蒼い Photograph

光と影の中で 腕を組んでいる

一度破いてテ−プで貼った 蒼いフォトグラフ

 

今一瞬あなたが好きよ 明日になればわからないわ

港の引き込み線を 渡る時 そうつぶやいた

みんな重い見えない荷物 肩の上に抱えてたわ

それでも何故か明るい 顔して歩いてたっけ

いつも悩みを相談した あなたにも話せない 時が来たの

写真はセピア色に 褪せる日が来ても

輝いた季節(とき) 忘れないでね 蒼いフォトグラフ

 

次に誰か好きになっても こんなピュアに愛せないわ

一番奇麗な風に あなたと吹かれてたから

いつも何かに傷ついてた そんなとこ 二人共 よく似てたね

いつか何処かで逢っても 変わらないねって

今の青さを失くさないでね 蒼いフォトグラフ

光と影の中で 腕を組んでいる

一度破いてテ−プで貼った 蒼いフォトグラフ

− 松田聖子 −

私たちの生活の中には自然の音、生活の音などさまざまの音が聞こえます。木々のざわめき、木と木が擦れ合うギシギシという音、竹

林の孟宗竹がぶつかり合う ポン・・ポン という自然の音、それだけでなく車の騒音や実生活のさまざまの音に囲まれている。とても音を

たのしむとはいかない。昔の人は音についてこまやかな神経をもっていた。水琴窟(すいきんくつ)をご存知だろうか。猛暑の日々に

はせめて、涼しげな音をききたいもの。すずむし、ひぐらし、鐘の音もいい。でも水琴窟にはかなわないだろう。ぽぽん、ぽん、ぽぽん

と静かな音が地中からかすかなにきこえてくる。こんこんとくぐもった金属音にもなる。ぽぽんの清音のあとの余韻がまたいい。あたりに

涼気が漂うのである。余韻の美学の頂点に立つものといってよいだろう。昔の人は風音にまじるこの微妙な音をたのしむゆとりをあわ

せ持っていた。あわただしく世知辛い今の世の中ではあまりにも悠長に映るだろう。豊かでなくても心にゆとりがあれば水琴窟でもつく

ってみられたらどうだろうか。手水鉢(ちょうずばち)やつくばいの近くに、つりがね状のかめを伏せて地中に埋め込む、中を空洞にし

ておく。かめの底にあけた穴から水がしたたり落ちると、水滴の音が反響して妙音をだす仕掛けをつくる。それを聴いて楽しむのが水

琴窟だ。造園技術の最高傑作の一つだといえる。地下からきこえてくるしめやかで繊細な音の世界はメルヘンの世界であり、なかなか

の味わいである。

夏の風物といえば、セミとホタルとアユでしょうか。セミの中では珍しく春から初夏にかけて鳴くのでその名のあるハルゼミ。ヒグラ

シに体長も構造(腹部の大部分が共鳴室になっている)も似ている。初夏、松林から、カラカラミ‐ン・ミ‐ンと聞こえるしわがれ声の

合唱が耳に入る。日本のセミの幕開けとして出現する。特徴としては何匹ものオスがいっせいに鳴き始め、しばらくすると再びもと

の静寂にもどる。そのうちまた思い出したように鳴きだし、すぐ鳴きやむ。晴れていて近くを汽車や飛行機が通ると、その音をきっ

かけに鳴き始めることがしばしばある。ただ鳴き声を多く聞くわりには姿はなかなか見られない。春告鳥のウグイスも姿をみせない

忍者のようだが、ハルゼミもよく似ている。もっともこれらは昔の話で、当地の山陰地方ではマツクイムシの大発生で、ほとんどの

松林は姿を消した。当然に松林にしか生息しないハルゼミは減少し、マツ枯れ防止の薬剤の空中散布が更なる減少へと拍車を

かけることになった。今では幻のハルゼミになってしまった。風薫る五月は春と夏との二つの季行き交う時だ。うららかな春を待つ

身には早春ばかり長く、陽春はあっという間に初夏に移ってしまう。桜が散り惜しまれつつ春が行くとき、新しい季節の夏がすでに

始まっている。香し爽やかな五月の薫風が、新緑を揺らします。

麦穂(バクスイ)たゆたう麦畑

長門市日置町

5月21日は小満です。小満とは立夏から数えて15日目頃を指す。陽気が良くなって、万物の成長する気が次第に長じて天地に満ち

