くだらな日記(2003年2月)


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2月26日(水)キン肉マン2世風
「ハーッハッハッハ、これで2世もオダブツだな!!」
「貧乏人は、つねに金持ちの前に跪く運命なのさ!」
 超人タッグトーナメント、いわゆるT−2の準々決勝である。
 大本命といわれた万太郎とテリー・ザ・キッドのタッグは、まったく下馬評にものぼっていない伏兵に苦戦していた。
 バヌアツ代表のオンラインカジノマンと、名古屋代表のパチンキャーである。
「うりゃ、ダブルロットー!!」
「これで350万のダメージはいくな」
「う……ぐ……」
「万太郎! 苦しいだろうが、そこから反撃だ!」
 テリーが檄を飛ばす。
「大丈夫です。王子は、まだ負けてはいない」
 セコンドのミートが断言する。
 万太郎の額に、ほのかに「肉」の文字が浮かびつつある。
「しゃらくせぇ! ここでキメてやるぜ! いくぞ、断崖絶壁ゼロゼロ秘術!!」
 超高角度からの三つの膝攻撃を、しかし、万太郎は受け止める。
 その額には、はっきりと、「肉」の文字が。
「おまえの弱点、しかと確かめたよ。あんた、初回だけだが、チップを買ったとき30ドルもらえるよな」
「グ……グムゥ……
「いくぜ換金バスター!!」
「グギャアアアアア!!!」
 リングサイドのジェイドが唸る。
「なんて頭脳明晰な攻撃だ。これが、あの万太郎なのか?!」
 その肩を叩く超人がいる。
「万太郎はわたしに勝ったのですよ。王者の遊びと言われたチェスを制したのですから、どんな遊びにも勝てる」
 チェックメイトであった。
「よし、オフラインになったぞ! キッド頼む!」
「ふっ、オフになったオンラインゲームは惨めなものだな。暇つぶしにもなりゃしねえ」
 満を持してテリー・ザ・キッドが入場。パンチの乱れ打ちで、オンラインカジノマンを場外へ叩き出す。
「さあ、お望みはビデオポーカー固めか、地獄のスロットか?」


2月25日(火)戸田奈津子風
「25歳だ」
「25歳?」
「去年まで○ビだった」
「それが350万ドル?」
「線上の賭博場とパチンコだ」
「線上の賭博場?」
「たった2ヶ月でな」
「やるっきゃないぜ」
「1ドル以上のチップで30ドル」
「4000円で?」
「初回だけかもな」
「そのまま換金すればウハウハ」
「ルーレットで赤黒に賭ければ」
「60ウォンになるかもだ」
「暇つぶしにもなるかもだ」
「映像ポーカーとか遅いとかも」
「いろいろあるな」
「マジでやるっきゃないかもだ」
「やってくれるかな?」
「いいとも!」


2月24日(月)司馬遼太郎風
 二十五歳。
 無一文だった。
 昨年までは、である。
 (これほどの転変があろうが)
 我ながらこの身を抓りたくなるようである。
 二年間で三百五十万円。
 さほどの額ではないが、それまでのこの男にとっては、目のくらむような金額である。
 オンラインカジノとパチンコ。
 いわゆる「バクチ」である。
 バクチで儲けた者なし。それが、世の常識である。
 (常識などは世の俗物どもにくれてやれ。おれは、常識の逆をいく)
 無一文に怖いものはない。
 (駄目なら、そこで人生が終わる。それだけのことだ)
 本気で、そう思っている。
 しかし、この無欲そうなそぶりに騙されてはならない。
 博打を打ちながらも、水面下では、たっぷりと計算している。
 いわばぺてんのような手を、着々と打っているのだ。
 この博打には、ひとつのいかさまが仕掛けられている。
 初回のみ、一弗以上のチップを買った場合、三十弗が支給されるのだ。
 (これを貰うだけ貰って、換金してしまえば、いわば三十弗は取り得じゃ)
 この三十弗を捨てる気になって、丁半に賭ければ、半分の確率で二倍になる。
 無から五分の確率で六十弗が生じるのだ。
 欲ある人間は、とびつかないはずがない。
 しかも、オフラインのゲームは暇つぶしになる。
 ビデオポーカー。スロット。
 この男にとっては、またとない金儲けの機会である。
 (この好機を見逃す奴は、子々孫々まで貧乏人よ)


