道東旅行記

 またもパックツアーです。近畿日本ツーリストの「海鮮屋台料理食べ放題!なんと乗船料込み!名湯で温泉三昧!ダブルチャンスでオホーツク流氷に一番乗り!白銀の北海道流氷物語三日間」という長い長い名前のコースは、釧路から阿寒湖、網走、旭川まで北海道の東部から中央部まで走り回って二泊三日で三万円足らず。ほんとうに安かったです。
 これには理由があって、釧路の雪祭り、阿寒湖の氷上フェスティバル、網走の流氷祭り、層雲峡と旭川の雪祭り、これはすべて二月から開始。二月になると観光シーズンにはいるのですが、一月はオフシーズン。流氷も二月から本格的に接岸してきます。実は食い物も一月にはあまりないのです。シャケやジャガイモやトウモロコシは秋。ウニやヒメマスは夏。冬の名物といえば、ワカサギくらいなものです。そんなわけで格安となったのです。この値段でも、参加者は最小出発人数の三十人ぎりぎり。

 前日の酒が残っているのか、胃がなんとなくむかつくような感じのまま、早朝に起きて七時五十分の飛行機で羽田を出ました。飛行機は松本零二のイラストがべったり描かれた派手なものでした。ちょっと恥ずかしいぞ。
 機内でも、どうにも調子がよくありません。九時半ごろ、釧路空港に降り立ち、さっそくトイレに駆け込みました。道東初体験がトイレでした。そこで貼り紙にお目にかかりました。

釧路空港のトイレ

 「水を流す際には、↓のところを2〜3秒押してください」という但し書きをそのまま信用して、紙に書いた↓を押す人は、どのくらいいるのでしょうか。それとも北海道の人は天性洞察力に優れているのか。

 今回のツアーに同行した釧路バスのガイドさんは、色白丸顔、ちょっとあびさんに似た美人でした。そういえばあびさんも北海道出身。あそこはああいう人が多いのでしょうか。
 近畿日本ツーリストの添乗員さんは色白面長の、こちらはくたさんに似た美人でした。くたさんを二倍にスピードアップして洞察力を三倍に強化し、五倍有能にしたような人でした。ううむ、そんなのくたさんじゃないやい。と勝手にだだをこねてみる。

 釧路の町はとにかくだだっぴろい。大平原です。その広い平原のあちこちに、ショベルカーやダンプカーなど土木工事の車がとまっています。やはりムネオが幅をきかしてるだけのことはあります。雪はそんなに積もっていません。それでも寒いことは寒いらしく、川は凍結していました。ちょっと茨城県に似た印象でした。
 釧路の市内だか近くには、鳥取という地名がありました。明治時代に鳥取県から集団で移住してきて作った町だそうです。そういえば札幌の近くには、北広島という町もありますね。それにひきかえ、岡山ときたら。
 津山の奥のほうに、北海道、という村があります。やはり明治時代に、鳥取や広島に負けるな、ということで、岡山の有志一同が北海道開拓の志に燃え、出発したのだそうです。ところが道に迷い、津山の山奥に迷い込み、そこでめんどくさくなってしまって定住してしまったのが岡山県北海道なのだそうです。いやはや。

 バスはその釧路平原を走り、鶴居という村へ。そこでタンチョウヅルの餌付けをしているそうです。鶴は秋までは釧路川や釧路湿原で生活しているのですが、冬になって川が凍結すると餌がなくなって、婆さんが投げるトウモロコシ目当てに集まってくるそうです。

丹頂鶴

 まだ朝早いせいか、遠くに十羽ほどの鶴がいるだけでした。ぼんやりと眺めていると、だれかに邪険に押しのけられました。入り口でも強引に割り込んでくるし、どうもマナーの悪い輩だな。会話から判断するに、どうやら中国人のようです。中国からの観光ツアーらしい。
 この中国人客、どういうわけかこの後も観光地、ホテル、いたるところに存在して傍若無人にのし歩いたり、ロビーのソファを占領したり、屋台の行列に割り込んだりと、さまざまなところでカンに障る行動をしていました。同じコースだったのでしょうか。北海道の人口の三分の一くらいは中国人なのではないかしら、とついつい思ってしまうほどでした。でもやはり中国人観光客は多いらしく、ここの説明板にも中国語表記がありました。

