男は黙って

 男という言葉にはいつも哀しいイメージがつきまとう。
 例えば沢田研二も「男はいつでも哀しいサムライ」と歌っているくらいだ。だけどこの男、年上の女に可愛がられたりニーナと抱き合ったり時の過ぎゆくままに墜ちていったりした挙げ句、夜というのに派手なレコードかけて「ひとりも不幸にしたくない」などと身勝手な台詞を吐きながら出てゆくんである。やり逃げじゃねえか。

 まあ、それほどでなくても、男という言葉と娘という言葉を並べれば、どっちが魅力的か、歴然としている。私は無条件で娘を取る。いくらでも取る。男に対応するのは女ではないかと疑問を呈される方もいるかと思うが、女でもいい。何人でもいい。「でも」、とはなにごとです、「でも」とは。きいぃぃぃ。
 いやでも、娘に対応するのが息子かというと、そうでもないのだよ。娘、といえば一般若年女性を指すが、息子、では自分と奥さん(お妾さんでも可)の共同作業で誕生した男性のみを指すのだ。もしくは男の肉体の一部を。「娘さんよく聞けよ」と歌いかけるのは山男だが、「息子さんよく聞けよ」と歌うとなんだか奮い立たぬ自分の肉体の一部に空しく呼びかける哀れな中年男になってしまうのだ。どちらにせよ呼びかけるのは男、というところが男の哀しさを表している。

 他にも男の哀しさを示す例証がある。
 娘は地名とよく結びついて華麗な、あるいは甘美なイメージをかき立てたが、男にそんな作用があるかというと、全然ないのだ。「イタリア男」あ、そ。「スペイン男」ご勝手に。「ブラジル男」それがどうしたというんだ。ことほどさように、男と地名は結びつかない。辛うじて「ロシア男」が、力が強いかな、という朧気なイメージを喚起するくらいなものだ。

 むしろ、男は事物と結びついて力を発揮する。イヤな力だが。「蛙男」「蝙蝠男」「蠍男」「蜘蛛男」「コブラ男」どうです、まがまがしいでしょう。天才が狂気の域まで達した突然変異の少年か、世界を我が手に収めんと企む気違い博士の作った秘密結社の秘密研究所が作り出した改造人間のようではないか。ようではないか、ってその通りなんだけどね。「蠅男」はただ小さいだけの人間か、普通の大きさでただ頭部が蠅になっているだけの人間か、ちょっと迷うところだ。しかしあの映画の最後で蜘蛛に食われた、身体が蠅で顔が人間のものは、「男蠅」と呼ぶのでしょうか。男蠅。ちょっと強そうだ。学ラン着込んで謎の中国拳法を使って子分を三万人くらい集めそうだ。でも子分がみんな男蠅。ダメだこりゃ。

 娘ではこうはいかない。「蛙娘」「蠍娘」「蜘蛛娘」なんだかかわいいではないか。抱きしめたい。ぎゅっと。ああ冷たくてぬるぬるしてるけど、そこがまたいい。いま、ちくっと背中が刺される気がしたが、気のせいだよね。ああ君のもしゃもしゃした体毛も気持ちいい。身体の真ん中から脚がわしゃわしゃ生えていて、とっても撫で回したいぜハニー。え、ハニーは蜂娘に言えだって? はっは、いいじゃないかセニョリータ。ああ、その複眼で俺を見つめてくれ。エメラルド色の目が無数にきらきら光ってとても綺麗さ。そう、その八本の歩脚と二本の触肢で俺を優しく撫でておくれ。その一対の鋏角で俺を優しく噛んでおくれ。はっは、ちょっと強すぎ、ね、セニョリータ、あ、食い込む、血が、あ、お、俺を食うつもり、か、わ、ほ、ほ、ほ…………。

 やかましい奴がいなくなったので話を進める。生物に頼らずとも、男は力を発揮する。イヤな力だが。「影男」は影の世界に生きる。闇の世界のパレードの主人公だ。パレードが最高潮に達した頃、光と常識の世界に憧れた弱気な青年に撃たれて死ぬ。「空気男」はペテン師の食い物になっている。「食い気男」とちょっと似ているがだいぶ違う。「砂男」は夜な夜な子供の家を訪れ、そのまぶたに砂をかけて眠りの世界に落としこむ。多く練馬と薩摩に棲息し、そこの奥さんはいつも朝になると家中に散らばる砂を見て溜息をつく。「色男」は別名「虹男」ともいい、サイケでアングラな色彩と幻覚をもたらす魔薬メスカリンで女をたらしこむ。「山男」は前述したように娘さんに見境なく歌いかけ、隙あらば娘さんを妊娠させて若後家さんにしようとする恐ろしい魔人である。中には身長2メートル50、全身毛むくじゃらでヒマラヤの山地や中国雲南省、カリフォルニアの奥地などに棲む者もいる。最後の例は山男がゴリラの着ぐるみをかぶった者という説もある。「男山」と間違えてはいけない。これは北海道と山形に産する美味しいお酒である。かくのごとく夜の闇から誕生し、あなたに邪悪と狂気をもたらすためにやってくる存在、それが男。

 残念ながら私も、男の仲間入りをしてしまっているのだ。中年男、と呼ばれる人間に。中年男、ああなんというおぞましい語感でありましょう。なんという哀れな姿でしょう。「怪奇! 蜘蛛男対中年男」「戦慄! 血を吸う中年男」「世にも珍奇なる中年男、ここに世界初公開!」というように書いても、まるで違和感がない。そうです。中年男は怪奇と戦慄の世界に棲む住人にほかならないのです。世間に出てはいけないのです。闇と影の中でのみ存在を許されるのです。
 さらに哀れなのは、あと二十年もすると、老人となってしまうこと。そう、男ですらなくなってしまうのです。嗚呼。


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