。 一通りの復元天守と櫓を見たつもりだったのですが、後で清須櫓を見ていなかったことに気がつき、
くやしい思いをしました。天守はぜひ現存で見たかった城ですね。 あぁ、戦争が恨めしい!!
2013年4月 家族で
本丸御殿が再建中で工事現場を見学してきました。最近大きな寺でも良くこの手法が見られる。二の丸ではイケメン武将のおもてなし隊がパフォーマンスで結構な盛況。
商工会議所の役人と違い芸名出さないが彼らはプロだね。しかし三英傑に加え家長、慶次、清正と登場人物は豊富だなぁ。
東南隅櫓の中に入れましたが西南隅櫓は工事中でした。清須櫓が西北隅櫓だったことは後から気がつきましたが今回も割愛。
2023年3月 嫁さんと
本丸御殿と御城印メインで行ってまいりました。今回は早朝に名城公園からくるっと散策、西北隅櫓の清須櫓も見て参りました。
現存の小天守閣に匹敵する容積をもつ大型現存櫓に御満悦ですね。天守閣は木造再建に向けて未公開でしたが、
最近、木造再建された本丸御殿は何と30分待ち、何時からみんなこんなに城好きになってしまったんだろうか。
二の丸東西の門近くには金シャチ横丁なる真新しい飯屋通りが出来、名古屋の名物が堪能できるようですね。
大阪城や熊本城にもこのような横丁が出来ておりホント日本人は食うことばっかり。
今回は徳川園にも行ってまいりました。家康没後、御三家等に”御分物”と言って遺品を分配した尾張徳川家の物が展示、
家康着用の淡い青のカニの絵が入った浴衣が気に入り欲しいと思った。その他、国宝の短刀、工芸品、源氏物語絵巻などです。
1996年7月 嫁さんと
ご存知、国宝の現存天守です。 名鉄の犬山駅から城を目指して歩くと、城下町の雰囲気が味わえます。
天守の最上階に登ると強風のため天守が少しゆれたので恐かったです。 少し歩いて木曽川を渡り、岐阜県側から天守を眺めるのもいいです。
2013年4月 家族で
GW期間中で快晴も恵まれ物凄い人。最場階がキィキィ鳴ってなってスリルを味わってしまいました。
タクシーのおじさんによるとテレビで城好き芸人のAが犬山城をベタ褒めしたこともあり観光客が増えているそうな。
娘たちも好評で鉄筋コンクリ名古屋城よりもこちらの方が好評のようだ。
2023年11月 嫁さんと
今回はレンタカーで各務原航空宇宙博物館に行ってから岐阜県側から木曽川を渡り来てしまいました。
橋を渡る手前から私だけ車を降りテンション上がりまくりの中、レンズをとっかえひっかえしながら写真をたくさん取りながら駐車場で合流しました。
生きてて良かったと思う瞬間ですね。よく知られるフォトジェニックな光景が沢山撮れて満足なのだ。
相変わらず人がいっぱいでいかにもC国の人らしい方々が最上階の高欄で下にいる仲間らしき人に奇声を発しているではないか。
ここの高欄は柵が低くしかも緩やかに斜めっているので皆さんおどおどしながらいるのに全く迷惑なもんです。
成瀬氏歴代当主のポートレートの額が飾られており当然明治以降は写真となるわけですが、最後の方の写真がほほえましくて笑ってしまった。、
城正面にある城下町も良く残っていてすばらしい、お手頃価格の団子を食べたのだ。
1996年7月 嫁さんと
平山城で、水堀、空掘などよく残っているのですが、天守横には大きな木が幾本もあるため、下から復元天守を仰ぎ見ることができないのが残念ですね。
木を切れともいえないし難しいところです。 公園として非常に整備されて、徳川家康の銅像があります。
2023年3月 嫁さんと
どうする○○で行って参りました。例の〇HK大河ドラマ館が大盛況。臨時の観光案内所と御土産屋さんもごった返しで八丁味噌を買ってきました。
遠い昔の記憶を遡りましたが本多忠勝の銅像は微かに思い出したかな。清海掘と呼ばれる結構な深さを誇る湾曲した空堀が良いですね。
今回は西側の外堀を半周くるっと回って来ましたが高い木々に遮られて天守閣の全貌は見えないですね。御城印を売っているカウンタ傍に記念メダル販売機があるではないか。
例の日付と名前が打てる刻印機もありなつかしくて涙が出そうでした。
天守閣の回廊には松平の菩提寺である大樹寺まで、視界を遮らない市の条例があり、マンション等の建造物は立てられてずにビスタラインと称して紹介されていました。
三脚が固定されたテレスコープが常設されていて覗いてみましたがちょっとした森が建物の間に見える程度でお寺は明確に確認できませんでしたね。
これはむしろ大樹寺の方から確認された方が良いです。本堂から山門、さらに小学校敷地にある小さな門の奥にちゃんと岡崎城の天守閣が望遠レンズで確認できました。
約3kmありますが条例はちゃんと守られていますね。
1996年7月 嫁さんと
