いつかの僕よ ・ ・ ・

このごろ僕は カッコ 悪いね 物わかりいい フリ して愛さえも逃げ腰で

ケンカ するたびいつも 君に ウソ ついて さめてく 二人 解かるのに

どこまでも続く青いこの空を 見上げては笑っていた

夢や恋を並べては 明日まで待てなくて いつでもこの瞳は君だけを見ていた

やけどするほど 熱くせつなく眩しい いつかの僕よ ・・・

 

胸はずませた 大好きな夏 今では 天気さえ あまり気にしなくなって

太陽と海と君だけでいい 裸足で あの頃のように

いつまでも強く高い波の背に のまれては何度でも

熱い想い浮べては 今日だけじゃ足りなくて 燃えてたあの心は 誰にも負けなくて

見えない何か 信じて止まぬ もう一度 いつかの僕よ ・・・

 

どこまでも続く青いこの空を 見上げては笑っていた

夢や恋を並べては 明日まで待てなくて いつでもこの瞳は君だけを見ていた

やけどするほど 熱くせつなく眩しい いつかの僕よ ・・・

いつまでも強く高い波の背に のまれては何度でも

熱い想い浮べては 今日だけじゃ足りなくて 燃えてたあの心は 誰にも負けなくて

見えない何か 信じて止まぬ もう一度 いつかの僕よ ・・・

ー TUBE ー

我が家の近くの田んぼでは田植え前の最後の作業が続いています。田起こしが完了した田んぼに水を張って、土をさらに細かく砕

き、丁寧にかき混ぜて、土の表面を平らにする代掻きが始まっています。代掻きは稲をしっかりと育てるため、田植えの前に行う重

要な準備です。ところでなぜ田んぼに水をためるのでしょうか。稲はもともと熱帯の作物で、日本の土壌はお米を育てるのに向いて

いたわけではありませんでした。しかし、水を溜めるということで、全てを解決したのです。それ以外にも日本は温帯にもかかわらず

、熱帯並みの暑さと、雨量の多さが稲作を可能にしているのです。

近郊の多くの田にも水が張られてきています。ぼちぼちホトトギスが鳴いてもいいころになってきました。今年は梅の開花や満開

が一ヶ月遅れた。それと関係があるのか不明だが、ウグイスの初音も一ヶ月も遅れた。だからと言って、ホトトギの初音も遅れるこ

とはないだろう。

ホトトギスは夏の鳥であり、渡り鳥である。インドから中国南部で越冬する個体群が5月頃になると中国北部、朝鮮半島、日本に渡

ってくる。日本には5月中旬ごろにくる。他の渡り鳥よりも渡来時期が遅いのは、托卵の習性のために対象とする鳥の繁殖が始ま

るのにあわせることと、食性の毛虫類を捕食するため早春に渡来すると餌にありつけないためである。ホトトギスが渡来する時期

は、田植えの時期であり、その鳴き声は田植えの時期を告げる鳥として古くから知られている。

トラクタ−が稼動している隣りの田んぼでは、畦の雑草を刈り取ったのを焼く光景も見られます。虫の防除だけでなく、刈り取った雑草

をいつまでも放置しておくと次の刈り取りの妨げになる。高温多湿で生態系が豊かな日本の農業では、その分数多くの虫や菌が発生

し、農家は一年をかけて防除・防虫・殺菌といった対策に追われます。米農家の場合、カメムシの防除は必須といえます。というのも、

カメムシ類が吸汁した米は変色して黒い斑点が生まれ、「斑点米」 として市場価格が下落します。田んぼの畦の草を刈るのは、見栄え

をよくするためだけではないのです。

山口県下関市中心部で始まった「しものせき海峡まつり」は3日、メイン行事の先帝祭があった。壇ノ浦の合戦に敗れ入水した安徳天皇や平家一門をしのぶ上臈(じょうろう)道中・参拝が赤間神宮(下関市阿弥陀寺町)などであり、実行委員会は2、3両日で計32万人が詰めかけたと発表した。 上臈道中では、豪華な衣装をまとった太夫5人が官女や禿(かむろ)らを従え、唐戸商店街などを練り歩いた。その後、平家の女官が安徳天皇の命日に参拝を続けた言い伝えにちなむ上臈参拝があり、赤間神宮の水天門から本殿に架かる朱色の天橋上で、太夫が足を八の字に踏み出す「外八文字」を披露。見物客は盛んに写真を撮っていた。 振袖(ふりそで)太夫を務めた西南女学院大1年の坂東由寿葵(ゆうずき)(福田葵)さん(18)は「幼い頃からずっと憧れ続けていたので、すごくうれしい。いろんな人の心に残る外八文字が踏めていたら」と笑顔だった。 姉妹都市ひろば横では「みんなでふく鍋を食べてギネス世界記録に挑戦しよう!」と銘打ったスーパージャンボふく鍋が登場。マフグ250キロ、ハクサイ440キロ、白ネギ200キロなどを直径3・5メートルの大鍋で調理し、次々と無料で振る舞われた。振る舞ったふく鍋は昼過ぎには見事、目標の4000食を突破。世界ギネス記録に認定された。振る舞ったふく鍋は4432食に上った。 まつり最終日の4日は赤間神宮で午後1時から御神幸祭本殿祭などがあり、フィナーレを迎える。