始めることから小満といわれます。ようやく暑さも加わり、麦の穂が育ち、山野の草木が実をつけ始め、紅花が盛んに咲き乱れます。

梅の実がなり、西日本では、走り梅雨がみられる頃。田植えを始める頃でもあります。具体的には秋に蒔〔ま〕いた麦などの穂がつく

頃で、ほっと一安心(少し満足)すると言う意味で、麦などに穂がつくと 「今のところは順調だ、よかった」 と満足したことから小満と言う

名前が付いたようです。季節は夏でも、秋を百穀成熟の期とするので、麦の熟する時を麦の秋・麦秋(ばくしゅう)といいます。また、

このころの野を吹きわたる風を麦の秋風ともいいます。

豊浦町川棚

20日早朝に八重桜が倒れかかっているのを発見した。16日夜半から17日未明まで吹き荒れた強風でなったのだろう。9日の暴風で

は被害はなかったのだが、ダメ−ジが残っていたのであろう。かなり以前に植えたのだが、成育がかんばしくなく、未だに3b強。葉

の半分が食べられている。おそらく鹿の仕業だろう、鹿の口が届くところまでである。ここ最近まで昼間は鹿の出没はみなかったので

あるが、夜は出没しているのであろうう。支柱を打ち直し、ロ−プを大木の八重の御衣黄にかけて固定した。

高い声でけたたましく鳴くホトトギス、昼夜問わず鳴いています。朝はホトトギスの鳴き声で目が覚めます。日中もホトトギスの独壇場で

す。農家にとっては、田植えの準備を急げとも聞こえるかもしれません。キジも鳴きます。ケ−ンケ−ンと鳴きながら羽をバタバタさせる

ドラミングを行います。繁殖期に行われるキジにとってのなわばり宣言です。このケ−ンケ−ンですが、拙者には何か不気味な悲鳴よ

うに聞こえます。これは音楽でいう不協和音ですね。たまにウグイスが鳴きます。初春の頃のホ−ホケキョではなく、ケケケ ・・・・ ケキ

ョケキョ ケキョ と 嚠喨舌鋒の如く、けたたましく続ける 「谷渡り」 と呼ばれる鳴き声です。オペラにおけろソプラノ歌手の技巧的な速

い楽句とかトリルなどの多く含まれた装飾の多い華やかな旋律のコロラトゥ−ラを思い浮かべる。このけたたましく続ける「谷渡り」の鳴

き声に違和感を感じない。ウグイスはいつ聞いても清涼感を感じます。

草の伸びが尋常でない。降水量はさほどでもないが、気温が異常に高いからだろうか。山の草刈りはまだやってない。町道沿いのア

ジサイも草で覆われて存在がわかりにくくなっていた。1時間かけて草刈りをした。気をつけてやったのだが、物に当たった反動でア

ジサイの茎を数本切断してしまった。暑さで注意がおろそかになった、なんてこった!

20日の県内は高気圧に覆われて気温が上がり、岩国市や萩市など各地でことし初めてとなる30度以上の真夏日となりました。下関地方気象台によりますと、県内は高気圧に覆われておおむね晴れ、各地で気温が上がりました。 日中の最高気温は、▽岩国市の広瀬で32.7度、▽岩国市で31.7度、▽萩市で31.6度、▽長門市油谷で31度、▽山口市で30.9度など、県内16の観測地点のうち半数の8地点でことし初めてとなる30度以上の真夏日となりました。 このうち、長門市油谷の最高気温は、5月の観測史上、最も高くなりました。

ホタルの里として知られる山口県下関市豊田町で、来月から「ホタル舟」の運航が始まるのを前に地元の小学生が舟の清掃を行いました。下関市豊田町の木屋川流域にあるゲンジボタルの生息地は、国の天然記念物に指定されていて、ホタルを観賞する「ホタル舟」が運航されています。 来月から運航が始まるのを前に、子どもたちにホタルや自然に親しんでもらおうと毎年この時期、清掃活動が行われていて、地元の2つの小学校の5年生と6年生、あわせておよそ50人が、参加しました。清掃に参加した小学6年生の女子児童は「暑くて大変だったけど、舟に乗るお客さんの姿を想像しながら清掃したので楽しかったです」と話していました。 ホタル舟実行委員会の木本暢一委員長は「地域の自然を代表するホタルを子どもたちにも大事にしてもらいたい。大きくなっても豊田町を愛してくれるような活動になったと思う」と話していました。