2月23日(日)
 サントリー対NECのラグビー日本選手権決勝は、なかなかの好試合でした。チームワークで押す&守りきってターンオーバーのNECと、個人技で突破するサントリー。個性の違いがよく出ていて、つまらないミスも少なかった。やっぱ東芝府中は準決勝敗退で正解だったな。NECの初優勝おめでとう。

 アザラシのタマちゃん(西玉雄)に住民票を交付したことに対し、外国籍の住民が「われわれにも住民票をよこせ。住民と認めろ」とデモ。当然だな。あの住民票交付は、てめえら外国人は畜生以下だと断言したにも等しい行為なのだから。それにしても横浜市西区も「住民票は国の問題だから」とは情けない。

 あと何か言いたいこともあったのだが、きょうは悪酔いして性格が穏和になってしまったのでもういいや。プリシラ公園読んで涙が出てきちまったぜ。ヤキが廻ったな。まみやもプリシラも横浜市西区の公僕も金正日もサントリーの監督も横浜の古木選手もブッシュもフセインもシラクも大森さんもみんなでいいひとになろう。おやすみなさい。


2月22日(土)
 ここんとこ、週末はカレー曜日。タイカレーペーストを消費しなくては。
 今日はpanangカレーとかいうレッドカレーっぽいペースト。ペーストとココナツミルクをサラダオイルで炒め、塩胡椒して油で揚げた鶏肉をぶった切って、水とスープキューブを加え煮込むという、毎度の如くの手順。あとは冷蔵庫に余った野菜をがんがん放り込む。ニンジン、ジャガイモ、白菜、エシャロット、百合根、マッシュルーム。チャツネを入れたら甘くなったので唐辛子を三本ほど放り込み、ヌクマムとオイスターソースで味を調節。
 さて、でかい鍋にいっぱいの野菜カレーだ。きょうあすで消費するぞ。尻の穴警報発令中。

 2ちゃんねるを見ていたら、マリベル官能小説がいつのまにか貼られていてびっくり。でも萌えられていたようで、ちょっと安心。
 それにしてもたろたま界隈、相手掲示板に突撃→オフィシャルネットバトル開始きゃほーい→第三者に総スカン食らう→相手を脅してログ消去させる→自分のログも証拠隠滅→震えてませんから→BBSで釈明しようとするが反論され逆ギレ→掲示板書き込み制限→掲示板削除→騒動の経緯を説明する第三者に、メールでこっそりと噛みつく→事実関係に誤りがあると断言→それはどこかと聞かれ、「アタクシに答える義務はないわ。勝手に考えてよオホホホ」と誤魔化す→メールはいっさい公開するなと恫喝→著作権侵害だから証拠隠滅した資料のミラーは削除せよと恫喝→サイト再開を考えています。そもそもアタクシサイト閉じてないし、等々と、サイト管理人としてやっちゃいけないこと連発ってのはどうよ。やはり、あの騒動はまだプロローグに過ぎなかったのか。

 ここのところ北朝鮮のジャーナリズムについて報道するテレビや雑誌が多いのだけれど、それはいいことなのだけれど、それが日本のジャーナリズムにとって諸刃の剣であることがわかっているのかどうなのか。まさか北朝鮮のニュース番組を笑っているくせに、日本の報道は公正中立だと思っている、ナイーブすぎる人ばっかりじゃないよね? 「やっぱり福田さんを総理にしなきゃ」とか「そっかヨーグルトは体にいいのか、じゃ明日から毎日食べよう」とかテレビで言ってることを鵜呑みにしてる馬鹿ばっかりじゃないよね? 北朝鮮の天才音楽少女って、美空ひばりのデビュー時のフィルムに酷似しているのだけれど、そういう具合に、北朝鮮の現状は日本の現状(もしくはちょっと前の日本)の鏡であることに気づかないでいる馬鹿ばっかりじゃないよね?