5日は子供の日である。各地でこいのぼりが見られます。「こどもの日」を前に、総務省は日本の子どもの数の人口推計を発表し

ました。44年連続で減少し、1366万人となりました。4月1日時点で15歳未満の子どもの人口は1366万人と去年から35万人減って

いて、比較可能な1950年以降で最も少なくなっています。人口に占める子どもの割合は11.1%でこちらも過去最低です。都道府

県別では去年10月1日時点で子どもの割合が最も高いのは沖縄県で15.8%、次いで滋賀県と佐賀県で12.7%でした。最低だった

のは秋田県の8.8%でした。国連がまとめた人口4000万人以上の37カ国の中でも、人口における子どもの割合が日本は韓国に次

いで2番目に低くなっています。これは国家の興廃にかかわる大変な問題である。子どもを、いかに、すこやかに、そしてたくましく

育てるか。それによって、その社会の将来が決まってくる。

四月は入学や入社の時期である。五月病というのがあるそうです。環境の変化に適応できないことに起因する症状で、「適応障害

」 や 「気分障害」 をいう。入試突破だけに邁進してきて、目標を失った人、緩んだ学生気分から、急に厳しい実社会に適応できな

い人などである。せっかく入った会社を早々と辞めてしまう人がいる。「石の上にも三年」 という言葉がある。不満があるからとか向い

てないとかですぐ投げ出すのではなく、三年ぐらいは頑張ってみることだ。ただ三年間漫然と過ごすのではなく、天命と思って死に

物狂いでやってみることだ。石にかじりついても三年間は投げ出さない気持ちが持てるかだ。途中で投げ出す人は何をしても長続き

はしないもの。若い頃に転職回数が多い人はこの種のタイプ。若いうちはあえて困難に立ち向かい、苦労してみることだ。イ−ジ−

で楽な選択をした人との差は歴然だ。遠回りしたようで、実は貴重な経験をしたのだ。実感はなくとも、血となり肉となっている。親の

側にも責任の一端がある。過保護の親も子を弱体化する。いつまでも子離れのできない親である。自立心は育まれず、自分で考え

、自ら道を切り開いていこうとしない依存心の強い子になる。石の上にも三年である。邪心を抱かず、一心不乱にやってみよう。

若い人にエ−ルを送りたい。

5日の午前中、この時期には珍しい雲が現れた。うろこ雲というのだろう。その後、一つ一つの雲の塊は大きくなって「ひつじ雲」らし

くなりました。こんなことわざがあります。「うろこ雲が出たら3日のうちに雨」、「ひつじ雲が出ると翌日雨」。これはかなり当てになる便

利なことわざで、7割くらいは当たると思っていいらしい。ずっと晴れていましたが、午後になり、曇ってきました。時折、カエルが鳴く

のが聞こえます。天気予報によると、当地の明日(6日)は雨となっていました。

天気予報に反して、5日の夕方には雨が降ってきました。気象庁が発表する天気予報の的中率が80%強ですから、これらのことわ

ざは近代的な天気予報にも劣らない、かなりの高確率といえるでしょう。これらのことわざもまんざらではないことがわかります。上空

にある雲は、うろこ雲→ひつじ雲→乱層雲(雨を降らせる雲)という順に形を変えながら移動していきますから、天気が下り坂になっ

て雨が降る可能性が高くなると判断できます。

ツバメが低く飛ぶと雨が降るといわれます。低気圧が近づいて空気中の湿度が高くなると餌となる虫が高く飛べなくなるからです

。 天気予報には数値予報を使用した現在の科学的なものの他に、昔の人は観天望気といって、空の状況を観察して、天気の予

測をします。 雲の形や流れ、風の吹き方や太陽や月の見え方などから経験的に予想するという方法です。また、動物や植物の

行動や観察から短期間の天気や季節の予報を行うという方法、天気のことわざといったり、天気俚諺(てんきりげん)というのもあ

ります。

ツバメは、ある意味では鳥の代表であるといえる。というのは、鳥とは空を飛ぶ動物であり、ツバメは空中を飛び続けながら餌をと

る数少ない鳥の代表といえるからである。大多数の鳥にとっては、主食は植物の種子や実であり、地上や樹上にいる小動物であ

る。だから、彼らは枝や茎にとまったり地上を歩いたりして餌をとる。彼らが飛ぶのは場所を移るためであって、餌をとるためではな

い。だが、ツバメは飛びながら餌をとるし、飛びながらしか餌をとらない。彼らの細長いつばさや弱い足といた形態はそれと関連し

ている。これこそ空を飛ぶ動物としての鳥の代表にふさわしいといえよう。ツバメは空中を飛んでいる小さな昆虫を食べている。空

中には小昆虫が予想外に多いことがわかってきている。それらは温帯や寒帯では冬には極端に少なくなってしまう。だからこそツ

バメは秋になると南方へ渡り、春にまた帰ってくるのである。

風薫る五月は春と夏との二つの季行き交う時だ。うららかな春を待つ身には早春ばかり長く、陽春はあっという間に初夏に移ってし

まう。桜が散り惜しまれつつ春が行くとき、新しい季節の夏がすでに始まっている。香し爽やかな五月の薫風が、新緑を揺らします

。同時に強い日差しが降り注ぎます。新緑の初夏は日本列島が一年のうち最も生き生きとして美しい季節である。新芽の淡く薄い

黄緑色はとてもやわらかく感じる。これから一雨ごと、陽光を浴びるごとに緑が濃くなり、山の表情も変化していきます。まもなく満目

これ濃い緑になる。 むせるほどの葉に覆われた夏の盛りの桜や楓は濃く深い緑である。春が見渡す限り黄緑色、薄緑色である 「

萌黄や新緑の春」 とすれば、これからは 「万緑の夏」 と言えます。

「夏も近づく八十八夜 野にも山にも若葉が繁る」 ・・・ お馴染みの「茶摘」の歌である。一日は八十八夜、八十八夜が 「夏も近づく