「中国人はマナーを守りましょう」という表示(嘘)

 そこから少し戻り、釧路湿原を見学。山の上をキタキツネが駆けてゆくのが見えました。
 釧路の市内で昼食。予定ではここで山海の珍味をたらふく食う予定だったのですが、どうにも胃の具合がよろしくないので、刺身定食とビールを頼むのがやっと。それでもイカソーメンはちょっと甘味があってうまかった。釧路地ビールは、ホップが効いていてほろ苦くておいしい。アサヒの琥珀の涙という限定ビールは、繊細に丁寧につくられている感じはするのですが、どうも特長がなくてぴんとこない味。

 予定ではここから阿寒湖にまっすぐ進み、夕方にはホテルに入って温泉でのんびり、というスケジュールだったのですが、翌日の天候があまり思わしくない、ということで、急遽予定を変更。明日の見学予定だった、摩周湖と硫黄山を、今日のうちに見てしまおうということになりました。これはガイドさんと添乗員さんの大英断でした。
 釧路では雪がところどころに残っているだけのだんだら模様だったのですが、北上するごとに雪が深くなり、やがて白一面となりました。それとともに雪も降ってきました。
 長野や津山の雪のような固まったぼたん雪ではなく、微小な雪片が固まらずにそのまま降ってくるのです。粉雪、いわゆるパウダースノーという奴です。最初はホコリかと思いました。北海道はだいたいこういう雪なのだそうです。スキーには好適ですが、雪合戦をしようにも雪だるまを作ろうにも、雪をいくら握っても固まらないのだそうです。確かに手の中でぎゅうぎゅう固めても、ぼろぼろと崩れるばかり。しかしそれなら、雪祭りの雪像はどうやって作っているのでしょうね。

 標茶(しべちゃと読む)、弟子屈(てしかがと読む)などというけったいな地名の町を通り、バスは摩周湖に向かいます。北海道はアイヌの地名に無理矢理漢字をあてたものが多く、とても読みにくい。岡山から赤穂にかけても長船(おさふね)、日生(ひなせ)、有年(うね)、相生(あいおい)など難読地名が多いのですが、それどころの騒ぎではない。音威子府(おといねっぷ)、留辺蘂(るべしべ)、椴法華(とどほっけ)、美唄(びばい)などとやりたい放題です。それにしても占冠(しむかっぷ)、新冠(にいかっぷ)などと、冠を「かっぷ」と読むのは日本語じゃないだろう。英語だぞ。
 摩周湖にむけて山を登ると、雪はますます多く、風はますます強くなってきました。バスを降りると、渦巻くつむじ風に舞う粉雪が容赦なく襲う。雪片が顔を刺す。足が滑る。手がかじかむ。なんとも怖ろしいところです。写真では霧にけぶっているように見えますが、これは霧ではなく雪です。樹々に雪が積もっていないのは、あまりの強風に雪が吹き飛ばされているからです。

摩周湖を見ると女は三年婚期が遅れ、男は三年出世が遅れるという

 硫黄山は雪をかぶる山々のなか、そこだけが禿げ山の黒い地肌をむきだしにして、煙をもくもくと噴き上げていました。あちこちの岩に黄色い硫黄がこびりつき、山全体が異臭を放っています。名物の温泉卵を食ってみたかったのですが、五個セットでしか売ってなかったので断念。胃さえまともならば、三個くらいは食ってやるのに。

硫黄山

 硫黄山から阿寒湖へ向かう路上を、エゾシカが数頭並んで横断していました。すかさずガイドさんは、「みなさま、シカの群、しかとご覧になったでしょうか」と、ギャグをかましてくれました。
 このガイドさんはそういうのが好きなようで、その後も「この左手には常呂(ところ)がございます。ホタテの養殖で有名なところでございます」「かつて和人がアイヌから鮭を買い上げるとき、『はじまり、一本、二本、……十本、おしまい』と、二本ごまかしたところから、アイヌは和人を、にほんじん、と呼ぶようになりました」などとやってくれました。
 そういえば私の知っている北海道の人にも、とても寒いギャグを得意とする人がいます。ひょっとすると、アメリカン・ジョーク、などのように、北海道ジョーク、というものが存在するのかもしれません。

