くだらな日記(2012年)


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12月17日(月)
 必殺商売人「殺られた主水は夢ん中」を見た。これは必殺シリーズ放映300回記念として、それまでにシリーズで多く殺されている悪役を演じた俳優、今井健二(虎の元締にバットで撲殺されたのが印象的)・菅貫太郎・神田隆・江幡高志(岡っ引きや女衒などを歴任した小物悪役っぷりがいい)・弓恵子らに冒頭で中村主水が殺されてしまうというお遊びシーンが冒頭にある。
 ところで殺すのが上記悪役俳優であるのはいいとして、殺される代表が藤田まことでいいのか、ちょっと気になってきたので調べてみた。
 放映回数ごとに殺した仕事人俳優と殺された悪役俳優をカウントするのが正確だろうが、とてもじゃないが私の能力を超えている。やむなく、仕事人として登場した放映回数でカウントしてみた。むろん登場しない回や殺しをしない回もあるが、それは除外。元締もたまに殺しをすることあるし、まあ殺人教唆はしてるから、ということでカウント。

300回までの放映シリーズ
 必殺仕掛人 33話
 必殺仕置人 26話
 助け人走る 36話
 暗闇仕留人 27話
 必殺必中仕事屋稼業 26話
 必殺仕置屋稼業 28話
 必殺仕業人 28話
 必殺からくり人 13話
 必殺からくり人・血風編 11話
 新・必殺仕置人 41話
 新・必殺からくり人・東海道五十三次殺し旅 13話
 江戸プロフェッショナル・必殺商売人 18話(26話中18話目で放映300回)

仕事人レギュラー登場回数
 藤田まこと 158
  (仕置人、仕留人、仕置屋稼業、仕業人、新仕置人、商売人、すべて中村主水)
 緒形拳 85
  (仕事人・梅安、仕事屋稼業・半兵衛、からくり人・時次郎、からくり東海道・広重)
 山崎努 78
  (仕置人、新仕置人・鉄、からくり血風編・土左衛門)
 山村聡 69
  (仕事人・半右衛門、助け人・清兵衛)
 沖雅也 54
  (仕置人・錠、仕事屋稼業・市松)
 草笛光子 44
  (仕置屋稼業、商売人・おせい)
 山田五十鈴 26
  (からくり人・仇吉、からくり東海道・お艶)

 半次等の津坂匡章とおきん等の野川由美子は89話、正八の火野正平は59話に出てるんだが、密偵役は殺しをしないのでノーカンとしておいた。
 こうして見ると、過半数に出演の中村主水がやはり妥当だが、緒形拳や山崎努でもそれほど違和感がないなあ。
 必殺プロデューサーの山内氏はかつて「前期必殺と後期必殺の違いは、イケメン俳優が出てるかどうかの違い(糸井貢は除く)」と言っていたが、私にとっては「前期必殺は緒方・山崎みたいな実力俳優が出てる」という感じだ。後期になると藤田まことが頭の上がらない俳優といえば、おりくさんの山田五十鈴くらいになっちゃったからねえ。


11月13日(火)
 たぶん以前にも書いたと思うが、私が学生時代に愛読していた漫画のひとつに、みやぞえ郁雄「風の雀吾」がある。
 これを紹介していたのはロリコン漫画雑誌「漫画ブリッコ」の、中田雅喜のエッセイであった。
 題名からもわかるように、「風の雀吾」は麻雀漫画である。おおまかに紹介すると、父親がかつて開発した12の雀技を盗んだ夜叉連合から、雀技を奪い返し再封印するため旅立つ少年雀吾の物語である。これだけ書いてしまうとなんのことはない麻雀伝奇漫画だが、なんといってもこの漫画の魅力は、中田雅喜も紹介していたその雀技のすばらしさである。。
 3人の敵が手牌をあえて晒し、もっとも安全そうな牌が実は当たりだという「三方魔円陣」、捨て牌の陰と手牌の陽は相互関連しており、捨て牌からアガり牌を確定できる「陰陽陣」はまあ、他の漫画で登場してもおかしくない雀技だといっていいだろう。
 しかし、相手を操って自分に天和の牌を積ませる「天の和陣」、相手の視神経をおかしくして牌をすべて白板に見せる「白魔陣」は、これは麻雀の技か?と疑問に思ってしまう。
 そしてアガれなかった牌の無念を吸収して同じ技でアガる「残留思念陣」、精霊が手牌を教えてくれる「精霊陣」、牌に命を与えて手役を作らせる「命陣」、アガれない死牌を相手に押しつけ自分はアガれる生牌を得る「死生陣」、大脳からアガりに用いるエネルギーを吸収してアガれなくする「絶対陣」となると、オカルトですね、サイキックですね、と笑うしかない。相手の霊魂を離脱させて腑抜けになっている間にアガってしまう「離霊陣」はサイキックのうえ卑怯という反則技。いやまあ、ぜんぶ卑怯と言えば卑怯なんだけど。
 きわめつけは超音波を発して相手の精神を破壊する「谺陣」、太陽を引き寄せて相手を焼き殺す「太陽陣」……もう麻雀関係ねえ。

