納豆の日々

 その日も私は、本日の昼食を載せたトレイを持ち、空席を見つけると、素早く滑り込んだ。
 社員食堂には予約とかテーブルチャージはない。混雑しているときは相席は当然である。
 その6人用のテーブルにも、2人の先客がいた。若い大阪人である。
 彼らはのんびりと談笑しながら食事をしている様子であった。
 私が座ったとき、トレイにちらと視線を走らせたが、彼らは何事もなかったかのように食事と談笑を続けた。
 ただ、一瞬彼らの視線が凍りついたように思えたのは、私の気のせいだろうか。
 私のトレイの内容は、ご飯(中)、味噌汁、豚生姜焼き、そして、納豆。
 特に問題のあるメニューとも思えない。
 納豆以外には。

 さきほど、2人を大阪人であると断定したのは、故あってのことである。その根拠は、
 1)2人は関西弁で話していた。
 2)阪神タイガースの話題であった。
 どうです。完璧でしょう。

 関西人は納豆が嫌い、とよく言われる。
 少なくとも、2人の例証をあげることができる。
 ひとりは大学の同級生だった。大阪生まれだった。とにかく納豆が嫌いだった。
「あんなもん人間の喰うもんとちゃう。腐って糸ひいとるもん喰うのんは、人間とちゃうわい」
 が口癖だった。納豆を食った人間に対しては、
「寄るな、話しかけるな。納豆がうつる」
 と敬遠していた。あれはうつるものなのだろうか。
 もうひとりは昔の職場の同僚だった。京都生まれの女性だった。
 この人は、納豆を一目見ると、
 「いやあああ、気色わるう。いやああああ、あっちやって。いやあああああああ」
 と大騒ぎするのだった。
 彼女は関東の男性と結婚したのだが、ダンナの証言によると、
「参っちゃうよ。納豆喰った日は、絶対キスしてくれないんだ」
 とのこと。

 相席の2人の大阪人は、そのくらい納豆を嫌っているのかもしれない。
 もしそうだとしたら、そんな2人の横で納豆を食うのは、いけないことなのではないだろうか。
 ひどく迷惑な行為ではないだろうか。 

 しかし、納豆は食品だ。
 社員食堂が食品として認め、販売している、歴とした食物である。
 それを食べるのに、何の不都合があろうか。
 だいいち、納豆抜きでは、おかずの量が足りない。私に喜びもない。

 というような理論武装の末、私は大阪人の横で、納豆のパックを開け、小鉢に移した。
 納豆は小粒。黴の名残であろうか、表面に白っぽい点がつぶつぶと付着している。
 まだかき回されていない納豆は、パックの四角形をほぼ残したままの固まりで、うぞ、と移動した。
 豆の動きにしたがい、数百本の細い糸がひょろひょろと蠢く。
 芥子を入れ、箸でにちゃにちゃと掻き回した。
 無数の糸がじゅじゅじゅじゅと寄り集まって白い帯となり、そこからも白い糸がふわふわと漂う。
 ちょうど、綿アメを作るときのように。
 箸でぐちゃぐちゃと掻き回し、納豆がにっちゃらにっちゃらと気色よくうじょうじょした頃、醤油を注ぐ。
 白い帯が褐色に染まり、にっちゃらにっちゃらのうじょうじょが水分を得て可塑性のぐちょぐちょ度を増す。
 これをご飯に一気に、ずじょ、とぶっかける。
 つつううううーっ、と糸を引きながら納豆はひとつぶひとつぶ、米粒に襲いかかる。
 小鉢をぐるっ、と回して糸を切る。
 糸の数本は、ずじょじょじょじょの束縛を離れ、ふわっ、と宙を舞う。
 エンゼルヘアのように、糸は大阪の2人の方角へと漂っていった。

 納豆とご飯を箸でまとめて、口に放り込む。
 数十本の糸を引きながら、納豆は口中に消えていく。
 糸は唇の端にでろでろでろと垂れ下がる。
 唇は粘液まみれとなる。
 ご存じのように、納豆というものは、触れるものすべてに粘液をべとつかせるという特性がある。
 「ねばねばのミダス王」と言われる所以である。
 同じべたべたでも、ガムなどは張本人を除去さえすれば、べたべたは残らない。
 しかし、納豆は、触れた場所すべてに、べたべたのねばねばだけは残るのである。
 その特性ゆえに、「べたねば植民地主義者」とも呼ばれている。

 唇からでろねばれーんと伸びた納豆の糸を、箸でくしゅくしゅと引っ張り、糸を切る。
 切れた糸の数本は、またもやにゃらりにゃらりと大阪人を襲う。
 生姜焼きをつつこうと延ばした箸には、納豆の粘着性が乗り移っている。
 箸は糸をにゅるにゅると引きながら生姜焼きを掴み、そしてまた口中へ生姜焼きを運ぶ。
 いったん引っ張られてからたわんだ糸は、またもやひょろりひょろりとあてどない空中の旅をはじめ、大阪方面に向かう。
 箸は味噌汁の中に没する。そして再び出てきた箸には、水分を与えられて艶っぽくなった糸が、ちゅるにゅるちゅるにゅると縋り付いている。
 味噌汁の具と共に口中に没し、ふたたび生姜焼きへの長い旅をはじめた箸。
 私の口から、箸までの間を、でろでろでろでろと長い糸が結んでいる。
 もはや納豆粘液に唾液と味噌汁とが入り交じって、いわく言い難い化合物の粘液を形成している。
 箸を空中で数回転し、またもや綿アメの要領で糸を纏めようとする。
 しかし、いわく言い難い化合物と化した粘液は、じろでろにろろ、と私の仲介を拒んだ。
 粘液からぴろろろと発した繊糸は、また大阪方面への漫遊を始める。

 納豆との格闘を続ける私を横目に、大阪人は席を立っていった。
 食後の談笑の時間を奪ってしまったかもしれぬ。

 禁煙席、というのはよくある。この社員食堂も全面禁煙だ。
 禁納豆席、というのも作ってあげた方がいいかもしれないね、他民族会社なら。
 もっとも、関東人だって、他人の納豆の糸に襲われるのは、嫌いだと思うが。

 ところで、大阪の人は、こういう文章を読むと、気持ち悪くなるのでしょうか。


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