 宿泊地の阿寒ビューホテルは、湖からすこし奥に入った温泉旅館。
 噂には聞いていたのですが、北海道の宿はむちゃくちゃに暖房していて、セーターなど着ていると暑くてたまらないくらいです。素肌に浴衣くらいの格好でちょうどよい。北海道の家は気密構造なうえにがんがん暖房をたくので、民家でもこのくらい暑くして、家に帰ったら冬でもパンツ一丁でくつろぐ、というのが北海道人のライフスタイルだそうです。
 下着姿でいることに抵抗感がないので、北海道人はつい気持ちが開放的になってしまい、ススキノのキャバクラやランパブは、あんなにもえげつないサービスを繰り広げるのだそうな。

 まだ胃の調子が本復せず、宿の夕食を食べたらそれ以上食べる気がなくなってしまいました。もっとも、それで正解かも。八時頃に外を歩いてみたのですが、食い物屋さんはみんな閉まっていて、開いているのは土産物屋だけ。ガイドブックにあったエゾシカ料理屋は見つからない。けっきょく、アイヌコタンで民族舞踊を見て、帰りにビールを買って帰りました。
 くしろ港町ハニースイートエールというそのビール、名前通り蜂蜜の甘い香りがすこししますが、焦がした麦のような苦みもあってまずまずでした。それにしてもホテルの中では地ビールを売っていない。残念です。

アイヌコタン 民族舞踊

 翌朝はなんだかただごとでない天候になっていました。
 起きぬけの温泉に入るついでに、露天風呂にも行ってみたのですが、これがただごとではない。外に出たとたんに寒風が裸身を刺す。通路にはうず高く雪が積もっている。凍えながらようやく温泉に身を浸したのですが、ごうごうと渦巻く風が前後左右から無数の雪片を顔に叩きつけてくる。目を開けることもできないくらいです。たちまち髪の毛は凍り、そのうえに雪が降る。なんとも怖ろしい露天風呂でした。

雪片に頬を刺されつ露天風呂
     虎玉

 朝は出発が遅いので、阿寒湖まで散歩してみるつもりでしたが、とてもじゃないが外に出られるような状態ではない。
 部屋で朝のニュースを聞くと、ますますただごとではない。道東方面を中心に激しい暴風雪。道東全域に大雪警報、暴風雪警報、波浪警報を発令。きのう通った摩周湖近辺は全面通行止め。バスは全面運休。釧路空港、女満別空港は使用不能。JR各線で運行遅れや運休が相次ぐ。道東の学校はすべて休校。天気予報によると、きょうの網走は風速三十メートル、最高気温マイナス三度、夜半から朝にかけての積雪が三十センチという333のフィーバー。これが野球選手なら素晴らしいのですが。
 むろん、砕氷船はぜんぶ欠航。ダブルチャンスの二回目、明日の朝イチに賭けるしかありません。

 それでもバスは定刻の十時に出発します。さすがにのろのろ運転です。なにしろ地面は真っ白で、どこが道路だかもわかりません。除雪用に吊り下げられた目印をたよりに進むしかありません。これでも、240号線という、釧路と網走とを結ぶ基幹道路なのです。

国道240

雪風のおどろに舞うて美幌越え
     虎玉

 網走へ来ると、ますます雪が深く、風も激しくなってきました。こ、これがオホーツクおろしという奴なのか。ちなみにこの日、網走では一日で一メートルの積雪があったそうです。
 網走での観光は、クリオネのいる流氷館か、網走監獄博物館か、どちらかをオプションで選択できるようになっていました。私はクリオネに心を残しつつ、監獄を選びました。この雪です。さぞかし臨場感がある見学ができるだろうと思ったからです。これが正解でした。