2月18日(火)
 最近特撮も見ていないのだけど、「爆乳戦隊アバズレンジャー対仮性ライダーパイズリ」ってどういう内容なの? いやらしくないの?

 甘口のワインを買って、その始末に苦慮していた。なにしろ国産ワインで甘口というと相当なもので、飲むのはおろか料理にもちょっとどうかというようなものだったのだ。でも解決策をみつけたからもう安心。ヴァン・ショーにすればいいのだ。本当のヴァン・ショーは、熱したワインにレモンと蜂蜜をたらして熱いうちにすすりこむものだが、この甘いワインなら、レンジで熱してレモンをたらしこむだけでよい。これで寒い夜も風邪気味の体調もばっちりさ。いや、でも花粉症には?

 いかん、本格的にいかん。
 2ちゃんねるに入り浸るならまだしも、数多くの板を横断する企画、「ホムーラン打たれて」「赤ちゃんを拾いました」「流石だな俺たち」「私はメーテル」などに入り込んでしまうのは本当にいかん。しかし世界史板はなんでも消化するな。個人的には格闘板のミル子ちゃんと、野球板の←谷←野球板の全員、に萌えだが。


2月16日(日)
 最近映画を見なくなったのは、おすぎのせいでもあると思うのです。あの人がCMで絶賛していると、あらゆる映画がうさんくさくてつまらないものに見えてきて、見に行く気をなくすのです。
 でも指輪物語2は因縁もあるしおすぎがまだ絶賛していないし、できれば見に行きたいのです。戸田奈津子女史の字幕で、ストーリーがどれだけ理解できるかに挑戦もしてみたいし。そのうち映画館が空いてきたら。

 今日、はじめて人を斬った。
「ええいどけどけ! 寄るな寄るな! この女がどうなってもいいのか!」
「この公儀隠密を逃がすな! わが藩の秘密を知られたからには、生かして帰すわけにはいかん!」
「し、しかしご家老、こやつ、姫君を盾にしているので、うっかり斬りつけると姫君の身も……」
「ええいかまわぬ! 西江口藩1万300石の行く末がかかっておるのじゃ! 西江口藩がなにより優先じゃ! かまわぬ、姫ごと斬れ!!」

 ……だめだめだ。
ひめごと雑文祭参加断念作品)


2月15日(土)
 ホメオパシー(同種療法)のレメディ(治療薬)一覧
 「おぼれた人」や「ドアに手をはさんだとき」や「失恋」や「でもダンスが好き」や「屈辱を受けたとき」に効く薬ってのはすごいな。
 「私は大丈夫だといつも思っている」や、「眼がキラキラしている」や、「でもやってみるとうまくできる」というのは治療する必要はないと思うのだが。


2月13日(木)
 いや、前日はああ書いたけど、別に大森選手が嫌いでも憎くもない。
 いままでノアで、さんざん冷遇されていたのを見ているから。
 人間としての尊厳すら傷つけられていたもんね。金玉オンエア事件とか。
 大森選手ほど「飼い殺し」という言葉が似合うレスラーはいなかった。
 森林で道に迷っているような人生行路だけど、なんとか道を見つけてほしい。
 さっそうとしたエース大森選手が見たいのですよ、どの団体でもいいから。
 んー、まあそういうことでがんばれ大森選手。たぶんWJは見ないけど。

 そしてアルシオンのエース、大向選手も退団。アジャコングや浜田文子と同じく、またもガイアへ行くのか。こうやってガイアはトップレスラーを次々と補充していくので、いつまでたっても広田さくらがいちばんのペーペーのまま。そういえば大向って、ちょびっとしゃあさんに似ているような気がするのですが。

 しかし「フランスは恩知らず」だとどの口で言うか。まったく、あの国の連中ときたら。独立戦争にあれだけ貢献したフランスに礼状一通でお茶を濁した恩知らずはてめえの国だろうが。ああいう馬鹿でしかも恩知らずにはなりたくない、とつくづく思う。