連日、真夏のような暑さが続いています。岐阜県飛騨市で気温が35度に達した。全国で今年初めて最高気温が35度以上の猛暑日

となりました。まだ5月というのに、地球が沸騰している。

椿の実が褐色に色づいてきました。椿の実は硬く、種の中身をくりぬき、笛を作ったものです。 椿といえば椿油。椿油は髪に使うので

知られてますが、食用として天ぷらに使うととっても美味しい。但しとても高価で貴重だから、天ぷら油にはできないね。なんでも、オレ

イン酸(悪玉コレステロ−ルを減らして善玉コレステロ−ルを保つ働きがある)が85%以上も含まれているとか。オレイン酸は人の皮脂

に最も多く含まれている脂肪酸なので、体に優しいとのこと。残念なことに、椿の種子1s搾って、わずか200ml程度しか得られないの

で、家庭では無理である。ザクロの実も大きくなりました。 梅、ザクロ、椿それぞれの実は花を愛でるのとはまた違った趣きがあります。

今日5月22日(木)、沖縄気象台は「沖縄地方が梅雨入りしたとみられる」と発表しました。平年より12日遅く、昨年より1日遅い梅雨入

りです。今年は九州南部で16日に梅雨入り発表があり、沖縄のほうが後になるのは1976年以来49年ぶりです。奄美よりも後に梅雨

入りとなるのは2019年以来6年ぶりです。

日本気象協会が22日発表した梅雨入り予想では、九州北部から関東甲信の梅雨入りは「6月上旬」。これから前線や湿った空気の

影響を受けやすく、「梅雨のはしり」の天気になるという。当地の昨年の梅雨入りは6月17日だった。一昨年は5月29日だった。数日

おきに雨が降ります。梅雨の雨の降り方には二つのタイプがある。いつやむともわからぬ「シトシト型」と、ドカッと大降りしたかと思うと

カッと照りつける「ザ−ザ−型」である。陰性梅雨、陽性梅雨と表現されたこともある。一般的にいうとシトシト型は地域的には、東日

本、北日本に多く、時間的には梅雨期の前半に多い。ザ−ザ−型は地域的には西日本でよく降り、時間的には梅雨期の後半に多

い。北日本、東日本でも梅雨期の後半にはザ−ザ−降りの集中豪雨が降る。ザ−ザ−降りは、インドや東南アジアのモンス−ン(雨

季)の雨と同じ降り方である。外の仕事がメインの者にとっては雨は大敵ではあるが、真夏の降雨不足による水やりを心配する者にと

っては、今の時期にしっかり降っておいて欲しいという気持ちである。

我が家の近くに黄色の花の群生地があります。これだけあると圧倒的な景観を楽しめます。これは外来種で農家の厄介者らしい。嫌

われても何のその、たくましく繁殖している。秋にやはり黄色に咲くセイタカアワダチソウも外来種だ。農家の人からは草刈機や除草剤

の標的され、目の敵にされる邪魔者でも道行く人々にはきれいで楽しませてくれる。こういう野生の花は、控え目で決してスタ−とはな

りえませんが、素朴さと道行く人々を和ませてくれる清涼感があります。

光の乱舞に魅せられ  萩・山田地区

萩市街地から車を10分ほど走らせたところに山田地区はあります。田舎の農村風景が広がるこの地域では、毎年幻想的なホタルの

乱舞を見ることができる。その萩市内有数のホタルの名所、同市山田地区を流れる玉江川沿いで、ゲンジボタルの”光の乱舞“が6

月に入ればピ−クを迎える。6月中旬まで楽しめそう。地元住民らによると、今シ−ズンは5月中旬からホタルが舞い始めた。夜は無

数のホタルが光の点滅を繰り返して川面を飛び交っている。同地区の天神橋付近では7日に、見頃の時期に合わせたイベント「ホタ

ルまつりinやまだ」が行われる。神楽舞や唄とけん玉のコラボステ−ジ、餅まき、飲食の販売などがある。

24日、前線や低気圧の影響で西日本などで激しい雨が降りました。ほぼ一日中間断なく降っています。降水量は70_くらいだから、

食いだめができただろう。4月の降水量はわずか50_、5月も前日までで100_だから、植えて間もない桜にもしばらく降らなくても大

丈夫だろう。雨が降る最中でもホトトギスが鳴いてます。本日は朝4時半ごろから鳴いていました。

雨が降り続く24日、近郊で6頭、それに2頭たむろしている鹿をみた。しばらくの間、昼間みることがなかったが、やはりいることいがわ

かった。寝ている前には、害獣撃退用のアニマルリペラ−という機器を置いている。ストロボ発光、超音波の発信、威嚇音の三大機

能を有し、鹿などを強力に忌避することが可能という触込のもの。風が強く吹くと緊急避難で仮り植えしている桜の葉の揺れに反応し

て作動する。うるさく安眠妨害なのでコンセントを抜いている状態だから、鹿にはまたとない好機なのである。桜やアジサイの葉をしっ

かり食べられている。 Oh, my God!