監獄の門

 激しく降りしきる雪と風の中、観光客という名の囚人たちはガイドという名の獄卒に引率されてとぼとぼと監獄の門をくぐります。中には雪につつまれた獄舎が。タコ部屋が。隔離独房が。炭焼き小屋が。
 囚人が奥山で作業するとき臨時に建てるというタコ部屋では、囚人のフィギュアが寝ていました。隙間だらけの建物の中にまで雪は降り込んできます。見学客たちもこれには測隠の情を刺激されたか、「あらー、裸足で寝てるわよ」「この人、顔に雪が積もってる」「これじゃ死んじゃうよ」などと口々に同情の言葉を吐いていました。
 どうも人間、同じ立場になってみないと、なかなか親身になって考えることはできないもののようです。

タコ部屋

 大仁田厚参議院議員などもどうでしょうか。国費でアフガニスタンの銃後の安全なキャンプに遊びに行き、菓子で子供を釣って「ファイヤー!」などと叫ばせて、「あいつは戦地でファイヤーというのがどういう意味なのかわかってるのか」とひんしゅくを買ったり、「政府予算でアフガニスタンプロレスを開催しよう」と語って「あいつは対外援助の予算はどういうことに使うものだか知っているのか」とますますひんしゅくを買ったり、帰国後のプロレス興業で悪役レスラー集団を「敏らでぃんズ」、自分の率いる正義派集団を「多国籍軍」と名付けて「あいつは本気でアフガニスタン問題を考えているつもりなのか」と最大限のひんしゅくを買ったりしているよりも、いちど最前線に出て、本物の地雷を踏んでみたりしたらいかがでしょうか。

雪中行軍

 それはともかく、囚人の群れは獄卒に連れられてさらに館内を移動します。監獄博物館はいろいろと資料がそろったところでした。囚人服や看守制服、食事や法律の変遷、拷問用具の展示、むかしの囚人労働の写真など。かつて網走刑務所の囚人は、サイパン、テニヤンまで出張して飛行場を作っていたのですね。
 監獄は五翼放射状という、ひとつの監視塔から五方向の獄舎を監視できる、珍しいつくりだそうです。どこかでこんなの見たことあるな、と思ったのですが、渋澤龍彦が「胡桃の中の世界」で紹介していた、フランスの呪われた建築家ルドゥーの設計した「快楽の家」でした。やはり快楽と懲罰はひとつのものなのか。ちなみにここにも、正座させられている囚人、封筒貼りの内職をする囚人などのフィギュアが展示されており、天井には脱獄中の囚人まで展示されています。

ただいま脱獄中

 網走市内に戻り昼食をとったあとは、予定だと砕氷船に乗って流氷見物でしたが、こんな天気なのでもちろん中止。オホーツク海沿いに濤沸湖へ移動し、餌付けをしている白鳥を見物しました。

混成旅団

 湖のほとりには餌を求めて白鳥、ガン、カモ、カモメなど雑多な鳥たちがひしめいています。餌のパンを投げると、いっせいに奪いにかかる。しかし白鳥はおっとりしているのかどんくさいのか、いつも敏捷なガンカモやカモメにパンを奪われます。カモメなどはパンが投げられると、飛び立って空中でパンをくわえるくらいだから、とうてい白鳥に勝ち目はありません。

白鳥は悲しからずや鴨の青鴎の白にも染まず飢えなむ
     虎玉

 そんな暮らしが嫌になったか、それともやはり寒いのか、大多数の白鳥は陸に上がっています。遠くの白鳥は首を胴に埋めて寝込んでいます。近くの白鳥はパンを奪い合っています。そういうことになっているようなのです。

