- 1930年7月3日ベルリン生まれ。
- 父は往年の名指揮者エーリッヒ・クライバー。
- 父がナチと対立してブエノスアイレスに脱出したことによりカールからカルロスと改名。
- スイス連邦工科大学で化学を専攻するが、指揮者の道を志し、無給の劇場指揮者からスタート。
- 以後ドイツを中心に各地の劇場のオペラ指揮者となる。
- 1966年、エジンバラ音楽祭のベルグ「ヴォツェック」の初日指揮で大成功。2日目に腹痛を起こしキャンセルしたことから生中継に穴をあけ大スキャンダルとなる。以後、キャンセル病がとりつく。
- 1973年、初めてのレコード録音「魔弾の射手」(ドレスデン国立歌劇場)を行う。ウィーン国立歌劇場に「トリスタンとイゾルデ」でデビュー。
- 1974年、バイロイト音楽祭に「トリスタンとイゾルデ」でデビュー。バイエルン国立歌劇場と初来日。以後、日本はお気に入りの国となる。コヴェント・ガーデン王立歌劇場に「ばらの騎士」でデビュー。
- 1975年、ミラノ・スカラ座に「ばらの騎士」でデビュー。
- 1988年、メトロポリタン・オペラに「ラ・ボエーム」でデビュー。
- クライバーの魅力は、どんな曲でもたった今生み出されたかのように新鮮に響く音楽の素晴らしさはもちろんだけど、そのカッコイイ指揮姿にまいってしまいます。彼の両手の動きを見てるだけで、そのまま音楽が見えてきます。本人もそこを心得てるのか、スタジオ録音は全くしなくなりましたが、ライブでのビデオやLDの発売は許可してます。二度にわたって登場したウィーン・フィルのニュー・イヤー・コンサートでの名演は今でも語り草ですね。私も89年の演奏は生で聞きました。下の写真はその際の楽屋でのクライバーで、右は「ヴォツェック」のスコアにもらったサインです。第一幕の冒頭の台詞「ゆっくり、ヴォツェック!ゆっくり!」と書いてもらいました。