国鉄詩人  222号  2001年10月
    

国鉄詩人賞を受賞して

   
   

「十四年前国鉄を解雇されたときから私たちの時間は止まっている。」   ある闘争団員はそう言う。 自ら選んで国鉄を去った形になっているとはいえ、私もその思いを共有する。
  作品の中でふれた二つのエピソードは、清算事業団を退職した元旭川地本副青年部長が九十年三月に凍死体で発見されたというニュースと、「JRに責任のないことを認める」という四党合意を国労が採決しようとした昨年(2000年)七月の全国大会で音威子府闘争団の家族が壇上から発言した言葉である。
   一方で、「俺は労働者だから一円でも多く給料がほしい、昇格試験に受かりたい」と言って仲間だった誰それが国労を抜けた、というJRの友人からの電話を今でも、元分会長の私は聞かなくてはならない。闘争はすべて「現在」においてしか闘われない。「国労」がいかにみすぼらしく見えようとも、やはり、理不尽さに抵抗する人の力は消滅することはあり得ないのである。
   大会でいただいた、作品へのいくつかの批判については、拙稿「雇用という言説をめぐって」(『日本の〈保守〉を哲学する』三一書房1994所収)、国労闘争団を巡る現状については「がんばれ闘争団」のHPhttp://www7b.biglobe.ne.jp/~tomonigo/ を参照してほしい。(現在リンク切れ)


2001年08月13日 (リンク更新2008年3月)