有名な長篠の合戦で奥平家が死守した城で、土塁などが若干残っていいます。本丸跡には小さな資料館があり、
奥平家の家宝とされていた血染めの陣太鼓が印象的でした。
この辺一体は、XXの陣跡、鳥居強右衛門磔の跡、杯井など数多くの見所がありますが全部を見学するには、まる一日必要でしょう。
ちなみに鳥居強右衛門の鳥居は、飯田線の長篠城駅の手前の、駅の名前になっています。義を通して死んだ人は、語り継がれるものです。
1996年7月 嫁さんと
結構大きな城址公園で、行ったときはちょうど夏祭の最中であり、市民が大勢参加していました。
公園の一番奥に鉄櫓が復興されており、背後の豊川側から見ると石垣などもよく見れた様ですが、暗くなったのであきらめました。
2023年3月 嫁さんと
どうする○○で行って参りました。「若き家康と戦った一向一揆」の幟がとってもラブリーで寺の裏手の空き地に臨時駐車場と立派な簡易トイレ。
ちゃんと空堀が残っておりあいにくの雨で水が溜まっていました。本堂は結構大きく中では住職が直接御城印を売ってました。
アイコンである鼓楼はさながら隅櫓的な感じであり、内堀とマッチしてますが残念ながら江戸時代の建造物の様です。
前記のドラマではアミューズメントパークみたいな過剰な演出がありましたが、今は至って真面目なお寺です。
説明看板が充実しておりもっと大きな外堀が存在していたようですね。失礼ながらこの辺は田舎であり、岡崎に向かって西の矢作川を渡ったら急に都会になってビックリ。
2023年11月 嫁さんと
ここはすごい。平坦な地にそびえる小山で先の大〇ドラマでもここの合戦シーンはハイライトの一つでしたね。
何がすごいかっていうと山裾西半分に曲輪跡が連なっており、これが信長の清州から岐阜に移転するまでの屋敷跡だったという事実、
これは勉強不足で恥ずかしい限りです。それぞれの曲輪に学術的な記号がついており説明看板も充実しておりますね。
南側の大手門付近には例の合戦で徳川側が改修した広大な二重堀が再現され、四天王で一番地味な榊原何某がフィーチャ―されたのを思い出しました。
山頂付近にも発掘か再現なんだかわからない改修中の石垣がゴロゴロしており、ブルーシートで覆われている箇所も沢山あり興奮しましたね。
特筆すべきは山頂にある小牧山歴史館、個人的な話で恐縮ですが私が10歳そこそこの時に買った戦国の城という本にこの真新しい歴史館が紹介され、
その写真が妙に海馬に焼きついており、人生還暦をすぎてやっと巡り合えた感がひしひし。
外観は経年を隠しきれませんが思ったより大きな建物でした。中は改装されて綺麗でしたよ。
1985年X月 弟と
”美濃を制するものは、天下を制する”とはよく言ったもので、この山は標高300m程度の山なのですが、これ以南には山がなく濃尾平野が広がっており、まさに天下を手中にした気分になります。
北側は急峻な崖があり、下には長良川が流れていて、軍事的に重要な場所であることがよく分かります。
頂上には模擬天守があり、遺構は井戸の跡くらいしか分からなかったかな?(もう忘れてしまいました)
2021年5月 一人で
中部地区の出張前泊で行ってまいりました。
岐阜駅観光案内所にあった官能小説でなく信長の野望のイラストで有名な作家さんの道三、信長、光秀のイラストでテンション上がりまくり。
稲葉山麓で発掘調査が進行中の織田信長居館跡はかなりの規模で、地上の楽園と呼ばれた宮殿の復元イメージのCG看板でこれまたテンション上がりまくり。
ロープウェイとお城は昔のままでしたが、天気が悪く自慢の展望も雲の合間に見え隠れする程度でした残念。
鵜飼見学で使われるであろう停泊中の屋形船を観つつ長良川をわたって、稲葉山の対岸あたりの長良川うかいミュージアにあるバカでかい鵜のオブジェに微笑を浮かべつつ
鵜匠の方々は宮内庁職員待遇と聞いてビックリ。チャップリンが来日した際に見学したそうな。
2023年11月 嫁さんと
嫁さんが岐阜にまだ行ったことないというので岐阜駅前のホテル泊でいって参りました。
城は相変わらずですが垣間見る晴れ間からの展望は物凄く効いて、犬山城,小牧山城,遠くはナゴヤドーム含む高層ビル群など200m望遠レンズで確認できました。
今回は整備工事が終わった麓の信長公居館跡をじっくり見てまいりました。精巧な3Dモデルがあるのだからいっその事復元しちゃいなと思いますね。
印象的な五重塔は大正期に建てられたものです。ロープウェイ駅で織部焼のお皿を買ったのだ。
岐阜駅前のクリスマスバージョンでデコレーションされた黄金の信長像が映えます。
45階ビル最上階から夜景を楽しみましたがこのビル部屋明かりがなく暗い。駅前なのに寂しい一角もあり不思議な感じですね。
1985年X月 弟と
現在は、ほとんどの堀は埋められてしまい、グランドの真ん中にポツンと四層の復元天守が建っています。