2月12日(水)
 ノーフィアーの片割れ、大森選手がノアを退団。おそらく長州の新団体、WJに移籍するだろうとのこと。
 しかしノーフィアーのふたりは明暗を分けましたね。片やプロレスのみならず格闘技で名勝負を繰り広げ、昨年末はボブサップの相手へ抜擢された高山、片やノアでも居場所が無くてアメリカの四流プロレス団体をサーキット(ドサまわり)したあげく凱旋もなんにもないのでくやしまぎれに退団した大森。なんかビートたけしとビートきよしの人生行路を見るようです。
 ところでこれで長州新団体は、長州、佐々木、大森の三本柱ですか。どいつもこいつもぺちぺちラリアット&ぺちぺちアックスボンバーの使い手ですな。ぺちぺちラリアットの小島とぺちぺちキックの垣原が参加しないのが残念なくらいだ。


2月11日(火)
 山本周五郎「栄花物語」(新潮文庫)を読む。
 「樅の木は残った」と同工異曲の、いわゆる歴史定説ひっくり返し小説。「樅の木は残った」で悪人原田甲斐を忠臣としたように(しかし今では、原田甲斐が悪人だという先入観自体がもうないのではないか? 伽羅千代萩なんて、歌舞伎マニアくらいしか見たことがないだろうし、舞台を見ずにあらすじだけ読めばチンケな勧善懲悪劇にすぎないし)、ここでは田沼意次を正義にひっくり返している。
 むろん各種歴史資料が語ることを無視してひっくり返し作業をするのだから、無理は承知である。名作「樅の木は残った」でも、随所に論理のほころびが見られる。ほころびが大きくなって手に負えなくなってくると登場するのが猟師の娘のふじこで、こやつは何かあると「理屈じゃねえんだよ!」と叫んでまわる役割を負っている。「栄花物語」で同じ役をつとめるのは人間道徳を超越した女・その子と、田沼家のお滝だが、活動範囲が狭いためほころびを抑えきるほどの役目を果たしていない。
 定説ひっくり返し小説の常套として、負わされた悪名を相手にかぶせ返す、というテクニックがある。「樅の木は残った」では、これまで原田甲斐の属性とされていた傲岸、強引、卑怯などをすべて伊達兵部におっかぶせてしまったため、原田甲斐に属性がなくなって無性格になってしまった。「栄花物語」では田沼一派が持っていた陰謀好き、陰険、徒党を組む、などの性格をそっくり反田沼派に負わせているが、これは無理がありすぎる。松平定信という人は、馬鹿がつくくらい真面目で正面から攻めることしかできない人で、そのために政権の座につくのも遅れたし失脚するのも早かった。大奥などは終始田沼びいきで、ことある毎に定信の失脚を画策していたほどだ。

 そういえば日曜日は某料理教室へ通っていました。作ったのは岡山祭り鮨とせりの胡麻よごしとしっぽく風鳥唐揚げとえんどうしんじょのお吸い物とクリームチーズハートのイチゴソース。私は祭り鮨の一部を担当したのですが高野豆腐の戻しかたが足らんと叱られました。もっと大量にぬるま湯を替えながらぎゅうぎゅう洗わないといかんそうだ。こういうところで素養のなさがばれる。
 きょうは朝から日本酒をかっくらってました。肴はアボカドとマグロのぬた。日本酒とみりんと砂糖と赤味噌と白味噌と卵黄を鍋でじんわり熱しながらかきまぜ、火を止めて酢をぶっかけ、冷めてからとき辛子を混ぜる。マグロとアボカドをさいの目に切って、上からこいつをぶっかける。こいつのおかげで、午前中に酔いつぶれました。