」 なのは、四日後の五月五日が暦では立夏になるから。とはいえ日中はともかく、朝はまだ寒い。農作物の多くが芽を出したり、若

葉を開いたばかりで、寒さの被害を受けやすい。 「八十八夜の別れ霜」の言い伝えは、実状に即していると言える。一方で、「九十

九夜の泣き霜」という言葉もあります。この言葉の前段が八十八夜の別れ霜、そして九十九夜の泣き霜となります。春の霜は農作物

には大敵。農家の方々は遅霜には神経を尖らせている。先の諺はそうした遅霜に関する諺で立春から数えて八十八日(5/2頃)に

なれば霜の心配は大概無くなる(別れ霜)ということと、それで安心して気を緩めると、九十九日頃(5/13頃)までは遅霜で被害が出

ることも希にはあるということ(泣き霜)を示した言葉です。

北海道網走で8日、桜の開花が発表され「桜前線」がゴ−ルを迎えました。ピンク色のかわいらしい花びら。網走市では8日、標本木

・エゾヤマザクラの花が5輪以上咲いているのが確認され、網走地方気象台が開花を発表しました。平年より2日早く、2024年より10

日遅い開花です。気象台の観測地点としては最後の開花で、網走市が単独で日本一遅くなるのは32年ぶりだということです。これで

3月23日に熊本と高知をスタ−トした桜前線は46日でゴ−ルとなりました。

ところで北海道には根室というところがあります。根室は北方領土由来のチシマザクラを用いています。チシマザクラはソメイヨシノな

どとは異なり、幹が立ち上がらずに根元から分かれているのが大きな特徴です。 「日本一遅咲きの桜」ということになります。

精米所で来訪を待ち受けているものがいます。スズメです。精米所のドアを開けると、股を数羽のスズメがくぐり抜け、床に落ちて

いる米粒をあさっています。人が危害を加えることがないのを知っているかのような大胆不敵な行動だ。踏んづけないように気を使

うのは、むしろ人のほうだ。精米所は一年中稼働しているから、食いぶちに事欠かない。楽をして餌を手に入れる要領の良さに

舌を巻く。究極のエサ獲りだね。

スズメは一年中見られる身近な鳥ですが、ここ田んぼで集団で見られます。秋のたわわに実る稲穂にはスズメは大敵となります。米

粒だけでなく、モミをくちばしで突くと出る白い汁が好物だという。稲作農家にとって目の敵にされる疎ましいスズメであるが、巣づく

りの季節には大変な数の害虫を捕らえますし、その他の季節にも、もっぱら雑草の種子を食べて除草の手間を助けてくれるのです

。今では大変有益な鳥になっていますが、わが国の法律では、気の毒にも狩猟鳥に加えられています。中国では、以前スズメを 「

三害」 の一つに加えていましたが、スズメの隠された功績に驚き、「三害」 から外し、現在では保護しています。近年、スズメの数が

激変しているという。この約50年間で、スズメの数が10分の1に減少したといわれる。考えられる最大の理由としては、人間による環

境開発が挙げられます。スズメは身を隠せるような隙間を好み、そこに巣を作るのですが、かつては民家の茅葺屋根などが絶好の

場所でした。しかし近年は隙間のない鉄筋のマンションなどが増えてしまい、居場所がなくなってしまった。餌の不足も挙げられる。

道路の舗装化、農業の機械化が進み 「おこぼれ」 の餌が減ったために子育てや越冬をしづらくなっていることが挙げられる。

昔はスズメ対策として、爆竹でスズメを追いやってましたが、爆音の苦情も多く、今では見られません。田畑の上に糸を走らせ、そこ

に風車(羽根車)の類を通したり、銀色のテ−プを多数吊り下げることで、きらきらと光り鳥獣を威嚇する効果を出すものなどがあっ

た。爆竹、羽根車、テ−プいずれにせよ、実質的に無害なものと認識してしまうので一定期間の後に無効になってしまったということ

だろう。今ではたわわに実った黄金の稲穂に、特別な仕掛けはみられない。ほとんどの農家が、スズメはあけて通しているようだ。

春と秋に日本列島を縦断し、長距離の旅をする蝶(ちょう)アサギマダラ。翅(はね)を広げた大きさが10aほどで、アゲハチョウくらい

の大きさである。翅に淡い浅葱色(あさぎいろ、薄い水色に近い色)のまだら模様があることから、この名前が付けられている。アサギマ

ダラは、地上付近ではふわりふわりと優雅に舞うように飛ぶが、鳥などに捕食されることはほとんどない。それは体内に毒をもっている

からである。毒と言っても誤って食べた鳥が嘔吐(おうと)する程度で、人がさわっても問題はない。春には沖縄・台湾から本州・北海

道へ北上することや、秋には北海道・本州から沖縄や台湾まで南下をすることが明らかになり、その移動距離が約2000`を超えるも

のもあることが分かってきている。地上で優雅に飛ぶアサギマダラは、一度舞い上がると、ワシやタカのように翅をはばたかず、上昇

気流にのっている姿から、うまく風に乗っていることで長距離移動を可能にしていると考えられる。当地でもこの生態を研究する御仁

に粟野海岸でお会いしている。山陽小野田市のアサギマダラの会会員、福村拓己さん。初夏のアサギマダラは海のそばの草むら(ム

ラサキ科の海浜植物、スナビキソウ)の花の蜜をもとめて飛んでいる。北上中に卵を産み、それがふかして今度は秋に南下するなど薀

蓄をかたむけはじめ、しばし会話が弾んだ。

9日は警報級レベルの暴風雨の予報が出た。風速15b、瞬間最大風速は30bにも達する警報、これは大変だ。先日植えたアジ

サイが暴風で倒れて根がむき出しになる危険が生じたため、急遽添え木を打ち込んだ。作業をしながらふと脳裏によぎったのは、

細い茎を固定すると暴風で茎のしなりができなくなり、折れはしないかという不安が出てきた。七割がたやったところで止めた。茎

が折れるくらいなら、根がひっくり返る方がましだということである。なんてこった!