黄金色に輝く麦の刈り取りが始まってます。6月初旬頃までには収穫されるから、6月のことを麦秋といいます。昔は麦踏みといって

足踏みでしたが、今日ではロ−ラ−をつけたトラクタ−で行います。霜柱を防いで根張りをよくするための麦踏みの風景は、早春

の風物詩でした。麦穂(バクスイ)たゆたう麦畑をコンバインが刈り取っていきます。一方となりの水田には水が張られ、田植えが始

まります。これから刈取るものと植えるものが、同居している不思議な光景が広がります。麦刈りと田植えの取り合わせ。 色即是空

空即是色 実りの世界があり、種を撒く世界があります。すべては自然界の大循環と思えば、しわと白髪の増えた我が身を嘆くこと

もありません。

季節の変わり目を迎えてから木々の芽吹き、新芽の淡く薄い黄緑色はとてもやわらかく感じた。これから一雨ごとに緑が濃くなり、気

温が上がるごとに山の表情も変化していきます。変化すのは自然だけではありません。人の生活も変わります。私たちは過ぎ去った

季節をひきずったり、あるいは次に来る季節に心を向けながら日々を過ごしている。これは年齢によっても違ってくる。若い人は気

温の上昇とともに、無意識のうちに夏を期待している。お年寄りは明日を思うより、昨日の思い出に浸っていたいのだろう。思い出は

浸るものではなく、つくるものというのは無理なのかもしれない。

香しく爽やかな五月の薫風が吹き渡る山々は、椎の淡黄色の花で彩られます。そしてむせ返るばかりの若葉が山野に満ち溢れまし

た。落葉樹と常緑樹では新緑の形態が違います。落葉樹は木全体が新緑で覆われますが、常緑樹では古葉の間に新葉が混じる

新緑になります。これは葉の寿命によるもので、例えば葉の寿命が三年なら、ほぼ三分の一が新葉で、残りは古葉、つまり三分の一

の新緑となります。この風薫る五月は、四季を通じて最も華やかな時期になります。

風薫る五月は春と夏との二つの季行き交う時だ。うららかな春を待つ身には早春ばかり長く、陽春はあっという間に初夏に移ってし

まう。桜が散り惜しまれつつ春が行くとき、新しい季節の夏がすでに始まっている。香し爽やかな五月の薫風が、新緑を揺らします

。同時に強い日差しが降り注ぎます。新緑の初夏は日本列島が一年のうち最も生き生きとして美しい季節である。新芽の淡く薄い

黄緑色はとてもやわらかく感じる。これから一雨ごと、陽光を浴びるごとに緑が濃くなり、山の表情も変化していきます。まもなく満目

これ濃い緑になる。 むせるほどの葉に覆われた夏の盛りの桜や楓は濃く深い緑である。春が見渡す限り黄緑色、薄緑色である 「

萌黄や新緑の春」 とすれば、これからは 「万緑の夏」 と言えます。

長門市の青海島にさくらの里というのがある。長門で入院していた父親の関係で行ったことがあった。二十年以上も前のことである。

最後に行って18、19年経つ。今回、長門へ行ったついでに行ってみた。生長の早いソメイは20年も経てばかなりの大木になるはず

だが、想像していたより大きくなっていなかった。あくまでも当時と同じ道路伝いの高い所からの光景である。多くの樹木が桜の間か

ら生えており、大きくなってない原因がこれかもしれない。草は冬には枯れるが、生えてた樹木は毎年毎年大きくなって桜の生長を

妨げる。桜は植えてしまえば終わりではなく、手入れが必要なのである。最近手入れが行き届かない我が桜山も例外ではない。他

山の石として肝に銘じたい。

今年植えたソメイが折られていた。鹿の仕業である。鹿の食害対策のため網で幹を囲んであるのだが、網の上部を噛んで体重を載

せて引っ張ったのだろう。支柱で括っている個所から折れている。同じものをもう1本植えている場所へ行ってみたら、やはり折られ

ていた。今春は暴風で折れたり、倒れたりした桜が多かったが、この程度の樹高(2b)の木は暴風で折れることはない。葉を食べら

れており、鹿の仕業に間違いはない。近いうちに掘り起こして、家の前に仮植えしたい。

ホトトギスが日本へ渡来するのは5月中旬頃。他の渡り鳥より渡来時期が遅いのは、ホトトギスには、他の鳥が作り終えた巣に卵を

産みつけ、子育ても全て任せてしまうという「托卵」の習性があるためで、托卵の相手はウグイスが多いようです。ホトトギスの親は、