 しかし私たちが熱狂したのは、これらの技ではなく、作品中に登場する素敵な台詞だった。
 こういう漫画だから、点棒の計算なんかする場面はない。最後に生きてる方が勝ちという、ワイルドなルールの麻雀である。それゆえ敵たちは、最初は主人公に倍満や役満を鷹揚にアガらせてくれる。そのとき吐く台詞がいかすのだ。
「ワンサイドゲームになっては私にとってもつまらない。まず、弱者に花を……」
「私が牌達にハネ満でアガらせてやれと命令したのですよ」
「アガって場を進めれば進めるほど、自分の死期を早めてるのも知らないお前が哀れでね」
「フッ……なんだ、そんな手でいちいち悩んでいたのか。案外つまらん男だな、お前」
「フ……たかが親倍で鬼の首でも取ったようにはしゃぐとは、哀れなものよ……」
「それに、天和など騒ぐ必要もなかろう」
 まだ哭きの竜、むろんカイジも出版されていなかった時期、麻雀を打ちながら使える名言はこの漫画しか私たちの周囲にはなかった。みんな麻雀しながらこのセリフを言いたがり、というかこのセリフを言うために麻雀していた。このセリフを使うためには振り込まねばならぬ。よってみんなせっせと振り込みに勤しみ、ために私の雀力は見るも哀れな状態のまま確定してしまったのである。


10月7日(日)
 金魚が死んだあと、カラの60センチ水槽に45センチで繁茂しすぎた水草を分配し、お魚不在のまま回すこと約2ヶ月。
 水質を確認してから、そろそろ涼しくなったしお魚も元気だろう、とネオンテトラ30匹ラスボラエスペイ10匹を投入。ついでに寂しくなった45センチ水槽にもグローライトテトラ10匹を投入。水槽を分けたのは魚のサイズとトリートメント。グローライトはお魚屋さんでトリートメント済み、大きさも先住のネオンテトラやグラスブラッドフィンとそんなに変わらない。ネオンとラスボラはフレークエサが食えないほどのチビで、未トリートメントの特売だったので。
 チビどもはチビ用の餌に買ってきたブラインシュリンプはガツガツ食ってるし、変な病気もなさそうなんで、とりあえずは大丈夫そう。
 これで60センチも熱帯魚水槽と化したのだが、さて、通販で注文したヒーターが届くまで寒波が襲来しませんように。


10月6日(土)
 「ルーマニア・二つの革命」(シルビュ・ブルカン:サイマル出版会)を読んで、この人はかなりの政治家だったはずなのに、なんで不用意な物言いが多いんだろう、と不思議に思った。
 たとえばチャウシェスクと妻のエレナ批判。筆者はエレナのほうがより嫌いらしいが、「無学で愚か」「夫よりも意地が悪い」「ずんぐりした体型、大きな唇、垂れたお尻」ってのはあまりにも悪口のレベルが低い。さらにエレナが見本にしたと伝える紅青に「契約をもらうために映画監督やプロデューサーと寝たこともある」と世間の噂ていどの信憑性の低い記述。あまつさえ、チャウシェスクの養子だったワレンティン(ヴァレンティン)を実子と間違えている。
 この政治家とも思えぬ杜撰さはなんなんだろう、と思ったら、「チャウシェスク銃殺とその後」(鈴木四郎:中公文庫)では「ブルカンは救国戦線副議長に選ばれ(中略)たが『ルーマニア国民は一割余の指導知識層を除いて無能力者の集まり』との放言が世間の憤激を呼んで一日にして栄誉の地位を追われた」とあって、ある意味納得。
 ブルカンは「東欧革命」(三浦元博・山崎博康:岩波新書)でも救国戦線の論争相手をせせら笑うシーンがあったり、「戦線のイデオローグを自負する野心家」と書かれたりで、そうとう我の強い、癖の強い人物であったことは確かなようだ。ひょっとすると、ルーマニアはチャウシェスクやイリエスクより、オレ様に統治されるのがふさわしいと思ってたのかもしれない。


9月11日(火)
 「うそつきの進化論」(デイヴィッド・リヴィングストン・スミス:NHK出版)を読む。著者についてはよくわからない。20年下の黒人女性と結婚したという記述のみが記憶に残っている。
 動物の情報伝達を語る部分は退屈だが、精神分析について触れたあたりから段々と面白くなってくる。
 著者は精神分析の手法しながらもフロイトの洞察はいくつか称賛している。そのひとつは、精神分析が患者でなく、医師の精神分析をするケース。これには狼男の事例などによりフロイトも気づいていた。それがバイアス程度のものか、精神分析の基礎をなす部分であるかについては、フロイトと著者とでは違うようだが。
 著者の見解(精神分析が分析医を分析することは避けられない)によれば、精神分析がどうしてあんなに分派するのかもわかりやすくなる。社会学に偏するアドラー、幻視者ユング、セックスとバイオレンスの使徒ライヒなどなど。いまだにフロイトやユングを金科玉条にして学派ひとつも作れない精神分析医学者は無能ということか。
 著者はやがて、人間のコミュニケーションを公的な押しつけ(マスコミや政治家の演説など)と私的なひそやかさ(噂話など)に分類し、後者に重要性を与えるが、たわいない夢や錯誤行為に重要な手がかりを認めたフロイトもこの結論には満足だろう。ついでにちょっと考える。アメリカの大統領候補の演説と、日本の政治家のちょっとした会話を深読みするのと、どっちが人間として正常なコミュニケーションなのだろう、と。
 私的コミュニケーションである噂話の信憑性についても触れてほしかったが、どうもそれは著者の領分ではないようだ。著者は情報が真実かどうかではなく、「その集団で共有する価値があるかどうか」に重点を置くからだ。その点でも精神分析の技法と重なる。宇宙人に拉致されて金属片を脳に埋め込まれた話でも、3歳のとき父親にレイプされて性奴隷となった話でも、重要なのはそれが事実かどうかではなく、それを語るに至った患者の精神状態だからだ。いま、精神分析で明らかになった過去()を事実と思い込むおめでたい人間は、ネットで真実が語られると信じる人間と同じくらい滑稽だろう。
 そういやマスコミとネットを過剰に対立項としてとらえすぎ、ネットにのみ真実があると思い込む人間は、どういうわけかマスコミ以上に押しつけがましいサイトをこしらえる傾向にあるが、あれはどういう精神状態なんだろう。


