くだらな日記(2011年4月)


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3月18日(金)
 ガソリンや米やラーメンやトイレットペーパーを買いあさる人々をあんまり非難する気になれないのは、45歳以上の人間ならだいたい石油ショックのときのトイレットペーパー騒ぎを知っていて、30歳以上の人間ならだいたい米不足騒動を知っていて、なおかつ、
・行政は被災していない一般人を助けることはない
・モノがなくなるのはアッという間で、復活するには1ヶ月近くかかる
・復活した商品は、なぜか以前より値が上がっている
 という基本的な事実くらい承知しているわけで。
 どうせまた商社とメーカーと石油会社が備蓄してるんでしょ? 儲けるつもりなんでしょ? ビジネスチャンスだと思ってるんでしょ? という感想しか出てこないんだ。

 まあ、今回の震災でよくわかったことは、日本人はやっぱり平和ボケでもなんでもない、常在戦場の国民だなあ、と。助けあう姿勢もそうだし、ドサクサ紛れに火事場泥棒してやろうという姿勢もそうだし。「この際だから」という精神が強すぎると思うんだ。


3月15日(火)
インドシナ・ジョーク拾遺。
 日本の大震災に際し、インドシナの国が日本へ贈ったもの。
 ベトナムは米を1万トン。
 ラオスは水牛1万頭。
 カンボジアは「疎開のすすめ」(ポル・ポト著)1万冊。


3月13日(日)
 今回の地震でわかったこと。
 つっぱり家具はつっぱり力に頼りきっているので、つっぱり力が失われたらもろく倒れる。自室のつっぱり書棚は入居時に購入したもの。最初はネジで天井につっぱっていたのだが、書籍の重みで床が沈んでつっぱれなくなっていた。対面の書棚はつっぱり力を維持していたので本が落ちただけですんだ。他の書棚はつっぱりタイプではなかったので安全だった。
 水槽は大きいほど波の増幅作用で水がこぼれやすい。60センチ水槽は7割くらいまで水が入っていたのだが、2割くらいの水がこぼれてしまった。45センチ水槽は若干こぼれたものの7割くらいの水は残っている。

 大西さんは一家無事でなにより。電気と水が止まって不便だそうですが、なあに、ポメラは使える<そんな場合ではない
 パトリックさん一家は金魚ともども無事だったそうです。金魚は地震予知しませんねえ。


3月11日(金)
 東北・北関東大震災の我が家の被害速報。
 本棚倒壊3 落下した書籍約千冊
 台所の棚倒壊 床に米散乱
 水槽の水がリビングに流出し床上浸水 洗濯物とバスタオルと新聞で水を抑えるが床暖房への被害不詳
 水槽のガラス蓋、電灯が水槽に落下。金魚一匹がショックで一時人事不省、電流で一匹の尾ビレが溶ける
 甚大な精神的ショックのため片付ける気にもなれない
 水戸の大西さんと秋田のパトリックさんはどうなったのだろうか


3月4日(金)
 宮崎清隆「憲兵・軍法会議」(ミヤカワ・モルフォブックス)は凄い。なぜなら、憲兵は血に飢えた軍閥の狂犬ではない、血の通ったふつうの人間であり、ちゃんと軍律に従っていたのだ、という主張を裏付ける証拠として、次のような実例をあげているからだ。

事実、隊勤務当時の裏面生活には、憲兵でありながら、時に同期生同士で国家改造論を戦わし、戦争を批判し、東条政策を誹謗することもあり、また上官を侮辱誹謗するような言葉をつかったり、あるいは時には横暴な憲兵将校に対しての反感のあまり、自分の部下の中国人密偵を使って暗殺してしまおうか、などという相談を耳にしたこともある。事実、憲兵分遣隊長が部下に謀殺された事件もあり、(以下略)

そうした職権乱用の憲兵が、同じ憲兵の手によってどしどし摘発され、極秘に処分されていたという事実も認めてもらいたいものである。

 そのあとは敵地に単身乗り込んで中華やくざの親分と渡りあった話とか、美女スパイを使って共産軍の秘密連絡網を壊滅させた話とか出てきますが、正直その信憑性は、南洋一郎の猛獣狩り物語や、マス・オーヤマのカラテ世界武勇伝に匹敵すると言わざるをえません。


3月3日(木)
 今朝見た夢はこんなだった。
 自分の両目をえぐり取って、ごろんと転がる眼球を手のひらに載せ、写生しながら、ふと、
「ここで描いている眼球は俺のだけど、それを見ている目はどこにある?」
 と疑問が芽生えたところで目が覚めた。