陸の白鳥

 予定より早くホテルにチェックインしました。ホテルビューパーク悠々亭。部屋は前日より広く、暖房も前日より控えめでいいのですが、残念ながら温泉ではありません。
 夕食はこのホテル名物の海鮮屋台料理だそうです。テーブルには塩辛や刺身など冷たいものだけが並び、天ぷらや焼き魚など熱いものは屋台でもらってくる、という方式のようです。これはこれで賢いやり方かもしれません。長蛇の列ですが。さすがにワカサギの天ぷらはうまかった。揚げたてがいちばんです。エゾシカステーキもうまかった。馬肉をちょっと血なまぐさくしたような味です。それにしてもカニはない。この旅行、まだカニをまともに食べていないのです。カニでだしをとった味噌汁は飲みました。これはこれでおいしいのですが、なんだかカニ欲求不満が体内で膨れあがってくるような気がしています。
 とにかくこのホテル、網走の市内から離れており、おまけにこの豪雪なので、ちょっと余所に飲みに行くこともできません。すっかり降りこめられてどうしようもありません。おまけにホテル内の居酒屋は閉店しています。せめて部屋でビールでも、と思ったのですが、ここでも地ビールは売っていません。やむなく「監獄無双」という純米酒とエゾシカ大和煮を買って、部屋で飲みました。雑味の少ないすっきり系の味で、まずまず飲める。大和煮の缶詰は、牛も鯨も鹿も、大和煮の味しかしないですな。

通過列車

 翌朝はそれでも早起きして、網走湖畔まで行ってみました。歩くごとに靴が雪の中にめりこむ、粉雪なもんでへたすると雪ごと滑る、風雪は容赦なく顔を叩きつける、という難行軍。途中、電車が通るのを見ました。
 網走湖畔の霧氷はひじょうに美しい、と聞いていたのですが、温度がまだ高いのか、それともこの風ですべて吹き飛ばされたのか、樹氷はありませんでした。網走湖はほとんど凍り、雪が積もって湖だかなんだかよくわかりません。

網走湖

 ホテルの放送によると、砕氷船はきょうも午前欠航だそうです。嗚呼。これで最後のチャンスも逃してしまった。
 傷心の観光客を乗せて、バスはオホーツク海鮮市場へ。四階建ての建物なのですが、いまは上階のレストランや屋台はすべて閉鎖。一階の海鮮市場だけ開けています。砕氷船に乗れなかったかわりに、二千円のお買い物券をもらいました。ここで使い尽くしてやる。
 ここで今までの怨みをはらすべくタラバの生足、じゃない生脚と毛ガニを購入。コマイの干物も購入。金槌で叩いてほぐしてマヨネーズと唐辛子で食うとうまいそうです。カニのつけダレとカニミソも購入。
 ホタテも欲しかったのですが、季節はずれなのか冷凍ものしかありませんでした。シャケはちょっとでかすぎるので断念。小ぶりのがあれば買うつもりだったのですが。
 一匹だけ、鮭児というのが一万八千円で売っていました。鮭は海で四年育つと成熟して卵を生みに川をさかのぼるのですが、数万匹に一匹くらい、二年か三年のくせに川をさかのぼってくる慌て者がいるそうです。それが鮭児というやつです。卵や精子に栄養をとられていないので、身が極上の美味さだそうです。遺伝的にも、こういうおっちょこちょいの遺伝子を撲滅するため、鮭児はどんどん食った方がいいと思うのですが、この値段ではねえ。
 全体的にここも、いまひとつ品揃えが寂しかったです。二月になればもうちょっと増えるのでしょうか。
 この市場からはオホーツク海が見渡せます。そら欠航だよな、と納得ゆくほどの高波に、流氷の残骸が岸でなぶられています。

オホーツク海

 網走に戻る途中の道路沿いの樹木に、オオワシが三羽止まっていました。しばらく見ていると、大きな翼を広げて二羽がとびたってゆきました。
 一日中続いた豪雪開けの網走中心部はこうです。全員が雪かきに従事しています。シャベルで雪をすくう人、芝刈り機みたいな個人用除雪機を動かす人、道路を豪快に除雪する車、さまざまでした。最後の車はショベルカーのような車両前部から雪をかきこみ、横を向いた排出口から怒濤のように雪を吐き出すのです。みるみるうちに道路脇には排出された雪がうず高く積もってゆきます。