8月23日(木)
 阪神の野村元監督は采配の妙に定評がある。時として策士策に溺れる流の失敗はあるが、遠山葛西にみる中継ぎ投手の起用や赤星藤本ら若手野手の獲得、新庄の発奮などは今も語り継がれている。また、スカウト網の充実、選手層の積極的な入れ替え、一軍と二軍の一体化など、阪神球団の運営に関する提言も正しい方向を指している。ただ野村の影響力はグラウンド内にとどまり、球団首脳を動かす力はなかったため、その提言が任期内に生かされることはなかった。
 野村の提言を実行したのは後任の星野監督である。野村とは正反対に、グラウンド内での策は乏しいが(そのため、采配担当の島野育夫をつねに横に置いていた)、球団首脳を動かす政治力に長けていた星野は、巨人の伊藤菊スカウトの引き抜き、金本・伊良部・下柳など大物選手の獲得、二軍での若手育成バックアップ体制の確立など矢継ぎ早に動き、阪神を暗黒時代から脱出させることに成功した。
 つまり星野はGM的監督であり、野村はグラウンド・マネージャーとしての監督そのものだった。おそらく星野GM、野村監督で阪神を運営するのが最善だっただろう。人間の感情というものをまったく無視して仮定するならば。
 ひるがえって中村勝広という人物の履歴を見ると、監督としては凡庸、GMとしては失格というしかない。中途半端な長距離打者を好み、松永や濱中を獲得する代償に野田や平野を放出し、そのつどチームの崩壊を招いている。また野村の真似をするわけではないだろうが、安物ポンコツ選手の大量獲得を好み、契約金ゼロや他球団の自由契約選手をかき集めるが、野村と違って選手を見る目がないため、すべて安物買いの銭失いに終わっている。
 こんな中村をGMに据える理由はひとつしかない。坂井・南の無能なる球団首脳に絶対逆らわないからだ。阪神監督時代は久万オーナーのイエスマン、オリックス監督・GM時代は宮内オーナーのイエスマンとしてご無理ごもっともおおせに従いますのヘコヘコ人生を評価されたのだろう。無能な権力者には、組織の崩壊よりも自分の失脚を恐れるという特徴がある。
 指導力采配力の無能を露呈しながらも保身だけで監督になれた和田監督の上にチーム作りの無能を露呈しながらも保身だけでGMになる中村が立ち、さらにその上に保身だけに汲々としている無能なる坂井・南が存在する阪神。もはや自浄する能力はない。外圧により崩壊させるしか再生の道はないだろう。チュニジアやリビアやエジプトやシリアのごとく。


8月14日(火)
 金魚が死んでしまった。
 ここんとこ食欲ないな、まあ暑いからかなと思っていたら、風邪で寝てた間に5年生のコメットが頓死。生き残った4年生の朱文金もヒレが白く腐ってたのでウイルスを疑い、メチレンブルー薬浴させてグリーンFゴールド買ってきたら死んでいた。これで金魚全滅。
 とりあえず換水して、60センチ水槽をどうしよう。


8月13日(月)
 やっぱり使い続けていると、どの色を選んだかわかりにくいプレフィールは使い勝手が悪い。
 スタイルフィットの油性芯を入れたコレトは書き味なめらかなんだが、コレトのゲルインクほどではないにせよ、インクの消耗が早い。日勤で使ってたら黒が切れてしまった。また買出しにいかねば。
 そんなわけでここんところクリップオンGを使っている。これがベターなのかなあ。
 ベストは色の選択がわかりやすいプレフィールなんだがなあ。ノック部分を色分けするオプションを発売してくれないかなあ。


7月24日(火)
 ぺんてるのローリーは、いまいち色が薄くて使い勝手がよくない。ゼブラのクリップオンGはまあまあ。コレトに挿したスタイルフィット芯は好調。とりあえず、使用に耐える4色ボールペンが2本できたのだが、ついでにゼブラのプレフィールを買ってきた。
 赤羽でちゃんと揃ってる文具店がみつからなかったので新宿で探したが、あんまりないぞプレフィール。小田急の伊東屋では置いてないとはっきり断言された。紀伊国屋東口の文具屋はあまりに小さくなってたので論外(そんな店でもコレトは置いてたけどな)。そして最後の頼みの綱の東急ハンズでは、さすがにあった。コレトに比べると辺鄙なところにひっそり置いてたけど。コレトは案内板にも表記していたが、プレフィールはもちろん案内なし。明日にも撤去されそうな勢いである。
 それでもカスタマイズボールペンで4色油性が揃うのはありがたい。ちょっと使ってみたが、書き味も使い勝手もまずまず。ボディ部分はコレトよりも堅牢っぽい。ただしノック部分が色分けされてないので、色を選ぶのがわかりづらい。一長一短だな。