ウグイスが巣から離れている隙に卵を産みつけ、卵の数が不自然にならないようウグイスの卵を巣から落として数を合わせます。ウ

グイスはそれに気づかず、ホトトギスの卵も一緒に暖めていきます。数日後、ウグイスよりも先に、ホトトギスのヒナが産まれると、ホト

トギスのヒナは、まだ生まれていないウグイスの卵を全て落としてしまうのです。それでもウグイスは、ホトトギスのヒナにエサを運ん

で育て続け、やがて巣立っていくのです。人間の社会からすれば、こうした習性はとても許されないものです。そのホトトギスの鳴き

声が昼夜を問わず頻繁に聞かれます。

エメラルドグリ−ンの海の中を一直線に伸びていく角島(つのしま)大橋、南国と見紛うばかりの白い砂浜、夕陽に浮かび上がる

灯台のシルエット――。山口県の北西の端、山口県下関市豊北町角島は、多くの人が 「一度は訪れたい!」 と憧れを抱く絶景

の地として知られています。「角島」 と本土とを結ぶ 「角島大橋」 が誕生したのは2000(平成12)年。全長は1,780mmもあり、無

料で渡れる橋としては国内でも屈指の長さを誇ります。エメラルドグリ−ンからコバルトブル−へ。美しい海原のグラデ−ションの

中へと伸びていく橋の姿はまさに絶景!車のTVCMでは何度もロケ地として採用され、また橋を渡った先の角島では 『H

ERO』、『四日間の奇蹟』といったTVドラマや映画のロケが行われるなど、その光景の美しさはメディアに登場するたびに話題と

なっている。自然と見事に調和した橋の造形美もさることながら、目を奪われるのは海の色!天気が良ければ橋の袂から海岸に

沿って、見事なまでのエメラルドグリ−ンの海が広がります。

野イチゴが見られます。赤い実を見つけると、腰をかがめ一粒食べる、そしてもう一粒ときりがない。とても甘いもの、少し酸味があ

るが甘いものと食べつくせないほど広がります。野いちごなのか、ヘビいちごなのか見分けは難しい。見分け方は、花が白か黄色、

トゲの有無、甘みの度合いによりわかります。ヘビいちごはいかにもヘビの出そうなところにあり、ヘビが食べるからヘビいちごの名

がついたという。花は黄色で美味しくない。トゲが気になり、実に穴があり、甘さが強いのは野いちごになります。花の色は白になり

ます。ひもじい子ども時代には、よく食べたものです。あるものは甘く、あるものは甘酸っぱく、独特の味わいがあって、学校帰りの

みちくさの思い出とともに、味の思い出としていつまでも残っています。

山口県長門市仙崎大日比(青海島)に「大日比ナツミカン原樹」といわれるものがある。昭和2年(1927年)に国の史跡および天然記

念物に指定された。播種の時期は安政年間(1772〜1780年)とも宝永年間(1704〜1710年)ともいわれている。 「おいでませ なが

と(長門市観光協会公式サイト)」には、「18世紀に西本チョウという女性が、青海島の海岸で果実を拾い庭先に種をまいて育てた

もので、日本の夏みかんの原樹と呼ばれています。」と紹介されている。原木のある大日比の寺に参拝した萩の侍や町人が夏みか

んの実や苗を萩に持ち帰り、家の庭などに植えられ、萩で夏みかんが栽培されるようになったようである。

旧萩藩士小幡高政が、「夏橙樹を、経済栽培することによって収益をあげ、維新以来、生計の途を失って困惑している在萩士族救

済の策としようとし(萩市史第二巻)」て、明治9年に種子をまき、翌年苗木1万本を接木し、翌々年(明治11年)に苗木を氏族に配た

のがはじまりである。その後も、苗木を植えるものは増え続け、萩はもちろん県内各地に夏橙の栽培が普及していった。

この場所は青海島入口の王子山公園から2`のところにあります。長門の仙崎で生まれた童謡詩人「金子みすゞ」が、この王子山か

ら眺める 仙崎の町 を銀の海に竜宮のように浮かんでいると歌っている。

王子山

公園になるので植えられた 桜はみんな枯れたけど

伐(き)られた雑木の切株にゃ みんな芽が出た 芽が伸びた

木の間に光る銀の海

わたしの町はそのなかに 竜宮みたいに浮んでる

銀の瓦と石垣と 夢のようにも霞んでる

 