鹿の被害は桜だけではなく、アジサイも例外ではない。対策としてはネットをはるくらいしかない。アジサイにはアルカロイドの一種

「フェブリフギン」 が含まれているため、食べると食中毒を起こすと言われています。なぜシカやイノシシがアジサイを食べられるか

ですが、草食動物は順応と解毒という方法で対応している。順応:毒のある植物を少しずつ食べていくことで、腸内細菌が毒を分

解する酵素を出すようになり、体が順応できるようになると本格的に食用にするという方法。解毒:土や粘度を舐めることでCa(カル

シウム)、Mg(マグネシウム)、Na(ナトリウム)、Fe(鉄)、Mn(マンガン)、P(リン)などを摂り込んで、植物に含まれるシアン化物、ア

ルカロイド、サポニン、タンニン、ニコチンなどを解毒する方法。草食動物と植物は常に戦っています。食べられたくない植物は、

食べられないようにシアン化物、アルカロイド、サポニン、タンニン、ニコチンなどの毒を持ち、何としても食べたい草食動物が解毒

作用を身に付けるという生存競争が常に繰り広げられているわけです。

メイスト−ム春の嵐でした。朝見回ってみたら、心配したアジサイの被害はなかった。ただ樹高15bの大木の山桜、奇跡の大木の

山桜が真っ二つに折れていた。樹高15bの山桜は周囲の樹木を伐採する前までは、横に枝が伸びず、太陽に向かって真上に生

長してきた。根が横に広がってなく、健全な状態ではなかったのだろう。二十代の頃に拙者が植えたものである。奇跡のヤマザク

ラはなんらかの理由で倒れた状態から再生したもの、最近は多くの枝が生えてきて楽しみだった。特に手を掛けてきていたから、

大変残念である。これほどの大木が折れるとは、すざましい風圧がかかったのだろうが、個体としての問題をかかえていたのだろう。

幹の中の水分不足とか。ソメイの4〜5mの2本は接ぎ木の個所から折れており、修復は無理である。倒れていた4mのソメイ2本は、

ロ−プをかけて起こし修復したが、これからの酷暑に耐えられるかだ。桜はすでに葉が茂っているから、同じ強風でも風圧がよりか

かるのだろう。陽光桜3m強の1本も折れているのを発見。修復した2本を除く5本が幹が折れて犠牲になった。今回被害があったの

は4年前に樹木を伐採した町道側に限られており、ため池側は被害はなかった。地形学的なリスクがあったのだろうか。今年は春

先に枯れていた6本を入れれば、11本も犠牲になったことになる。さらにあんばいの悪いのが数本見つかっており、桜にとって受難

の年になりそうだ。

薄明という言葉があります。日の出のすぐ前、日の入りのすぐ後の、空が薄明るい(薄暗い)時のことである。わずかな時間ではある

が、照明がなくても屋外作業ができるわけだ。でも人が真っ先に感じるのは、突然に日が長くなった、短くなったという感覚、心持で

ある。急に ・ ・ ・ の感覚なのである。日が長くなったなと感じるのは、夏至にあらず、春のほうだ。逆に日が短くなったと感じるのは、

冬至ではなく、つるべ落としの秋の日のほうだ。

毎年5月10日〜16日は「愛鳥週間」です。「バ−ドウイ−ク」と呼ばれることもあります。この時期は、野鳥の繁殖期に重なります。

新緑の野山を歩くと、野鳥たちの声に心が癒されることも多い。初音が平年よりも一ヶ月も遅れたウグイスの鳴き声が頻繁に聞こえて

きます。美しいさえずりは、鳥たちの求愛の歌でもあり、縄張り宣言でもあり、ライバルに対する威嚇でもあるのです。のどかに歌って

いるように聞こえますが、厳しい自然の中で、野鳥たちは必死でいのちをつなごうとしているのです。花と鳥と風と月。この4つを自然

の美しい景色の代表として生まれた言葉が「花鳥風月」です。このことからも、鳥は古来、日本人の暮らしを彩り、情緒や感性の形成

に大きく影響してきたことがうかがえます。

稲作は農家の事情により、早く済ませるところもあれば、のんびりと遅い家もあります。長門方面は当地よりも早い傾向のようです。

豊北町では、これからになります。今頃になって荒起こしをしているところもありますが、大半は田に水を張っている状況です。あちら

こちらでトラクタ−が稼動して田んぼは賑やかです。滝部や田耕ではもう田植えが終わっているところもあります。