7月17日(火)
 ボールペン遍歴。
 介護の仕事をするようになって手書きの機会が増えた。特に夜勤の場合は、黒やら赤やら青やら緑やらいろんな色で書くことが多い。特に赤。夜間帯の記録は赤字で書くことになっているので、やたらに使用する。
 当初は百円ショップの4色ボールペンを使っていたのだが、これは当たり外れが多い(最初からどれかの色が使えないとか)うえ、書き味が悪くて手が疲れる。
 最初は我慢して使っていたが、お歳暮で薬局から貰った4色ボールペンを使ってみて、書き味のあまりの違いに驚いた。なんと手が疲れないことか、もう百円ボールペンには戻れないと感激。しかしそれも、1ヶ月も使うと赤のインクが尽きてしまった。
 書き味が良くて、ついでにインクの補充可能な4色ボールペンはないものかと考えて、ふとCMで見た記憶のある、パイロットのハイテックCコレトを思い出した。ボディに好きな色のボールペン芯を設定するやつ。
 さっそく文房具店に走って4色のボディと、黒赤青緑のレフィル(ボールペン芯)を購入。ちょっと線が細い(最大でも0.5ミリまで)けれど、まあまあ使いやすいと思っていたんだが、数ヶ月使っているうちに、だんだんと不満が出てきた。
 ひとつはゲルインクの消耗が早く、夜勤を2回もやると赤のインクが尽きてしまうこと。たぶんノート1枚びっしり書いたらインクが尽きる。まあそれはそれで我慢ができるが、もうひとつ、このゲルインクは水性で、水に濡れるとインクが滲んだり消えたりしてしまう。介護ってのは水を多く使うんで、水性インクはあまりというかひじょうに好ましくない。夏場だと自分の汗で滲んだりもするし、ポケットに入れていたメモが判読不能になったりもする。
 コレト用の油性レフィルはないもんかとネットで検索していたら、耳寄りな情報にヒット。なんでも三菱のカスタマイズボールペン、スタイルフィットの替芯をちょっと切って縮めると、コレトのレフィルとして使用可能だとのこと。
 スタイルフィットのボディは3色(黒、赤、青)か4色+シャーペンしかなく、緑がないかシャーペンが余計かの帯に短し襷に長しといったところだが、インクは油性で0.7ミリって太さもあり、コレトの4色ボディに収まって使えるならこれがベスト。
 またも文房具店に走ってスタイルフィットの替芯を購入。油性の0.7ミリ、黒、赤、青はあるが緑は残念ながらなかった。
 細工は簡単。コレトの芯のプラスチック部分を引き抜き、スタイルフィットの替芯とコレトの軸部分を比べると、スタイルフィットのほうがちょっと長いので、ハサミかカッターで切りそろえ、コレトのプラスチック部分を差し込んでセットするだけ。
 スタイルフィットの芯をコレトに搭載って、元はモノマガジンの記事だったらしいが、そういう記事が書かれるのも、それをやってみた人が多いのも、同じ悩みを抱えてる人が多いってことなんだろうな。
 ところがこの悩みを解消するカスタマイズボールペンを検索していて見つけた。ゼブラからこないだ新発売のプレフィール。4色ボディがあって油性で黒赤青緑と揃っていて太さも0.7ミリで、私のニーズは必要十分に満たしている。しかし残念ながら後発のためか、コレトとスタイルフィットにシェアを独占され、油性の4色を揃えている店が近所では見つからなかった。
 (カスタマイズボールペンはぺんてるもスリッチーズを出しているが、こちらは3色までしかボディがないので論外)

 どうもカスタマイズボールペンって、私のようにがしがし仕事に使う用途の人は少数派で、女子中学生あたりがパステル色で揃えて交換ノートに書いてキャッカワイィーウフフッってのが主要らしい。だからゲルインクが戦艦大和の重油のごとく消費がはなはだしくても文句は出ないし、パステルっぽくない油性インクの品揃えが貧弱なんだろうな。

 文具店で物色するうち、べつに変な色を使うわけじゃないし、カスタマイズに限定せんでもええやん、いっそ4色で替芯があればええやろ、という気分になり、ぺんてるのローリーC4とゼブラのクリップオンG4Cもついでに購入。どちらも油性0.7ミリ。ちょっと書いてみた感じでは、どちらもそこそこ使えそう。これからがしがし使ってみて比べていくか。

 しかしこれで、4色ボールペンに使った金額はざっと2千円強。百円ボールペンなら40本(2本セットで)、3年は使えるだけの金額を使っているなあ。たぶん次はプレフィールを買って3千円に到達すると思う。