関ヶ原で、合戦まで西軍が拠点とした城であり、史跡として重要な建造物として戦前は国宝でした。(うぅ、戦争が恨めしい!!>2回目)
2023年11月 嫁さんと
どうする○○で関ヶ原とセットで行って参りました。関ヶ原の真新しい記念館はいっぱい人が居ましたがこちらはそれほどでもないかな。
随分前に行った時よりも塀やら櫓やら復元された感じがしますねあか抜けた感じがします。天守閣には関ヶ原の前哨戦となった戦のパネルが充実していました。
最上階から西に望むと伊吹山と鈴鹿系山脈の間隙に関ヶ原がある様子がよくわかる立地ですね。東にはビルの合間から特徴的な山頂にある岐阜城が肉眼でも確認できました。
199?年7月 一人で
いわゆる、お代官様が詰めていた陣屋の建物が残っています。 この地は大規模な農民による叛乱があったらしく、
その関係の展示があったような記憶があります。陣屋の背後に、天守台がある小山があったのですが見ませんでした。
城下がよく保存されているのですが、これもよく見ませんでした。
2023年3月 嫁さんと
三大山城に誇るこの城を苗木城とセットで見てまいりました。麓の旧藩主邸に歴史史料館があり藩校知新館の太鼓櫓が映えます。
ここから本丸までは800mと距離がありますがいくつかの門、土橋、井戸、郭、神社の遺構を眺めつつ説明看板充実しているので城好きであれば苦にならないのだ。
圧巻は本丸にある六段壁、多くの城好きがそこで絶頂を迎えます。信長は武田滅亡の報告をこの城で聞いたそうな本能寺の80日前と聞いてビックリ。
これだけの遺構を誇りながらなぜこの城が県指定史跡に留まっているのだろうか。うちの近くの田んぼの中の中世城跡でも国史跡なのにね。
麓に城下町があり御城印もゲットできます。戦国期に女城代が居たことで女城主をフィーチャ―するのは二番煎茶な感がしないでもない。
2023年3月 嫁さんと
登城前の看板に転落の危険があるから自己責任の警告にテンションMAX。
足軽長屋跡から見る城の全貌で三ツ星決定。建造物は無いものの巨石軍とらせん状に積みあがった石垣は合戦シーンのCGの存在感。
元々あっただろう大岩を活用して幾何学的な積み上った笠間大矢倉跡が素晴らしく、頂上には存在感ばっちりの巨石上に三層の天守があったそうな。
今は城の柱跡に木製で展望台が構築されており、そこからの眺めがまた素晴らしい。眼下には渓谷化した木曽川と、雄大な恵那山を西に眺め中津川の市街が一望。
真下には城の礎石もうかがえる郭跡が展開。さらにその下には伐採整備中の茂みに中には帯郭らしきものも確認でき井戸跡もあったのだ。
関ヶ原から維新まで存続した遠山氏の冠がある麓の苗木遠山史料館にこの城の模型があり、
所謂白壁と破風、鯱の建造物ではなく、赤っぽい漆喰の土塀や長屋と板状で葺かれた建造物が所狭しと要塞化した構図は、軍艦島を彷彿する感じで新鮮味がありましたね。
岩村城と優越を付けろとなると、そのユニークさと全容が俯瞰できることと本丸から見る絶景を踏まえ「苗木城をおすすめっ。」(某国営番組風)
2023年11月 嫁さんと
長良川堤防沿いにある模擬天守がありますが城は見えるもののなかなか辿り着けないし明確な駐車場もないし難儀しました。
街の真ん中にあるお城ではなく河川域の中の砦的な感じで今となっては近年の治水堤防浚渫の餌食となり遺構は無いみたいですね。
昭和初期の古い写真パネルでの紹介がありました。古地図や文献から木下藤吉郎の活躍が垣間見れ一夜城出土の兜のありました。
最上階からみる長良川の向こうにはこれまた岐阜城金華山や名古屋駅周辺の高層ビルも見えましたね。
2023年11月 嫁さんと
金森長近が晩年に築城した城で野面積みの石垣が結構残ってますね。二の丸から本丸にあがる当時の石段が残っており素晴らしい。
これまた物置になってるユニークな模擬櫓がこの城のアイコンかな?石垣の方が文化財的には価値があると思いますよ。
本丸は公園になってます誰も居ませんでしたが。山頂には三層櫓を模した簡易展望台があるようですが時間がないのでスキップしたのだ。
ここで有名なのは完璧に残っているその城下で、うだつの上がる街並みではじめてそのうだつとやらを堪能したのだった。
確かに手の込んだその造りは瓦の芸術というか作品が屋根に乗っかってる感じで金が掛かってますね。機能的には火災時に延焼を防ぐ防火壁の役割もあったそうな。
せっかくなので高価な美濃和紙製の御城印を買ってしまいましたが後悔はありません。
197X年X月 父、弟と
ずいぶん昔の話しなのでよく覚えていませんが、石垣がかなり高かったので足がすくんだのは覚えています。
この城が木造による復興天守であるのを知ったのは、ずいぶん後のことです。