2月8日(土)
 山本周五郎「彦左衛門外記」(新潮文庫)を読む。
 いままで山本周五郎の本というのは、「樅の木は残った」と「正雪記」しか読んだことがなかった。山本周五郎という作家についても、世間一般の評価と同じように、こういう骨太の歴史小説と、「赤ひげ診療譚」のような、市井に生きる庶民の哀感を描く時代小説の作家、という印象しか持っていなかった。
 ところが先日、「大炊介始末」という短編集を読み、そこに収録された「牛」を読んで笑ってしまったのだ。これはギャグの小説としてかなりなものだ。見物人親子の繰り返しギャグなど、じつに素晴らしい。
 それだからというわけではないが、続きを読みたくなって、先日古本屋で数冊買いあさってきた。そのうちの一冊がこの「彦左衛門外記」である。
 この小説はすごい。のっけから、「小三郎がはじめて野心を抱いたのは五歳のときのことで、それは『砂糖漬けの棗をいちどきに五百食べて母親と夫婦になる』ということであった」との出だしである。つかみはOK、というやつだ。そこからもうギャグの連発である。登場人物がどれも笑える。シチュエーションが笑える。むろん細かいギャグや会話のギャグはふんだんに盛り込んである。
 これはひょっとしたら日本のユーモア小説のなかでも相当上位になるのではないか。これほどの作家を知らずにいたのは不覚である。


2月3日(月)
 プロレスってやっぱり衰退してるよね。
 まあ武藤のプロデュース能力が皆無なのと蝶野がまわりに気を使ってばっかりいるのと三沢がとことん保守的なのも原因の一つだが、それだけではないと思うのだ。やはり、もっと根本的な原因があると思うのだ。
 やはりプロレス衰退の原因は、あえて言う、馬場さんだったのではないだろうか。
 馬場さんは受け身をもっとも重視していた。新人はウェイトトレーニングやドロップキックや関節技を習う前に、まず受け身をさせられた。どんな角度からどんな技を受けても大丈夫になってから、はじめて攻撃技を習うことが許された。
 そのため旧全日本プロレスの選手はみんな防御がうまくなってしまった。他団体のように練習生や若手が死亡する事故が起きなかったのはそのためだ。しかし、防御がうまくなってしまったために、どんな必殺技も必殺技にならない世界を、全日本は造りあげてしまった。だから四天王たちは、脳天を打ちつける技でしかフォールが取れなくなってしまった。それも相手の防御がゆるんだところしか効かない。そのため四天王時代は、時間いっぱい闘ってお互いスタミナ切れとなったところで、どちらかが脳天を叩きつけて終わる、というスタイルになった。
 これが他団体にも波及した。ハンセンが一発で決めたラリアットは、長州の十数発でようやく倒すラリアットとなり、佐々木と小島のぺちぺちラリアット合戦となった。UWFが持ち込んだ関節瞬殺もすぐ色あせ、たんなる痛め技となった。インディーではデスマッチがエスカレートした。攻撃と防御との血を吐きながら続ける悲惨なマラソンの中で、防御が優位に立った。
 防御が優位に立つスポーツは決して一般の人気を集めない。キックボクシングがその好例だ。沢村忠の真空飛び膝蹴りのころはプロレス以上の人気を誇り、ゴールデンタイムにTV放映されていたが、選手の防御が向上してハイキックによる一発KOが激減したら、人気も激減した。野球も、管理野球やID野球で一点の攻防が重視されるようになって人気が落ちてきた。サッカーもその兆候がある。守りきるアントラーズのサッカーが天下を取るとき、おそらくJリーグは崩壊する。一般の観客は一点をめぐる息詰まる攻防よりも、豪快なKO、一発ホームラン、シュートの嵐を見たいのだ。
 その点、利口なのはK−1だ。逮捕されてしまった石井館長だが、興行師としてのセンスは超一流。フグやベルナルドによる豪快なKO劇で人気を集め、ホーストの防御戦法がトップに立つようになると、マーク・ハントやボブ・サップなどの野獣を招聘し、ルールを変更してまで攻撃優位を守った。真剣勝負の格闘技という看板を捨ててまで、豪快なKOシーンを保ったのだ。
 だからプロレス復活への路は、もはやルール改正と環境の改正しかないと思うのだ。まず、マットとロープを硬くして、技の衝撃を大きくする。顔以外への拳のパンチを認め、ロープブレイク後も5カウントまでの技の続行を認める。セコンドやタッグパートナーの乱入を厳しく取り締まり、助けに入れないようにする。そのくらいやってKOや失神連発にしないと、プロレス人気は戻らないと思うのだ。


