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ブルックナーの版の問題について(序論)
みなさんご存じの通り、ブルックナーの交響曲には原典版と改訂版の問題があり、
「どの版がブルックナーの最終意思か?」という話や「どの版が好きか?」とい
う話になると結局「ハース版か、ノヴァーク版か」という問題に置き換えられて
しまう傾向があるような気がします。
しかし、視点を変えてみるとこんなことが言えないかと思ったので、ご意見を
伺う次第です。
ブルックナーの生きているとき、すなわちブルックナーがコントロールしていた
出版譜こそが彼の最終意思ではないか?という疑問を私は持ったのです。
実は、昨年私は自分の本業の関係で本を出しました。共著だったので執筆した文
量はそれほど多くありませんが、ゲラ刷りができると本の全体をチェックした共同
執筆者や出版社の担当者から「ここは、どういう意味合いで書かれましたか?」と
か「ここが私にはわかりにくかったのですが」といった質問が来ました。それに対
して「ここは、こういう意味で書いたんです」といった回答をすると、自分でもそ
の部分を書き直したり、書き足したりしたくなりました。
また、校正の締め切り直前には担当者が「そういう意味合いでしたら、じゃあ、
その趣旨で私の方で文章にして原稿に足しても良いでしょうか」という申出があっ
たりしました。もちろん、私にもその方が文章が望ましくなると判断されましたの
でお任せで直してもらいました。この経験をしたもので、ブルックナーの改訂もそ
れに近い部分があったのではないかと思うに至ったのです。
一般にブルックナーの周囲の人が彼がお人好しだったり、彼が作品に自信を無く
したりしたときに寄ってたかっていろいろ手を加えたというイメージが改訂版には
あります。もちろん、そういう面もあるし、5番や9番の改訂版のように明らかに
評判の悪いものも実際にあります。しかし、改訂の中にはブルックナーも賛同した
ものもあるし、7番で当初はなかったシンバルトライアングルを入れたようにワー
グナーやR・シュトラウスと同時代というロマン主義の時代の様式に沿った改訂も
あります。ある意味ではブルックナーは、時代にあった音楽を書きたいという願い
もありつつも、とりあえずスコアリングしてみると古典的、バロック的になってし
まう、そして周囲の人の意見や初演の時の音を聞いた感触からスコアに手を入れた
り、根本から改訂をしたという面があるのだと考えられないでしょうか。少なくと
もあの時代に生きる彼としては、自分の意思を通して出版されないより、多少短く
されたりしても、出版されさえすれば、自分の曲が世間に出るのだからしかたない、
という判断をしたことは確かです。また、「本来の私の意思はこれである」という
原稿を大事に残したりしていないのも事実でしょう。
前述の7番のシンバル・トライアングルは、ノヴァークによればブルックナーの
最終意思であると判断されて、ノヴァーク版には採用されています。しかし、4番
のフィナーレの76小節目のシンバルは改訂版だけの採用です。しかし、4番とい
うブルックナーの最初にポピュラーになった交響曲は、当初の出版譜すなわち改訂
版によってポピュラーになったのであり、またその改訂版こそがブルックナーが生
きているときに出された出版譜です。「原典版と改訂版」というから何となく「原
典」の方が本物という気がしますが、「オリジナル出版譜とハース(ノヴァーク)
校訂版」という表現をするとオリジナル出版譜の価値があがるような気がします。
そういう意味では、ハースないしは、国際ブルックナー協会のマーケティングセン
スの良さが今日の原典版ブームないしは改訂版の過小評価につながっているように
思ったりもします。
ブルックナーが常識のある大人であるという前提からすれば、出版譜というもの
に書かれたものがブルックナーの意思として後世に伝わるであろうと考えたはずで
す。まさか、ハースやノヴァークといった人が校訂をしたり、没後100年も経っ
た極東の国において、ハース版かノヴァーク版かなんて議論があるとは想像もして
いなかったでしょう。となれば、改訂版と言われる当初の出版譜もそれなりにブル
ックナー本人の意思が反映されていると言うべきなのではないかと思うのです。
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