今まで別ル−トで三回登った下関の竜王山ではなく、こちらは山陽小野田の竜王山です。西日本有数のヒメボタルの生息地として

知られる山陽小野田・竜王山で現在、今年もヒメボタルが見頃を迎えている。ヒメボタルはゲンジボタルやヘイケボタルより一回り

小さい。短い間隔で点滅する光を放つのが特徴。ゲンジボタルは一分間に、30〜40回ほどゆっくりと光ります。このヒメホタルに関

してはその倍以上、一秒間に2〜3回も点滅します。車のウインカ−よりも短く、ピカピカとフラッシュのようなので 「点滅」 という言葉

がしっくりきます。ヒメボタルは源平の二種より活動時刻が遅く深夜に花嫁を探す。花嫁を探すといえば、雄だけが群れになって一

緒に明滅を繰り返す壮観が、ゲンジボタルの特徴。地上の草や岩の上にいる雌に愛の光を送って探すわけだ。生物としてまっとう

な行為である逢い引きを我々は特別な感情で眺めていることになる。竜王山では毎年、山の中腹から山頂にかけての登山道や雑

木林の中や車道などで、金色の光をきらめかせながら舞うヒメホタルを観察でき、幻想的な光景を見ることができる。ゲンジボタル

に比べて、光が少し黄色がかっている。

ゲンジボタル : ゆっくりと尾を引くように発光、光る回数は一分間に30〜40回

ヘイケボタル : やや速く息づくように発光、光る回数は一分間に110〜120回

ヒメボタル : 断続的な光を放つ、約1秒に1回規則的に発光

5月に入り、九州各地でホタルの数が多くなってきました。ホタル前線は関門海峡を渡り、ゆっくり北上を続け、関東でもホタルが出

現し始めています。

ホタルの里として知られる下関市豊田町の一の俣川周辺でゲンジボタルが出現し始めている。同町荒木では午後8時ごろから同

9時ごろにかけてたくさんのホタルが飛び交い、光の軌跡を描く。一の俣川のゲンジボタルは例年5月下旬に出現のピ−クを迎え

る。同町木屋川では6月中旬にピ−クを迎える見通し。時期と気候があえば、クリスマスツリ−のような光が川岸をうめつくし、幾千

万もの光の乱舞が目を奪います。川岸に点滅する光の帯が幻想的な世界へと導いてくれます。

ホタルは6月に産卵をし、7月頃に卵からかえると幼虫は水中へ入り、脱皮を繰り返しながら成長します。そして4月頃に陸へ上がると、

今度は土の中でサナギになり、6月頃に羽化。成虫となったホタルは、恋の相手を探すため、お腹の光を点滅させながら飛び回ります

。ホタルが飛び交う時期は、おおよそ5月下旬から6月中旬頃ですが、地域や気候、ホタルの種類などによって違ってきます。日本の

温かい南の地域から徐々に北上していく「ホタル前線」は、桜の開花のようで面白いです。ホタルの出現率は、その日の天候にも左右

されます。風が少なく湿っていて暖かい日には、ホタルが活発に活動します。時間帯はだいたい20時頃がピ−クのようです。ホタルは

「きれいな川にしかいない」とよく言われていますが、まさしくその通り。近代化による開発や水質汚染などによって、ホタルの数が減っ

た地域もあります。そのため、ホタルが飛び交う美しい川を取り戻そうと、川辺の生物の住処になる水生植物や樹木を植樹したり、川

を清掃したり、ホタルのエサとなるカワニナが生息しやすい環境を整えたり、といった活動が各地で行われています。成虫になって、

数日しか生きられないホタル。翌年も美しいホタルの乱舞を見るためにも捕まえたりせず、川岸へ近づくときには、ホタルを踏みつけ

てしまわないよう気を付けましょう。水場ですからマムシがいる可能性があります。川岸に近づきすぎないようにするのが無難です。

花菖蒲の声を聞くと田植えの合図。ホトトギスの渡来を知り、田植えの準備に取り掛かり、コブシの花が咲き始めたら苗代に稲のタネ

をまく、そして田植えはアヤメから始まって花菖蒲で終わる、これらは自然から教えられてきた農作業の目安だった。13日、ホトトギス

が鳴きました。ホトトギスの 「特許許可局」 「てっぺんかけた」 とも聞こえる鳴き声が高らかにこだまします。昔から伝わる田植えの合

図です。日中は田植えを促すようにも聞こえます。