王子山から町見れば わたしは町が好きになる

干鰮(ほしか)のにおいもここへは来ない

わかい芽立ちの香(か)がするばかり

木の間に光る銀の海

わたしの町はそのなかに 竜宮みたいに浮んでる

木の間に光る銀の海

わたしの町はそのなかに 竜宮みたいに浮んでる

銀の瓦と石垣と 夢のようにも霞んでる

− 金子みすゞ −

原樹

分木

原樹のそばには、原樹と同じDNAを持つ分木が植えられ、たくさんのナツミカンが実っている。

潮風をたっぷり浴びて今年も大きく甘く育ちました。夏の到来を告げる萩市相島の特産品、スイカの出荷が28日から始まりました。

日本海に浮かぶ相島は県内最大のスイカの産地で、県全体の出荷量のおよそ半数を占めています。水はけがよい火山灰の土壌

の上で潮風と日の光を浴びて育ったスイカは、糖度が高いのが特徴です。28日から出荷が始まり、選果場に並んだスイカを生産者

たちが大切に抱えて箱に詰めていきました。今年は春先の寒さで生育の遅れがありましたが、3月以降は天候に恵まれ糖度の高く

なっているということです。島の人たちに見送られながら出荷された萩相島スイカは、県内のス−パ−などで販売されます。

あじさいは初夏の花であり、梅雨の花でもある。初夏の光に映えるあじさいも、雨に咲くあじさいも、冴え冴えと美しい。都会の雑踏に

雨に濡れたカラフルな傘が似合う季節の到来です。あじさいの花は咲き初めはおよそ白く、日が経つに従って次第に水色から淡青

色に色づき、しまいには深海を思わせる濃碧色となる。それが梅雨の霖雨に煙る山に鮮やかに映ります。あじさいは土壌の性質に

より青、桃色になります。酸性では青色に、アルカリ性では桃色になります。白は土質に関係ない。最近は土質に影響しない独自の

色をもつアジサイもつくられているようだ。うっとうしい梅雨の空の下、沈みがちな人の心も、季節の花に触発されてほどけてゆく。今

年は例年に比べて雨量が少なかったことから咲き始めるのが少し遅かった。アジサイには 「移り気」、「浮気」 などのネガティブなイメ

−ジがあります。一方で小さな花が集まっていますから、「家族団<欒・家族の結びつき」 というポジティブなイメ−ジもあります。最近

はポジティブなイメ−ジで使われています。

梅雨の花 「アジサイ」 が咲いてきました。しとしと雨が降る山に咲くアジサイの花、まさに日本の梅雨の風景です。梅雨から夏にかけて

咲くアジサイは、七変化と言われるように咲いているうちにだんだん色が変化していきます。そのためか花言葉は 「移り気」 です。そん

なアジサイの原産は日本です。いわゆるガクアジサイといわれるもので、日本古来のアジサイの色は 「青」 。その青いアジサイが欧米

に渡って改良されて色とりどりの西洋アジサイ(ハイドランジア)が生み出されました。幕末から明治にかけて来日したヨ−ロッパの人々

が初めて見る美しいアジサイを持ち帰り、青以外の色の花を作り出しました。元々ヨ−ロッパは土壌がアルカリ性なために、青かった花

も自然と赤っぽくなり、また元来華やかな花を好む欧米人のために色とりどりで大きな花へ変化を遂げました。その後その西洋アジサ

イ(ハイドランジア)が言わば逆輸入され、アジサイといえばこれをさすくらいメジャ−になりました。

6月は日本各地が梅雨の季節に入る「入梅」を迎えます。例年、「入梅」から7月上旬頃の「梅雨明け」まで、北海道を除く一帯に長雨

が降り。湿度も高くなってじめじめした日が続きます。「梅雨」というのは、ちょうど梅の実が熟す頃に雨が降ることからつけられた名前と

されています。他にも、木の葉などにおりる「露」をさす、物が悪くなったり弱ったりする「ひつゆ」が転じたもの、カビが生えて色々なも

のが悪くなる時期のため、「黴雨(ばいう)」という、などの諸説もあります。

至近距離でのクマの目撃情報があった。5月28日夕方、豊北町神田上の市道をクマ一頭が横切っているのを、歩いている70代男性

が目撃したという。体長1b。男性から約10b離れたところにいて、その後山中に立ち去ったという。拙者もよく通る市道だ。それ以

外にも、4月に我が家から近い阿川で目撃情報があった。

6月1日、当地の粟野川でアユが解禁された。それに先立って、4月14日に漁協では粟野川の流域5か所にあわせて3万匹

の稚魚を放流し、地元のこども園の園児らがアユの感触や匂いなどを確かめた後、体調8cmほどの稚魚を川に流しました

。天然アユがのぼる日本名川100選として、山口県では豊北町の粟野川と岩国の錦川が選ばれています。日本海に流れる

粟野川は春になると、素魚(しろうお)がとれる。昔から鯉、鮒、鯰などびっくるするほどの大きな魚が住んでいた。

秋には産卵のため、鮭ものぼっていたという。いったん大雨になると粟野川は暴れ川に豹変します。源流の華山(げざ>

ん)や狗留孫山(別名 御嶽(おだけ))の山々の水を集めて粟野川沿いの村中を水浸しにするほど、恐ろしい川でもあ

った。一昨年7月の豪雨で粟野川にかかるJRの鉄橋が傾き、未だにJRは不通になっており、復旧には二年もかかるという。

4月14日(日)下関市豊北町を流れる川に地元の子ども達がアユの稚魚を放流しました。下関市豊北町などを流れる粟野川では、

地元の漁協がアユの遡上にあわせて毎年、この時期に稚魚を放流しています。 この日、地元のこども園の園児らがアユの感触や