7月12日(木)
 「ジェノサイドの丘 ルワンダ虐殺の隠された真実」(フィリップ・ゴーレイヴィッチ:WAVE出版)を読む。
 先日の「現代アフリカの紛争と国家」は研究書だが、こちらは虐殺のルポ。当事者や虐殺のやりくち、そして政治的な動きについてはこちらのほうが詳しい。
 ルワンダ亡命政府が虐殺の責任者を山ほどかかえながらも国連の援助で生きながらえ、新政府への反攻を声高に語るってのは、実になんというかポルポト派を彷彿とするのだが、著者はポルポトについては作中でたしか3箇所しか言及していない。たぶん私がルワンダに疎いのと同様、作者は東南アジアに疎いのだろう。
 ポルポトとのもうひとつの共通点は日本人がからんでいるところ。緒方貞子が登場して虐殺当事者を優遇するエピソードがある。カンボジアの明石康もそうなんだが、日本の総理待望論まで出た人物が、行動を読みこんでいくと無能無定見のみが見出されていくってのはなんか寂しいね。
 ついでにこの本、先日の武内進一氏から、柳下毅一郎翻訳の杜撰さを指摘されていることも付記しておこう。固有名詞の日本語表記くらいなら許容範囲内だけど、「フツ族」を「ツチ族」、「そう考えていた」を「そうは思えなかった」と訳すのはやっぱり問題があるわな。まるっきり意味が逆だもん。

 もうひとつ読みかけた「赤いラクダ ポリサリオ解放戦線体験記」(平田伊都子:第三書館)はまったくの駄本で途中投げ出し。馬鹿なくせに上から目線って著者はいちばん読みづらいんだよ。こんなのが絡んでるから西サハラはまだ独立達成できてないんじゃないのか。


7月6日(金)
 「現代アフリカの紛争と国家 ポストコロニアル家産制国家とルワンダ・ジェノサイド」(武内進一:明石書店)を読む。
 面白かったのはツチ族とフツ族の区別がかつては曖昧で入れ替え可能だったのが、植民地以降厳格に法制化され、差別の構造が確立してしまい、それがポストコロニアルの独立国家でも踏襲されたという指摘。日本のえたひにんが江戸幕府で確立して明治政府にも引き継がれたのに似ているな。
 もうひとつ、民族自決、独立奨励、援助、民主化という、欧米先進国がよかれと思ってお勧めした政策が、ルワンダではことごとく裏目に出て血で血を洗う虐殺の応酬になってしまったという指摘。民族自決と独立奨励は、まだ近代国家としての準備ができていない未熟な集団に国家というオモチャを与えてしまい、さらに国際的援助がそれらの集団を、援助物資の恣意的分配を行う親分とそのおこぼれにあずかる子分という個人的従属関係に固定してしまった。そして民主化で多党制を採用したがいいが、躍進したのはヘイトスピーチで民衆を煽動する過激派民族主義だったというオチ。
 著者が意図した「ポストコロニアル家産制国家の崩壊がジェノサイドにつながった」という一般的図式はよくわからなかったが、ルワンダでなぜジェノサイドが起きたか、というのはよく理解できた。それでよかったんじゃないだろうか。


4月3日(火)
 じわじわと「中国 文化大革命の大宣伝」(草森紳一:芸術新聞社)を読み進んでいる。
 周恩来すげぇなと思うのは、あの文革の蛮行のさなかに、精緻きわまりない外交をやってのけていること。ピンポン外交なんか最高。実力的に大差のあるアメリカ代表をおもんばかって、中国代表選手団に「レベルの落ちる選手には励ましの態度をとること。われわれだけが勝ってしまわないようにすること」と注文をつけるところなど、明らかに格下の東南アジアまでしゃしゃり出て大差で勝ってニッポンコールではしゃぐ日本の自称サッカーファンに聞かせてやりたい。
 その同じ周恩来が、「墓標なき草原」ではモンゴル人弾圧を抑えつけるどころか助長したとして告発されているのは、どちらも政治家としての周恩来の優秀性を語っている。あのとき、アメリカは絶対に味方につけなければならなかった。だから歓待し国民感情にまで配慮した。いっぽう、内モンゴルやチベットの人間はたかだか数百万の無力な集団。どう扱ったって独立の意思は捨てないし味方には絶対にならない。だから徹底的に叩き、内乱の芽を潰すとともに中華民族の忠誠心を育てるエサとして利用する。したたかな政治家の計算である。


3月31日(土)
 紀伊国屋サザンシアターで沢田研二の音楽劇「お嬢さんお手上げだ」を見る。
 沢田研二の音楽劇といえば、何十年前かに始まったACTシリーズ。これはひとりで喋り歌い踊るもので、私は「ニーノ・ロータ」「ボリス・ヴィアン」「サルバドール・ダリ」「シェイクスピア」を見たかな。残念なのは「バスター・キートン」を見なかったこと。あの頃の沢田研二は痩せていて風貌もキートンにちょっと似ていた。今はすっかり相棒のファティ・アーバックルに似ちゃってるが。
 この日の音楽劇は数人の演技で、ACTシリーズの後に始まった「センセイの鞄」「ぼんち」あたりのシリーズなのかな。低スペックの高年齢男性が、どういうわけか若い女性にモテる、という展開は「センセイの鞄」に似ている。
 花輪は沢田研二よりもヒロインの朝倉みかんという、戦国武将だかアニメのヒロインだかよくわからない女優のほうが目立っていた。それだけあって歌をのぞけば結構な演技であった。九州弁よし。共演の男性3人は年季が入った演技で盛り上げてくれた。難をいえば脚本と演出かな。ベテラン漫画家の作品世界という設定なので、歯の浮くような台詞やこっ恥ずかしいシチュエーションが頻出しておじさん時々引いちゃうのだ。