網走銀座

 皮肉なことに、十時過ぎたころから雪はやみ、風も穏やかになってきました。
 そしてバスは網走から西へ。今日もあちこち通行止めだそうで、バスは迂回して北見方面へ。
 北見の近くの端野というところのドライブインで休憩。胃も回復したし、ここらでイモ団子と地ビールでも、と思ったのですが、そういう店はぜんぶ閉店。「オホーツク地ビール生」「じゃがバター」「珍味塩辛ジャガ」「濃厚ソフトクリーム」などの貼り紙だけがいたずらに食欲を刺激するのみです。
 そこから留辺蘂、温根湯を通り過ぎて石北峠の手前にある北きつね村へ。ここはキツネとトナカイとミンクを飼っているところだそうです。どういう脈絡があるのか。そういえば道路沿いには犬猫繁殖場や熊牧場もあったし、牛馬の牧場ももちろんあったし、何かを飼うということに情熱を燃やした人が多いのかもしれません。

きつね1 きつね2 きつね3 きつね4

 きつねはぜんぶ冬になると毛が白くなるのかと思っていましたが、いろんな毛色のきつねがいました。ビーフジャーキーのような餌を見ると駆け寄ってきてねだる人なつこいのとか、餌を投げてやっても逃げ腰の気弱なのとか、性格もいろいろです。共通しているのはみんな太っていることだけ。太りすぎてタヌキにしか見えないようなのもいました。
 そしてやっぱりというか案の定というか当然というか、場内にはお稲荷さんが。

稲荷

 ここから大雪山国立公園に入り、山を登ります。このへんから雪風がふたたび舞いだしました。温度も急速に低下しつつあります。車内でも足が寒い。窓ガラスが凍り付く。さすが大雪山です。
 層雲峡の銀河・流星の滝で下車しましたが、ここがもっとも寒かった。十分と外に出ていられませんでした。マイナス十五度にはなっていたんじゃないでしょうか。
 銀河の滝は完全に凍り付いていました。流星の滝は中ほどだけちょろちょろと水が流れていました。

銀河の滝 流星の滝

 層雲峡を越え、上川という町で遅い昼食。ここではじめて豚丼というのを食べました。生姜焼用の豚肉(安い生姜焼きに使うバラ薄切りではなく、まっとうな生姜焼き用に使う、ローストンカツ肉を薄切りにしたような肉)を山菜や葱と味噌炒めにしてご飯に載せています。まあこんなもんかな。豚肉のよしあしで味が決まるのでしょうね。
 上川の地ビールはちょっとハーブっぽい、甘い香りがしました。
 売店で「森の雫」というシラカバ樹液を買って飲んだのですが、かすかに甘い味がするかもしれない、という程度の水でした。
 サービスで焼きじゃがをいただきました。北あかりという品種だそうですが、小ぶりで黄色っぽくて、ほくほくしていました。ちょっと塩をつけてアルミホイルにくるんで石焼きしただけのものですが、おいしかった。
 レストランの横には熊牧場があり、その横には「低温博物館」なるものがあって、零下四十度の体験ができるそうですが入りませんでした。博物館の前の広場には、かまくらだとかソリの滑り台だとか雪のオブジェがありました。やっぱりというかなんというか、ハム太郎、キティちゃん、ウルトラマンの雪だるまも。

雪だるま

 旭川空港は以外と広くてきれいな空港でしたか、どうしたことか手荷物検査がX線でなく手動でした。係員のおじさんがひとつひとつカバンを開けて確認してゆく。
 空港の売店で旭川空港限定ワインというのと、サハリンビールというのを買い込んだのですが、それは市場で買い込んだカニとともに後の話ということで、旅行はこれでおしまい。


おまけ・北海道イヤなみやげ

マリモづくし

写真左:マリモキティちゃん。しかしどう見てもマリモが、青カビの生えたふぐり三兄弟にしか見えない。
写真中央、右:北海道限定マスコット「まりも〜ず」。中央はあくまりも。右はおかまりも。他にもとのさまりも、まりもんろ〜、かみさまりも、おれさまりも、まりも〜も〜、まりもんき〜の兄弟が存在する。


戻る