称号をつけよう

 中世ヨーロッパに限られるようだが、国王や皇族の名前に称号をつけて表記していたらしい。「シャルル美徳王」、「ルイ敬虔王」、「ジャン無怖侯」、「シャルル突進侯」、などなど。そんな立派な称号ばかりではなく、中には、「カール肥満王」、「シャルル禿頭王」、などというものもある。カール大帝の父親に至っては「ピピン短躯王」、母親は「大足女ベルタ」と呼ばれていたという。喧嘩売っとんのか。

 これには理由があって、中世のヨーロッパの貴族階級は、血族結婚を繰り返した末、馬鹿になってしまっただけではなく、姓もみんな同じになってしまったらしい。その結果、どちらを見てもシャルル、あちらは全員ルイ、石を投げればジャンに当たる、という事態を招いてしまった。ちなみに昔、「シャルルマーニュ大帝」、「カール大帝」、「シャルル大帝」、という王様の名前を聞いて、ヨーロッパには大帝がいっぱいいるんだなあ、さすが、と思っていたのだ。あとになって、これが全部同一人物だと知ったショックは大きかった。あれからヨーロッパに幻滅してしまった。地方による発音の違いに過ぎないのだが、それでもシャルル一世がドイツに行くとカール二世になったりして、いまだに何だかよく分からない。
 貴族の場合は領地、そしてそれに由来する家名を後ろにつけるという手がある。フランス貴族のド、ドイツ貴族のフォンだ。シャルル・ド・アンジューはアンジュー地方のシャルル、フランツ・フォン・ジッキンゲンはジッキンゲン家のフランツというわけだ。ところが王の場合この手が使えない。貴族の連合体の上に立つのが王であり、個人的な領地とは関係ないからだ。
 そこで編み出されたのがこの称号らしい。個人的な特徴で名前を読み分ける、なかなかよいアイディアだ。が。

 これ、本人の前でも使っていたのかな。仮にも国王に向かって、「やあ、ピピンのチビ!」とか、「元気か?ハゲシャルル」などと呼べたのだろうか。絞首刑とかされずに済んだのであろうか。
 どうやらこの習慣はルネサンスあたりでなくなってしまった。また東洋に輸出されることもなかった。もし日本に来ていたらどうなっていただろう。さしずめ大正天皇は馬……あわわわわ。絞首刑ものだ。

 この習慣がいまわずかに残されているのは、プロレス界だ。「アンドレ・ザ・ジャイアント」は「大巨人アンドレ」のことだし、「アブドーラ・ザ・ブッチャー」は「屠殺人アブドーラ」のことだ。「ディック・ザ・ブルーザー」は「突進男ディック」という名前のもと、「ブルーザー・ブロディ」こと「突進屋ブロディ」とブルーザーの称号を賭けて闘った。スティーブ・ウィリアムスもアメリカでは、「スティーブ・”ドクター・デス”ウィリアムス」と、「殺人医師スティーブ・ウィリアムス」のように称号付きで紹介される。
 中には固有名詞が省略され、称号だけで呼ばれる選手もいる。「ザ・デストロイヤー」は単なる「ぶち壊し屋」だし、「ザ・ビースト」も単なる「野蛮人」だ。まあこれは、綽名の変遷などにもよくあることだ。

 ある男が新しい職場に来た。最初は名前をそのままに「中村君」や、ちょっともじって「中ちゃん」などと呼ばれる。そのうち、男は異常にカレーが好きなことが判明し、異動で仲村さんも来たこともあって、「カレーの中村君」「中村屋のカレー」などと呼ばれるようになる。そのうち、忙しい上司が、「おい、カレー!」と呼んだことをきっかけに、中村君は「カレー」としか呼ばれなくなる。可哀想な中村君は、その職場にいる限り、自分の姓を呼んでもらえることはない。新入社員も、「あの、中村さんって、なぜカレーなんですか?」などと先輩に聞いた結果、入社三日目からは、「あの、カレーさん、結合テストの準備できました」などと言うのである。取引先の人も、昼食を共にすると、「いやあ、中村さんって、みんなからカレーって呼ばれると思ったら、本当にカレー食べるんですね」と妙に感心してしまい、お歳暮に「カレーさんへ」などと書いてくるのである。まさに、「太陽にほえろ!」のジーパン現象である。
 中村君の受難はそれだけでは済まない。社内結婚などしようものなら、社内の綽名でそのままお嫁さんに呼ばれてしまうのだ。「わたしカレーのこと好きよ」「カレー……愛してる」「カレーに一生ついてゆきます」と言われても嬉しいのかどうか難しいところだ。もはや新婚でもなくなり、「カレー、帰りに人参と玉葱買ってきてね」「ちょっとカレー、何よこの角の丸い『ようこ』って名刺は!」「カレー、また電話代が三万円超えたわ。カレーのせいよ。夕食のカレーは抜き!」と言われてしまっては尚更だ。
 近所の主婦の耳が悪いと大変だ。「これ、私のカレー」などと紹介されたのを聞き違え、あの奥さんは旦那でない男と遊び歩いているのか、不倫だ尻軽女だ、あの男は確か奥さんのマンションにいるのを見たことがある、旦那さんはどうしているのかしら、きっと行方不明なのよ、共謀したのよ、犯罪だわ殺人だわ、そういえばあの家、いつもカレーの臭いがするのよ、きっと香辛料の匂いで屍臭を誤魔化しているのよ、隠蔽だわ死体遺棄だわと近所の公園で噂されてしまうのだ。
 さらに子供が誕生し、すくすくと育つのはいいのだが、回らぬ舌で「まーま、かーれ」などと呼ばれてしまうのだ。パパとさえ呼んでもらえないのだ。幼稚園のお絵かきで「パパのかお」というお題でカレクックの絵を描かれてしまうのだ。なにしろ頭に載せるのは得意だからな、いや、こっちの話。しかし誰なんだ、いたいけな幼児にそんなマイナー超人教えた奴は。

 だから牛丼にしなさいと言ったのに。あ、でも、スグルと呼ばれておしまいか。


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