 仕事場で全方位にニコニコ接してるので、マイナス感情が溜まりまくってるのだろうな。
 昨日は徹夜明け。ちょっと家に帰って風呂入ってから電車に乗って新宿で音楽劇。そのあと大久保まで歩いてゆず茶買って帰って最寄り駅の居酒屋で夕食兼呑み。家に帰ったら阪神がひでぇ試合やってたのでツイッターで暴言吐きながらパソコン外壁を破壊。そのあと不貞寝でまで怒鳴りつける夢を見た。本日はふさぎの虫でほぼ終日臥床。
 多分精神的耐性が低くなってるんだろうな。こないだから文化大革命の本を読んでいるんだが、中国人はみんな死んでしまえと叫びたくなるような事実の羅列なので読み進めるのがつらくて、読む速度が遅い。


3月24日(土)

東の島の (脳内)王さまは
その名も偉大な ネトウヨク
ロマンチックな 王さまで
風のすべてが 在日の罠
星のすべてが 創価の陰謀
ネトウヨク ネトウヨク ネトネトネトウヨク

東の島の (脳内)大王は
会員の名前も ネトウヨク
会合ぎらいの会員で
風がふいたら遅刻して
雨がふったらお休みだ
ネトウヨク ネトウヨク ネトネトネトウヨク

参考資料:2010年・頑張れ日本設立大会 2000人動員(平日晴)
     2011年・1周年全国大会 2000人動員(平日晴)
     2012年・2周年全国大会 300人動員(平日雨)


3月22日(木)
 「墓標なき草原」(楊海英:岩波書店)を読む。内モンゴルでの文化大革命レポート。
 最初は文革の本に出てくる政治局メンバーの推移表で、内蒙古のウランフ(本書ではウラーンフーと表記)はどうなっちゃったのかという興味で読んだのだが、予想外に面白かった。面白いというとちょっと語弊があるが。
 ひとつは文革のテロリズムの実体が詳細に書かれていること。この本を読んではっきりわかったのだが、ポルポト政権下のカンボジアで行われたテロリズムは、テクニックとして間違いなく文化大革命のテロリズムを模倣している。オリジナルな要素はほとんどない。拷問や虐殺の手法だけではない、主にインテリを狙い打ちするという目標も、ポルポトは文化大革命からコピペしている。まあ、ポルポトは文革の時期にしばしば中国を訪問し、文革派の政治家と親交を深めていたから、そのテクニックについては親しく見聞きしていただろう。当然のことである。
 ポルポトが独創的なのは、その規模というか比率の問題だけだ。文化大革命では、中国政府はモンゴル人の50人に1人を辱め、20人に1人を殺したとすれば、ポルポト政権下では、カンボジア政府は10人に1人を辱め、5人に1人を殺している。その密度は他の追随を許さない。
 もうひとつは司馬遼太郎が中国の事情についてけっこう語っていたことがわかったこと。司馬遼太郎は生前、中国政府の政策については表立っての批判はまったくしていない。「長安から北京へ」において、劇団への抗議ていどで恐怖していた司馬遼太郎としては、当然のことだろう。
 しかし、「ロシアについて」において、内モンゴルとチベットと北方領土は中国にとってリンクした問題である、と語ったことは、中国政府のかなり根幹をえぐった発言だったのだな、と、この本を読んであらためて思う。そして、清朝の過去という体裁で、漢人がモンゴル人に阿片を売りつけて堕落させていると書いていた(もっともラマ教が梅毒の温床のくだりはとんでもなく古い本を鵜呑みにしたもので、大昔に梅棹忠夫あたりに完全に否定されているが)が、あれも現在まで綿々と続いていることを隠喩していたのだな、つまり司馬遼太郎は、過去の悪行という名目で現在の悪行を告発していたのだな、と。
 ―モンゴル人は、ロシア人になってしまえ―
 と叫んだ司馬遼太郎は、おそらく書いた以上に重く莫大な事実を把握していたのだろう。


3月1日(木)
 「ザ・ベストテン」(山田修爾:新潮文庫)を読んで思うのだが、たしかに「ザ・ベストテンの時代」とでも呼ぶべき一時期があったことは確かだろうと思う。その時代とは、
・ヤマハのポピュラーソングコンテストや世界歌謡祭の興隆とほぼ同期で、イカ天と入れ替わるように終了し、
・ナベプロの衰退、ジャニーズの興隆とほぼ同期で、
・いわゆるニューミュージックの興隆とほぼ同期、かつバンドブームの興隆と交代するように終了し、
・第何次かのアイドルブーム(松田聖子とたのきんに始まり、おニャン子により潰される)とほぼ同期で、
 というものだっただろうか。
 この本は巻末に歴代ベストテン一覧表があって資料的価値も高いが、得点と出演状況を併記して毎週のもうすぐベストテンも表記してくれたらもっと嬉しかった。まあ、そうしたら文庫本じゃなくなるかもしれんが。