 まあ、荒俣宏の本に出てくる「ギロチンで落とされた自分の首にキッスした人」のパクリじゃないかとか、落語の「ここで死んでるのは俺だけど、じゃあ、それを見ている俺はなんだ?」にも似ているとかいう話はともかく。
 不思議に思うその瞬間まで、目玉をえぐり取ってスケッチしている自分の視点と、それをカメラのように客観的に眺めている視点という、ふたつの視点が適当に混合して、悩むことはなかったんだよね。
 ちなみに月曜日に見た夢は、「ほら男爵が少年時代、マルコ・ポーロと名乗って、アラビアンナイト風美女とシルクロードを旅するという小説」というものだったんだが、そのときは、小説が書かれたテキストという視点と、物語を客観的に映像で眺める視点と、物語の主人公の少年の立場で年上美女に誘惑されるという視点の、三つの視点が妙な具合に混在していた。
 それをネタにして雑文を書いた。夢で一人称と三人称が混在していた妙な感じを出したくて、視点をわざと混乱させようとしたのだが、うまくいかんかった。漫画なら、作者が描いている漫画からキャラが登場して作者とじゃれる、ってのは吾妻ひでおという見本があるのだが。


3月1日(火)
 先日、藤岡真さんの日記に書き込みをして、その関係でちょっと気持ちが残ったところがあるんだが、主題とは違う話題なので、自分の日記に書く。
 要するに政治家の顔とカップリングについての時代感覚の話だ。

 カップリングについて先に書こう。
 私がフルシチョフとアイゼンハウアーとのカップリング例を提示したところ、藤岡さんは「フルシチョフはケネディとカップリングされるべき人物である」と言われた。この言葉は、世界史的感覚、そしておそらくリアルタイム感覚では正しいだろう。
 ただし、フルシチョフの第一書記としての任期は1958年から1964年。実際には、マレンコフ、モロトフらを追い出した1957年から、ソ連の最高実力者である。1957年から61年までの4年間はアイゼンハウアーに対抗し、1961年から1964年までの3年間はケネディに張り合っていた。年数でいえばほぼ互角である。
 さらに、ソ連とアメリカの力関係でいえば、1957年には世界初の人工衛星スプートニク打ち上げに成功、1961年にはガガーリンの有人宇宙飛行に成功し、核兵器で抜かれたアメリカを宇宙開発で抜き返した時期である。ところが1962年のキューバ危機で、フルシチョフはケネディに譲歩。キューバに配備したミサイルを引き上げ、フルシチョフ失脚のきっかけのひとつとなった。
 つまりカップリングの攻め・受けの関係で言うと
 フルシチョフ×アイゼンハウアー
 ケネディ×フルシチョフ
 という関係が成り立つ。フルシチョフ贔屓の人間からすると、アイゼンハウアーを攻めるフルシチョフのカップリングのほうが、印象深いのである。

 さらに顔の時代感覚について。
 おそらくリアルタイムの感覚では、印象の薄いアイゼンハウアーよりは派手なケネディの方が印象深く、記憶に残るのだろう。
 しかし私の記憶はリアルタイムでなく、風刺漫画で読む戦後史、のような本の中にある、悩むアイゼンハウアーの顔の周囲をドヤ顔で回転するフルシチョフの顔、というたったひとつの風刺漫画(スプートニク成功)からの記憶だった。
 リアルタイムでない記憶は、どんな変なバイアスがかかっているかもしれない。
 もうふたつ、私事をあげてみよう。たとえばアメリカのレーガンとカップリングされるべきソ連の最高実力者は、というと、リアルタイム感覚ではゴルバチョフか、まあ次点でブレジネフが正解だろう。しかし私の変な記憶からくる感覚では、なんといってもレーガン×チェルネンコなのだ。それはたったひとつのマンガ、片山まさゆき「ウォッカタイム」からくる記憶である。
 さらにトルーマンというアメリカ大統領は、いまひとつ地味で、顔を覚えている人は少ないと思う。しかし私は覚えているのだ。それはむろんリアルタイムの記憶ではなく、ムロタニ・ツネ象のマンガ「地獄くん」に登場するトルーマン人形からの記憶である。

 リアルタイムでない記憶はどんなヘンテコなバイアスがかかっているかもしれないから恐ろしい。
 たとえば、今の小学生たちの記憶の中では、池田勇人と佐藤栄作と福田赳夫と大平正芳の顔が、ひとしなみに「水木しげるの鬼太郎マンガに出てくる昔の政治家」という同じ棚に入っているかもしれないのだ。


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