2月1日(土)
 天下の奇書「フリークス」の作者、レスリー・フィードラー死去。ご冥福をお祈りします。

 ロルフ・デーゲン「フロイト先生のウソ」(文春文庫)を読む。
 なんか日本と欧米では、フロイトの取り扱いが違うんじゃないかなと思うことがときどきあるのだ。トンデモブーム以前に出版されたトンデモ批判の書、「ハインズ博士『超科学』をきる」(テレンス・ハインズ著、化学同人)では、UFOやユリゲラーや永久運動やカイロプラクティックなどの堂々たるトンデモと並んで、フロイトの精神分析が批判されている。それに対し日本では、フロイトどころかさらにトンデモさんのユング派の看板を堂々と掲げて、それでもまっとうな学者と世間に認められている人がいっぱいいるくらいだ。
 ひょっとしたら、欧米ではすでに「フロイト=トンデモ」が定着しているのかしらん。いやでも、アメリカでは「かかりつけの精神分析医がいないと気違い扱いされる」というくらい精神分析が盛んだからな。あまりに盛んだから、ろくでなしの分析医も増加し、それで批判されるという構図だろうか。
 この本でのフロイト批判は、ハインズ博士の批判と基本的には同じ。フロイト学説の反証不能性は科学ではない、ということ。人間にはすべて肛門愛の性向がある、と主張し、肛門愛的性向があればよし、なければ「あまりに肛門愛が強いので抑圧されているのだ。表面には出ないのだ」といいくるめているだけではないか。けっきょく夢解釈にしろ神経症の原因にしろ、なんとでも解釈できる恣意性だらけのものではないか。などなど。もっともこの批判はフロイトの時代からずっとなされてきたことで、フロイトも「どんな技術だってマニュアル通りにやればいいというものではない。経験と知識から来る判断、勘のようなものが重要なのだ」「われわれが精神分析の手法で神経症の患者を多く治している、これこそわれわれの理論が正しい証拠ではないか」批判に答えている。
 むしろこの本は理論よりも、批判の対象が広いところ、数多くのデータを揃えているところに価値がある。たとえばフロイトの「精神分析でちゃんと患者を治しているではないか」という反撃に対し、精神分析による治療をおこなって治った患者と悪化した患者の数を比べると、差し引きゼロに近いこと、その効果は精神科医でもなんでもない人間にもったいぶった態度でもっともらしいたわごとを浴びせかけてもらったときの効果とまったく同じであること、などを数多くのデータを挙げてさらに反論している。また、取り扱っている範囲も、フロイト精神分析、心理療法、プロファイリング、ストレス学説などのグレーゾーンから、超能力、α波リラックス、マハリシ、サイババなどという純然たるトンデモに至るまで広い。
 ただこの本、ズバズバと森羅万象を斬る切れ味は鮮やかだが、切れすぎて余計なものまで斬ってしまっているような感じ。たとえば「人間の人格は教育によって決まる」という学説に対し、遺伝子決定論を持ち出して反論しているが、ここで攻撃されているような教育効果100%主義者など、おそらく現実には存在しない。人間の知能にしろ行動にしろ遺伝子によってある程度規定されているのはあたりまえのことなので、それを否定する者はいない。遺伝か教育か、という議論は大昔からなされているが、それぞれの貢献度が3:7か、それとも6:4か、などというところで激しい論争がおこなわれているのだ。むしろ著者が主張する遺伝子万能論のほうがトンデモだと、私は思う。ときどき新聞で報道される「同性愛遺伝子」だとか「アル中遺伝子」だとか、何を考えてんだこいつら、と。だいたいこういう報道は、第二報がまったくないんだよね。ま、たぶん学界で黙殺されているんだろうね。


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