 同時にザ・ベストテンは私の「次の曲愛好癖」に火をつけたのかもしれない。
 ヒット曲をひっさげて登場する新顔歌手は、苦節ウン年のベテランだったり、コンテスト受賞の新人だったりするが、ヒット曲には必ず万人受けする要素があり、どこか歌手本人にとっては迎合した感があるらしい。そこで歌手は考える。「ヒットしたんだから、次は自分の気のすむようなのを作ろうぜ」あるいは「ヒットしたんだから、同じようなのを作ろうぜ」
 その結果「次の曲」は歌手の体臭を感じさせる(その結果万人受けしない)ものと、前曲路線をそのまま踏襲した(その結果飽きられる)ものに別れる。前曲の余韻で露出は多いが、そこそこ程度のヒットか、コケる場合が多い。まあ、わらべ「もしも明日が…」、新生ザ・タイガース「色つきの女でいてくれよ」みたいに前の曲より売れる場合も少数あるが。
 クリスタルキング「蜃気楼」久保田早紀「25時」狩人「コスモス街道」岸田智史「螺旋階段」桑名正博「The Super Star」円広志「愛しのキャリアガール」……そこはかとなくマイナーっぽい、こういう歌が好きだ。
 ついでにいうと、ベストテン番組も、高嶋秀武が司会していた「ビッグ・ベストテン」のほうが……もっとも、ヒット番組「ザ・ベストテン」の「次」が「ビッグ・ベストテン」、「次の次」が「ザ・トップテン」なのだが、マイナー臭は「次」が「正」どころか、「次の次」よりもハンパなく強い。


2月27日(月)
 球団別・高卒入団投手の最新100勝達成比較(※は現役、在籍最多勝)
ソフトバンク:杉内(入団時ダイエー・11年)※現役最多も杉内103勝、在籍最多は斎藤79勝
日本ハム:尾崎(入団時東映・67年東映で達成)※現役最多はダルビッシュ93勝、在籍最多は吉川6勝
西武:松坂(06年)※現役最多も松坂108勝、在籍最多は涌井79勝
オリックス:星野(入団時阪急・93年達成)※現役最多は平井63勝、在籍最多は西10勝(28勝の近藤は近鉄入団)
楽天:なし(岩隈は近鉄出身・10年楽天で達成)※現役最多、在籍最多は田中将65勝
ロッテ:村田(78年達成)※現役最多、在籍最多は小野83勝
中日:山本昌(97年達成)※現役最多、在籍最多も山本昌210勝
ヤクルト:石井(08年・西武で達成)※現役最多も石井133勝、在籍最多は由規26勝
巨人:桑田(94年達成)※現役最多、在籍最多は内海80勝
阪神:江夏(72年達成)※現役最多は井川86勝、在籍最多は藤川40勝
広島:北別府(84年達成)※現役最多、在籍最多は大竹53勝
DeNA:三浦(入団時大洋・06年達成)※現役最多、在籍最多も三浦143勝


2月4日(土)
 銭ゲバ、怪物くん、妖怪人間とヒットしてきた往年の名作漫画&アニメの実写ドラマ化(こち亀は失敗したけど)。次はどんなのを狙ってるのかな。
 野球やプロレスのような激しいアクションは実写化しにくい、時代物や海外物はロケが難しい、ギャグオンリーはコケる可能性が高い、できれば意表を突く映像化で話題になりたい……とすると、今もCMになって知名度の高い「ど根性ガエル」あたりが狙われているのではないかと。あれはギャグではあるけど、人情物でもあるし、そっちを前面に出して昭和30年代テイストをちりばめて「三丁目の夕日」路線も狙えるし。
 あとは「ふたりと5人」も特撮駆使して話題性が狙える。原作者にあんまり思い入れがない分、脚色が奔放にやれそうだし。


1月31日(火)
 「激動のカンボジアを生き抜いて」(ヌオン・バリー:たちばな出版)を読む。ポルポト政権下で夫、兄弟、娘を失い、のちに孤児院の院長になった女性の体験談だ。
 この本、巻頭の写真に「名誉校長深見氏と」というキャンプションがあって、やや不安だったのだが、末尾についに「万能多才な神道の実践家深見さん」が登場してきて、あちゃあ、と思った。やはり深見東州だった。
 しかしどうやらカンボジアでは、深見氏は資金援助に専念し、孤児に変なことを教えてないようなので安心した。ヒトラーに殺されたユダヤ人について語ったときみたいに、「ポルポトに殺されたカンボジア人は、かつてアンコール王朝時代にタイ族やラオ族やミャオ族を虐待した輪廻の報いなのだ」などと言っていたらどうしようかと、ちょっと心配したのだが。


1月28日(土)
 最近、古谷一行の金田一耕助シリーズをよく見る。ひょっとするとまた金田一ブームが来つつあるのかもしれんね。
 せっかくだから過去の名作を再放送するだけでなく、新しいメディアに進出してみたらどうだろう。たとえばアニメ。
 本格的にいくのならJETにキャラ設定をしてもらい、原作に忠実なアニメ化をするという手もある。とりあえずJETコミックを原作に展開すればいいな。
 あるいは開き直って美少女探偵・金田一耕子にしてしまい、イケメン刑事等々力と磯川との三角関係を軸に展開する脳天気アニメにしてしまうという手もある。その場合は、「獄門島」とか「悪魔が来たりて笛を吹く」のような正攻法ではなく、原作もこれまで映像化してないのがいいと思う。
 たとえば金田一版「マリみて」とも言える「七つの仮面」。ガチゆりに金田一探偵が挑む「堕ちたる天女」。女教師と美少年のいけない関係を描く「香水心中」。NTRの連鎖から生じた殺人事件に金田一探偵が挑む「夜歩く」。こんなのをアニメ化してみたらいかがでしょうか。