田植えとは、田んぼに稲の苗を植えることを指します。このため、稲は種から苗に育つまで、ビニ−ルハウスなどで育てる必要があります。これは、種まき後に積算温度(水温×日数)が保たれると発芽することから、10〜25度に保てるよう一定の温度管理が必要なためです。発芽の後、苗の高さが12〜15cmまで成長し、本葉が3〜5枚になったら田植えできます。これが、種まきからおよそ20〜40日後のことです。 また、田植えをするためには外気温も重要です。気温が10度以下になると苗の成長が止まったり、最悪の場合枯れてしまったりする可能性があるため、外気温が14度以上になってから植えるのが目安です。これらの条件を合わせると、およそ4〜6月、主に5月ごろに田植えをする農家が多い。

一昔前のごちゃごちゃした水田に比べ、近頃の水田は整然としてきれいになった。農村の風景が変わったのは昭和38年からはじ

まった国の圃(ほ)場整備の影響だ。「21世紀型水田農業」の基板整備を目指して、田畑を整然と区画し、農作業の機械化、省力

化を推進してきた。長方形の区画は一回り大きくなったし、畦畔も蛇行せず、幾何学的な一直線になっている。一昔前に牛が鋤い

ていたものがトラクタ-に、人海戦術で植えていた田植えが田植え機に変わった水田風景が広がります。

田んぼに水入れが始まると、乾いた田は水の世界になります。水田には鳥のサギが集ってきます。サギの多くは魚やカエル、ザリガニ

などをエサにするため水辺をすみかとしています。近くのため池の林などにサギ山と呼ばれる集団繁殖地(コロニ−)を形成していま

す。サギの他にカモもいます。田植えが始まった田んぼには生き物たちの小宇宙があります。トンボの生地は田んぼである。ヤゴは

10回の脱皮を繰り返し、羽化して成虫のトンボになります。日増しに増える昆虫を求めて鳥たちが集まってきます。田んぼに入ってくる

ものは昆虫や鳥だけではありません。メダカ、フナ、コイからドジョウ、ナマズのようなものまで入ってくる。目的は子孫を残すこと、産卵

のためである。初夏の田んぼは、さまざまな生き物たちでにぎわいますが、同時に命をか>けた壮絶な闘いが繰り広げられます。

サギはトラクタ−で代掻(しろか)きをやっている最中でも逃げるようなことはしません。ここはおいらの領地だといわんばかりの大胆不敵

な面構え。人が危害を加えることがないのを知っているのだろう。

14日の朝、コジュケイが鳴いている。4年前に山の樹木を伐採してからしばらく途絶えていた。身体に似合わぬ大きな声で鳴き、それ

が「チョットコイ、チョットコイ」と聞こえることから、「警官鳥」と俗称されることがあった。13日に鳴いたと思っていたホトトギスはコジュケ

イだったかもしれない。もうぼちぼち鳴いてもいいと思っていた気持ちが勘違いさせたのかもしれない。一両日中にわかるだろう。

15日、夜のとばりがあける4時45分頃、間違いなくホトトギスが鳴いていました。渡来したばかりのホトトギスは早朝、そして日没後の宵

の内によく鳴きます。本日は昼過ぎの14時にも鳴いてました。コジュケイも早朝のようですから、今回は共に初音だったといえます。

鳴き声の音調がよく似てますから、間違うことがあると思います。

道のわきの崖や田んぼの畦にハナウドが咲いています。食べられるウドににているのでハナウドと名前がついたようだ。ハナウドは

川に近い場所や、常に湿潤な土手などに生え、群生していることも多い。春の花が一段落し、少し花の少なくなった晩春に、人の背

丈ほどにもなり白い花を咲かせるので遠目にも目立ちます。拙者は食べたことはないが、このハナウドの若葉と葉柄が食べられよう

だ。定番はてんぷら。揚げたらタラの芽の味がするという。茎(葉柄)は文句なしに美味で、パリッと揚がった緑の葉も、なかなかのも

ののようだ。これら野に咲く野草は、園芸家や農家の人からは草刈機や除草剤の標的され、目の敵にされる厄介者。それでも天寿

を全うしようと懸命に咲き続ける姿に感動を覚えます。道行く人々を和ませてくれることは間違いない。

田んぼに水を溜めることには、多くのメリットがあります。なかでも連作障害の心配が要らないことは大きなメリットです。同じ土壌で同じ科の作物を作り続けると生育不良が起きる連作障害を、多量の水が解消してくれること、同じ田んぼで永久的に栽培できることです。 肥料や薬物等に関しても水とともに流れ落ち、土の中に残留しないため連作障害を防げるのです。また、河川からの水に養分が含まれているため、多くの肥料を与える必要がありません。