匂いなどを確かめた後、体調8cmほどの稚魚を川に流していきました。 「いいにおい。ぬるぬるしてる〜っ。」 「こわい。こわい。」と、

子どもたちの反応はさまざまです。小さなバケツの中で飛び跳ねるアユの稚魚。子どもたちの手によって川へ放たれたアユは、勢

いよく泳ぎ出していきました。

桜山からみる水田の田植えが終わりました。田植え直後は深水管理、活着後は浅水管理とします。田植え直後、苗が活着するまで

は、風の強い日や低温の日は苗の葉先が少し見える程度の水深を保持し苗を急激な環境変化から保護します。しかし、深水を続

けると発根や分げつの発生が悪くなり、初期生育の抑制につながります。地温を上げるため、天候が安定している日や、苗が活着

したら浅水管理を基本としたこまめな水管理が必要です。高温多湿の日本では、すぐに雑草がはびこります。そのため、昔は米作

りの所要時間の半分近くが雑草取りと言えるほどでした。今日は、稲を痛めずに雑草だけを選択しながら防除する除草剤があり、

広く使用されています。田植えの7日〜10日後、苗が活着した頃に1回目の除草剤を散布します。

梅の名所として知られる防府市の防府天満宮で、梅の実を収穫する「梅ちぎり」が2日から始まりました。 菅原道真をまつる防府天満宮では、道真が愛したとされる梅の木が、境内におよそ1100本植えられています。毎年、この時期に行われる梅の実を収穫する「梅ちぎり」が始まり、初日は、地元の幼稚園や保育園に通う子どもたちおよそ30人も参加しました。 子どもたちは、枝や葉をかき分けながら、直径5センチほどに育った梅の実を見つけると、手でもぎ取っていました。中には、自分では取れず、大人に手伝ってもらう子どももいました。梅の実は、収穫できたことへの感謝を報告するため、奉納されました。 防府天満宮の「梅ちぎり」は1週間ほどかけて行われ、ことしは、不作だった去年よりも250キロほど多い、およそ750キロの梅の実の収穫を予定しているということです。参加した男の子は「たくさん収穫できて楽しかったです」と話していました。 収穫された梅の実は、「お福梅」と呼ばれる縁起物になるほか、梅ジュ−スとして味わってもらうため、参加した子どもたちが通う幼稚園や保育園にも渡されます

下関市豊田町の水田に、市内最高峰の華山(標高713b)が上下反転して映る“逆さ華山”が出現している。水を張った田で苗が伸び

るまでの短期間だけ現れる風景。6月の上旬から中旬までの間、晴れていて風のない日の太陽が沈む直前が最もくっきり映る。大きな

山影とオレンジ色の夕日が、まだ短い苗の並ぶ水田に浮かぶ最高の借景である。

華山 山口県西部の最高峰

下関市の最高峰、標高713mの華山山頂からは瀬戸内海、玄界灘、日本海が一望に。華山から狗留孫山の二大霊場を結ぶ、稜線上

のハイキングコ−スから見下ろす景観も息をのむ雄大さです。山頂から拝む初日の美しさは西日本随一ともいわれています。ハング

グライダ−で空からの散歩も楽しめます。遠くから見る華山は男性的などっしり感があります。一方、一位ヶ岳は均整のとれた女性的

な優雅さがあります。

華山より周防灘をのぞむ

華山より一位ヶ岳をのぞむ

一位ヶ岳

弥生人気分で赤米田植え

山口県下関市豊北町滝部の豊北小学校(山田恵子校長)の5年生23人が4日、同町神田上の土井ケ浜遺跡・人類学ミュ−ジアム(

松下孝幸館長)にある研修田で、弥生時代の人たちが栽培した古代米に近いとされる赤米の苗を当時の衣服「貫頭衣」を着て手で

植えていった。弥生時代の埋葬跡として知られる国指定史跡の土井ケ浜遺跡からは人骨と一緒に稲穂を摘み取る石包丁が見つか

っているほか、近くには水田跡がある。子どたちに2千年以上前にこの地域で稲作が行われていたことを体感してもらおうと、同ミュ−

ジアムが開館した1993年から赤米の栽培が続けられている。その後、貫頭衣姿の児童らは4eの水田に素足で入ると、弥生時代に

植えられていたとされるうるち米の「赤米」の苗を、「田植え定規」という昔ながらの農具を使って間隔を取りながら3本ずつ束にして丁

寧に植えていきました。植えられた「赤米」は、子どもたちが10月下旬に収穫する予定で、学校の給食で食べたり、家に持ち帰って

家族と一緒に食べたりするということです。

去年(2024年)1年間に生まれた子どもの数はおよそ68万6000人で、初めて70万人を下回ったことがわかりました。また、1人の女性が生涯で出産する子どもの数を示す「合計特殊出生率」は「1.15」となり、過去最低を更新しました。 厚生労働省によりますと、2024年の「合計特殊出生率」は前の年から0.05ポイント下がって「1.15」でした。9年連続の減少で、過去最低を更新しました。 都道府県別でみると、最も低い東京都では前の年から0.03ポイント下がり「0.96」で、2年連続で「1」を下回りました。 また、去年1年間に生まれた日本人の子どもの数は前の年から4万人余り減って68万6061人で、1899年に統計を取り始めてから初めて70万人を下回りました。 一方、去年1年間に死亡した人の数は前の年からおよそ3万人増え160万5298人で、過去最多となりました。 その結果、死亡した人から生まれた子どもの数を差し引いた人口の減少幅は91万9237人で過去最大となり、人口の減少が加速しています。 厚労省は「急速な少子化に歯止めはかかっておらず、危機的な状況は変わらない」としています。 一方、婚姻の件数は前の年からおよそ1万組多い48万5063組で、2年ぶりに増加しました。