1月27日(金)
 図書館のサイトで「貸本」で検索して適当に借りた本のひとつが、唐沢俊一「まんがの逆襲 脳みそ直撃!怒濤の貸本怪奇まんがの世界」だった。収録された漫画はまあまあ凄いのだが、それ以上に凄いのが唐沢俊一の文章だった。
 まず監修者紹介がすごい。ツッコミどころが多すぎるので、カギカッコ内に私の補注を入れておく。「大学在学中からアニメ評論{「ぴあ」に読者投稿してガンダムやゴジラを無茶苦茶に貶し、富野由悠季や手塚治虫にまで顰蹙を買ったことを指すらしい}、イッセー尾形のスタッフ{雑用バイト。舞台の前説に抜擢されるが、観客に「イッセーの芸がわかってるのはオレだけだ」と豪語して総スカンを食らい、イッセーに逆恨みしながら逃亡}などで活動。卒業後、医療事務のコンピュータープログラマー{親がやってる薬局の処方箋を打ち込む仕事。座敷牢のような狭い一室で上半身裸になって作業していたらしい}を経て、文筆業となる。(中略)カルト対象物の論理的分析に定評がある{唐沢俊一は論理的な文章が書けないことに定評がある}」
 イッセー尾形の前説で失敗した話を書いたが、唐沢は本の前書きや後書きでも失敗することが多い。この本でも同様。主要な失敗パターンは風呂敷を広げすぎて畳めなくなってしまうこと。この本でもご多分に漏れず、貸本漫画から漫画論、出版文化論まで展開しようとして、論理的思考の欠如と知識のあまりの薄さから大コケしている。
 「貸本という商業システムにあわせて生み出された(これは世界でも日本のみの、しかもこの時代のみの、特殊な出版文化である)個人による一冊描き下ろし中心という、独自の作品制作パターン。このパターンがどれだけ作家の個性を作品上に現出させることに効果があったことか」
 普通に考えると、「これ」は「貸本という商業システム」のことを指すと思われるが、当たり前だが貸本は日本独自でもなければ昭和30〜40年代独自でもない。17〜19世紀イギリスで売られたチャップ・ブックは販売形態がほぼ貸本屋だし、チャップ・ブックにとどめを刺したのはまごうことなく貸本屋である。もろに「イギリスの貸本文化」という本すら出版されている。日本では、江戸時代から絵双紙や草双紙などを扱う貸本屋が存在したことは有名。でなけりゃ、ドラマ「新・必殺仕置人」で絵双紙屋の正八(火野正平)なんて人物出てきませんって。大正期の立川文庫もひじょうに有名。猿飛佐助、真田幸村、一休さん、水戸黄門、大久保彦左衛門、たいがいの歴史的ヒーローはここでキャラが確立している。
 ついでにいうと「個人による一冊描き下ろし」は、雑誌が誕生する近現代以前にはむしろ当たり前の制作パターン。独自でもなんでもない。バルザックもディケンズもほとんどが書き下ろしだったし(ディケンズは個人雑誌という、やや変則的な発表方法もあったが)、井原西鶴だって滝沢馬琴だって書き下ろし。漫画は雑誌というシステムの誕生後に隆盛したから雑誌連載が多かったものの、手塚治虫の初期長編やアメコミの多くは描き下ろし。メビウスなどバンド・デシネの作品も描き下ろし単行本発売が多いようだ。
 そしてようやく本文。池川伸治「愛」の紹介。「なお、主人公が相撲取りに描かれているが、これは作者のマンガのレギュラー・キャラで、実弟で二子山部屋に当時在籍していた池の山という力士がモデルなんだとか」
 あの……このマンガ、相撲取りはおろか、相撲をほのめかすようなものは、まったく登場しない。単に登場するのがうすら馬鹿のデブというだけ。素直な私は、相撲取りを見落としたかと思って、14ページの漫画を5回も読み返しましたよ。
 たぶん唐沢は、レギュラーキャラのモデル情報をひけらかしたくて、まったく整合性のないこの文章をむりやりねじこんだのだと思う。このへんにも、唐沢の論理的思考の欠如がうかがわれる。
 「三田京子の世界」では当時の唐沢夫人、ソルボンヌK子が漫画に直接ツッコミを書きこんでいる。まあこれはみんな怒るよなあ。漫画雑誌に小学生が落書きしたようにしか見えない。本当に小学生レベルのツッコミなんだよ。
 ちなみにこの本を1993年に出版した福武書店は、2年後にベネッセに社名変更、文芸出版からは全面撤退している。いかにも唐沢俊一らしい、と思うのはひが目であろうか。


1月14日(土)
 これまでアメリカの大統領で、大統領が死亡または辞任したため副大統領が昇格したのは9人。そのうち4人は次の選挙で大統領選挙に勝っている。残りの5人のうち4人は、副大統領としての選挙戦には勝利している。大統領候補としても副大統領候補としても、選挙戦にまったく勝ったことなく大統領になったのは、ジェラルド・フォードのみ。ニクソン大統領、アグニュー副大統領として選挙戦に勝利した共和党コンビだが、1973年にアグニューが収賄スキャンダルで辞任したため、ニクソンは後任の副大統領に下院の院内総務だったフォードを据えた。1974年にはウォーターゲート事件でニクソンも辞任に追い込まれたため、フォードが大統領に昇格。1976年の大統領選挙ではフォードが民主党のカーターに敗れたため、ジェラルド・フォードは、今までのところ大統領・副大統領の選挙戦にまったく勝利したことのない唯一の大統領である。
 いや、別に書いてみただけ。


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