米作りには水が漏れずに溜まる対策が重要です。ポイントとなるのは、粘土質の土を使っていることです。 田んぼの土は、二層から出来ています。上部の10〜15cmは「作土層(さくどそう)」、次の数cmは「鋤床層(すきどこそう)」といいます。「作土層」は稲を育てるために耕された養分や有機物に富んだ土の層ですが、「鋤床層」は土を突き固めて 水を通しにくくした粘土層です。「代掻き(しろかき)」という、田に水を入れた状態で土の塊を細かく砕いて丁寧にかき混ぜ、土を柔らかくして、表面を平らにする作業によって、二つの層は作られます。毎年、土に手を加えるのは作土層のみ。鋤床層には手を加えません。そのため、何度も稲作を続けると、粘土層である鋤床層が強固になり水を溜める機能が高まります。 田んぼを囲む小さな土手とも壁ともいえる「畦(あぜ)」にも粘土質の土が塗られています。畦から取って粘土状にした土を塗り固めていく「畦塗り」という作業は、水漏れを防ぐためには必須です。 つまり、田んぼの水が漏れずに溜っているのはなぜか?という問いに対する答えは、鋤床層と畦の土が、水を簡単に通さない粘土質であることです。

荒代、中代と続き、代掻(しろか)き最後の作業の植え代をすればいよいよ田植えとなります。最後の植え代をする前に田んぼに肥料

を撒きます。その後にトラクタ−でよく土壌とかき混ぜます。背中に担いでいる背負動噴は万能機、これで一台で粒状農薬・肥料・粉

剤を散布できまる。田植え前なら、肥料や藻の除去のための薬剤散布。田植え後であれば、除草剤を撒いている。

ウツギが咲き出しました。卯(う)の花ともいう。この花をみると梅雨が近いと思います。卯の花腐(くた)しという言葉があります。5月

ころの梅雨型の長雨で卯の花を腐らせるような長雨という意味。ウツギは日本の山野でよくみられる落葉性の低木。名前の由来は

枝の芯が空洞なので 「空ろな木=空木」 、もしくは旧暦の4月(卯月)頃に花を咲かせるので 「卯木」 となったとされます。別名の卯

の花は 「ウツギの花」 の略。主な開花時期は5月〜6月で、枝の先端に1cm程の白花を次々とたくさん咲かせます。葉のフチはぎ

ざぎざがあり、全体に毛が生えているので触るとざらざらします。下のほうからたくさん枝を伸ばして大きく茂ります。

5月は中旬が満月でした。たくさんの花が咲き乱れる5月の満月は「フラワ−ム−ン」と呼ばれ、とても美しい名前がつけられています。

月は地球の周りを回っています。月と地球と太陽の位置によって、月の見え方が変わってきます。月と太陽の間に地球があるとき、月

が太陽光を反射している部分しか地球には見えず、満月になります。逆に、月が地球と太陽の間にあるとき、地球側に月の影の部分

しか見えません。これが新月です。地球と太陽に対して、月が90度の位置にあるとき、月の半分が太陽光を反射しているので、半月に

見えます。位置によっては三日月に見えるなど、太陽光を反射している場所の地球からの見え方によって、月の満ち欠けが変わって

きます。満月の月は美しい、徐々に欠けていく月もいい。満月から一週間もすれば、下弦の月と呼ばれるものがみられます

フグだけじゃない! アンコウの水揚げ量日本一! 下関で「あんこう供養祭」

フグと並ぶ下関市のブランド魚です。アンコウの水揚げ量、日本一を誇る下関漁港で『あんこう供養祭』が行なわれました。 祭壇には、日本海でとれた重さ3キロのアンコウが供えられました。 ことしで20回目となる『あんこう供養祭』には、関係者およそ60人が出席しました。 アンコウの漁は、2隻の漁船が1組になって網をひく「沖合底びき網」で行われます。 下関漁港の去年の水揚げ量は189トンで、前の年より40トン減りました。 燃料費の高騰などで経費が10年前の2倍になるなど厳しい状況が続いていますが23年連続で水揚げ量日本一を達成しています。 供養祭では参列者が玉ぐしを捧げ、アンコウに感謝の気持ちを表していました。 (山口県以東機船底曳網漁業協同組合 宮本洋平組合長) 「ちょっと水揚げが落ち込みましたけど、年明けからは比較的魚価も安定してきて来期につながるシーズンではなかったかと思います」 この日は、市内の15の子ども食堂に唐揚げ用のアンコウの切り身1000食分がプレゼントされました。 供養祭ではアンコウ鍋がふるまれ、参列した人たちが舌鼓をうっていました。

