さよなら
「さよなら・・・」
黒い墓石の上に横たわる感触が、冬の青空に無言の言葉を流出させる
その表面には人々が生活で絡み合う具体性の凸凹は無い
なめらかな平滑性は硬質の拒絶だが、暖まった太陽が石の中にまどろんでいる
私はもう二十年も新聞は読んでいない、と、スマホのニュースをさぐるその人の指が
朝の食卓で語りかけてきたので、不意に私はそこを思い浮かべ、埋もれていく
その人を拒絶したのではない、その人に届かない何千日かの夜が、私の筋肉を粘り強いものにした
筋肉は、いつか抱きしめることを願い、ただ歩いて行く
丘の上から見ていたのではない、言葉の喧噪を歩きながら受け止めていたのだ
キラキラと輝きダイヤモンドダストのように私のまわりで飛行し衝突し分裂していくそれぞれの言葉たちの軌道を精密に分析し続ける
もうそこには入れないから、この道を行くしか無いのだと、死んだ者につぶやく
「甘えさせてくれるのは君だけだ」、と言いたいのねと、彼女は艶っぽく微笑む
そんな怠惰を貫けるほど問題は緩くはないと、するりと身をかわして消えてゆく姿
それでいいと、まぶたの無いひとみが言う
つい七十年ほど前まで「私」「たち」は「神」の統治する国に生きていたのだから、まだその時の魂の形が、充実した別の形になっていないからといって、嘆くことはあるまい、二百年後ぐらいに向かって言葉を生み出せれば それでいい、と
君が知らない私の幼い娘が、(そう、生まれたのだ! 君とは別の母親から)
娘が老婆になったとき、その胎児だったときのエコー写真を見ながら
みんな 同じなんだね と、
娘がその孫から言われることがあったならば
その時「私」の言葉も届くだろう
すべての人に 瞬時に
そしてどこまでも遠くから、生きることとその永続性を確信していたその無言が、自らのものでもあることを、娘よ、その母の面影とともに抱きしめてくれ
抱きしめる腕の中には、出会うことのなかった君も含まれているだろう
「さよなら」、と何に向かって言ったのか分からない、「さよなら」と言ったのかどうかも分からない
ただ歩むために、身が超越するのを感じながら振り返る、脱皮のように繰り返す、動作
それはいつも、新しい抱擁と未知の鼓動そのものなのであった
「国鉄詩人」 279号 2019年秋号