6月5日は二十四節気の芒種です。芒種という字に含まれる"芒(のぎ)"とは、イネ科植物の"穂先の毛"のようなもののこと。そのため

、芒種は"芒"の"種"を撒く時期であり米などの穀物の種をまくという意味があります。この時期は梅雨入り時期と重なるため、高温・

高湿であることが特徴です。芒種には、名前の由来ともなった「田植え」がおこなわれます。日本では育てた苗代を田植えする方法

が一般的ですが、この苗代は寒さに弱いため、芒種の時期が適しているのです。さらに蛍のシ−ズンが最盛期を迎えるため、鑑賞

を主流とした「蛍狩り」もおこなわれます。近年は地球温暖化でこの時期よりずっと前に田植えが行われるようになりました。

昔は短い期間に多くの労働力を集中する田植えは、一昔前に牛が鋤いていたものがトラクタ-に、人海戦術で植えていた田植えが田

植え機に変わった水田風景が広がります。昔は短い期間に多くの労働力を集中する田植えは、稲作全労力の四分の一強、10ア−ル

当たり二十五時間を要した。この単調で長時間の重労働であるから、大勢で一緒に行い、田植唄や田植えばやしによって激励・強調

をはかって進めた。だからこの重労働を機械化によって省力化することは長年の農家の夢であったわけだ。機械化に拍車がかかって

からは、手植えの十分の一の時間で、しかも1〜2人の家族労働だけで田植えをすますことが可能になった。今や田植えの時期は、の

どかな田植唄の昔に代わり、エンジンの轟音とともにわずか一日で終わってしまう。それにしても苗を植えている田植え機はまさに魔法

のような機械だ。見れば見るほどほれぼれとする。人間の英知の凄さを感じます。

多くの水田では、田植えはほぼ終わってきてます。近郊の田植えもトリ、千秋楽になり、稲作の前半のイベントは終了になります。

あとは9月中旬から10月にかけて稲刈りという後半のイベントを待つことになります。

田植えが終わると案山子(かかし)が見られるようになる。鳥獣をおどすために田畑に立てる人形だが、竹や藁(わら)で造形した人形であることが通例であった。これは鳥獣に対して 「人間がいる」 ように見せかけることを目的としている。人間が農作業をおこなっているときには鳥獣は近づかないからである。 まずは植えたばかり苗をサキが踏みつけないために設置する。小さい頃はスズメ対策と思っていた。そのスズメは今では大変有益な鳥になっていますが、わが国の法律では気の毒にも狩猟鳥に加えられています。巣づくりの季節には、大変な数の害虫を捕らえますし、 その他の季節にも、もっぱら雑草の種子を食べて除草の手間を助けてくれるのです。中国では、以前スズメを 「三害」 の一つに加えていましたが、スズメの隠された功績に驚き、「三害」 から外し、現在では 保護しています。それでも秋のたわわに実る稲穂にはスズメは大敵となります。米粒だけでなく、モミをくちばしで突くと出る白い汁が好物だという。昔は爆竹を鳴らしスズメを追いやってましたが、爆音の苦情 も多く、今では見られません。爆音の苦情よりも鳥たちは実質的に無害なものと認識してしまうので、爆音は一定期間の後に無効になってしまったというほうが本筋だろう。田畑を狙う側も当然ながら学習能力 があり、動かない案山子は無害なものと認識されてしまうわけだ。対策としては風やその他の動力によって不規則な動作をするものも工夫された。田畑の上に糸を走らせ、そこに風車(羽根車)の類を通したり、銀色のテ−プを多数吊り下げることで、きらきらと光り鳥獣を威嚇する効果を出すものなどがあった。カラスや鳥の死体をつり下げた状態を模した案山子も考案され、実際に使用されている。「仲間の死体」 = 「そこには罠があり危険である」 という理解がなされるためである。これらはいずれもカラスや鳥たちの慣れによって効果がなくなる場合が多い。案山子に大きな目をつけるのも一例だ。大きな目を恐れるという動物の本能を利用したものである。

サギが苗を踏みつける

いずれも一長一短あり、結局のところ農家では同じ品種を一斉に植えて、同時期にモミが出来るようにし、被害を一ヶ所にとどめ

ているのが実情である。案山子の効果は認めても、それを製作する手間を厭う傾向があるのは否めないだろう。案山子も精巧に

作らないと利口な鳥にすぐ見破られてしまい、効果はないようです。鳥に人かと思わせること、いかに鳥の目をごまかすかがポイン

トとなります。農家の人の案山子に込める想いはさまざまだろうから軽々に推し測れないが、鳥獣対策にとどまらず古き、よき時代

を懐かしむ気持ちや田んぼに彩をそえる 「遊び心」 を具現しているのかもしれない。作業の手間を厭わず創った渾身の作品は

懐かしさに彩られたこころあたたまる夏の風物詩といえましょう。