気象庁は九州南部が梅雨入りしたとみられると発表しました。九州南部が全国で一番早く梅雨入りするのは初めてです。九州南部は

去年より23日早く、平年に比べ14日早い梅雨入りとなります。梅雨入りの統計を始めた1951年以降、九州南部が全国で一番早く梅雨

入りするのは初めてです。また沖縄地方より早く九州南部が梅雨入りするのは1976年以来49年ぶりということです。

長門の油谷では、田植えが盛んに行われています。当地豊北町よりも早い傾向です。苗を植えている田植え機はまさに魔法のような

機械だ。何とも素晴らしい農機具である。見れば見るほどほれぼれとする。人間の英知の凄さを感じます。昔は短い期間に多くの労

働力を集中する田植えは、稲作全労力の四分の一強、10ア−ル当たり二十五時間を要した。この単調で長時間の重労働であるか

ら、大勢で一緒に行い、田植唄や田植えばやしによって激励・強調をはかって進めた。だからこの重労働を機械化によって省力化

することは長年の農家の夢であったわけだ。機械化に拍車がかかってからは、手植えの十分の一の時間で、しかも1〜2人の家族労

働だけで田植えをすますことが可能になった。今や田植えの時期は、のどかな田植唄の昔に代わり、エンジンの轟音とともにわずか

一日で終わってしまう。

高温多湿の日本では、すぐに雑草がはびこります。そのため、昔は米作りの所要時間の半分近くが雑草取りと言えるほどでした

。今日は、稲を痛めずに雑草だけを選択しながら防除する除草剤があり、広く使用されています。田植えの7日〜10日後、苗が活

着した頃に1回目の除草剤を散布します。除草剤には、液状のものと粒状のものがあります。散布方法で威力を発揮するのが背

負動噴です。田んぼの中に入って粒状の除草剤を手でまくのは大変です。背負動噴なら、畦から遠くへ飛ばすこともできます。

畦道の雑草には除草剤を使わずに、鎌や刈払機で刈り取る場合がほとんどです。これは雑草の根が張り、畦を強化しているか

らです。除草剤を使うと、根まで枯らしてしまい、畦が弱くなって崩れたり、水が漏れたりする原因となります。

16日の夜半から風が強くなってきた。ときおりピユ−ピユ−という風の音で寝つかれなかった。先日の春の嵐の悪夢が脳裏をよぎ

ったのだ。9日の半分の8bの風速とはいえ、最大瞬間風速は16bくらいはあるだろう。先日の春の嵐以降、やばそうなのはロ−プ

をかけたり、支柱のひもを括り直したりした。朝、ざっと見回ってみたが、被害はないようだった。それにしても山の上はすさまじい

風で、吹き飛ばされそうになる瞬間がある。鋼鉄のベンチが下の道まで吹き飛ばされていた。

豊田町の一の俣の民家に水車がある。水の位置エネルギ−を使って、水に働く重力によって水車を回転させている。これは水を水

車の上から流す上掛け水車である。これは水車であって水車小屋ではないので、得た動力で生産、金属加工など何らかの機械的

工程を駆動するものではない。とはいえ、なんともノスタルジックで珍しいものを拝見できた。

早朝から、ホトトギス、コジュケイが山で鳴いています。さらにキジが加わります。ホトトギス、コジュケイは共に険があって美しい鳴き声

ではありませんが、、キジの鳴き声はもういただけません。キジはよくいわれているケ−ン、ケ−ンというよりも、ギュウェン、ギュウェンと

いうか、首を絞められたニワトリの悲鳴と言ったほうが近いような腹から絞りだすようなかすれ声です。これらに比べれば、ウグイスの

鳴き声は美しく、心地よい。ホ−ホケキョ、そして谷渡りと呼ばれるピルルルルル・・・ ケキョケキョケキョ。

最近鹿の出没をみない。気づいてから一週間くらいになるから、実際はもっと前からかもしれない。家の周辺、道路、空地、畑などで

みない日がないほどよくみかけていた。何か原因があるのか、たまたまそうなのかわからない。

ツバメ三羽が家に入る電線にとまっています。仲良く並んでいます。拙者が真下に行っても逃げません。これがスズメであれば、す

ぐ逃げてしまいます。もう5月の中旬を過ぎていますから、ぼちぼち巣作りを始めるのかもしれません。夜に電線に止まっている場合

は、その状態で寝ているようです。そんな器用なことができるのかと思いますが、ツバメは特に足の指が長く、脚力が強いので、落

ちることはないようにバランスをとって寝ているようです。

気象台は19日午前、「奄美地方が梅雨入りしたとみられる」と発表しました。平年より7日遅く、16日に梅雨入りした九州南部よりも遅く

なったのは、確定すれば71年前の1954年以来です。一方、沖縄地方はまだ梅雨入りの発表がなく、九州南部と奄美地方がいずれ

も沖縄地方より先に梅雨入りするのは、確定すれば49年前の1976年以来です。