ご主人様の憂鬱

 やっぱり日本は男性より女性の方が優遇されてるよなあ、と思う場合があって、たとえば呼び名などもそうだ。

 たとえば夫婦の場合、男性上位だと亭主関白と呼ばれ、女性上位だとカカア天下と呼ばれる。男がえらぶっても、しょせん関白止まりなのだ。
 関白とはなんぞや。天皇に代わって政務を代行する、というだけの存在である。オブチが死んで青木官房長官が政務を代行したようなものである。虎の威を借る狐である。あんた、青木が偉いと思うか。思わないだろう。いくら青筋を立てて「隠し事はいたしません!」とか、「ご家族の心情を思えば、そんなこと発表できるはずないじゃないか!」とか怒鳴っても、しょせんは総理候補にもなれない小物だ。男なんて、あんなもんなのだ。
 関白なんて、どうにも下っ端なのだ。上には太政大臣とか天皇とかいるのだ。時代が下るごとに、征夷大将軍とか院司とか管領とか准后とか京都町奉行とかいっぱい上が増えてくるのだ。しかも時代が下がるごとに、領地を武士に横領されて、だんだん経済的に苦しくなってゆくのだ。うん、そう考えると、亭主にはぴったりの称号かも。
 だから亭主関白といっても、威令はたいして届かない。せいぜい、「茶」「めし」「ふろ」「アレ」で望むものが出てくる、というくらいの権威だ。え、それだけでも羨ましい? お互い、苦労してますなあ。

 それにひきかえ、女性はいきなり天下様である。天下統一である。天下布武である。天上天下唯我独尊である。天下でもっとも偉いのである。勇ましいのである。カール大帝よりもカメハメハ大王よりもツバサ大僧正よりもゴーゴン大公よりも緑一総督よりも天地雷鳴士よりも偉いのである。いやなんとなく、偉そうな名前の称号を並べてみただけだが。
 だからカカア天下の権力は無尽蔵にして無限である。スーツを買うのもコートを買うのも指輪を買うのもケーキを買うのも自由自在である。おのれの気の向くまま亭主にとんでもない料理を食べさせようと勝手である。天下様には抗弁できない。亭主は新しいパソコンが欲しいといっては怒鳴られ、ネットオークションでゴルフクラブを落札したといっては殴られ、勝手にギターを買ったといっては喉元にチョップを受けるのである。喉笛でなくてよかった。それは反則。それにしてもこの亭主も、やや贅沢が過ぎるようだが。

 トイレの表示でもそうで、女は「Lady」、男は「Gentleman」と表記してある。レディとは爵位を持った貴族の夫人である。ジェントルマンは爵位とは関係なく、土豪とか地主とかいった階級をさす。日本にたとえてみれば、近衛家の奥方と、そこらの庄屋さんを並べるようなものだ。あるいは京の右大臣、菊亭晴季のお姫さまを、山賊の親玉・蜂須賀小六がさらってゆく光景を想像してもよかろう。
「あれ、何をなさいます」
「げへへへへ、噂通り、美しいのう。肌もこんなに、ほら、真っ白じゃ」
「何をされます。あァ、ご無体な、わらわを何と心得る」
「貴族がなんじゃ。今は戦国の世ぞ。強い者が勝つ、ただそれだけじゃ。ほうれほうれ」
「あああああァ、お、お許しを」
 などと会話まで想像してしまっては妄想が過ぎるし、勢い余って女子トイレに潜入してしまいかねないのでよくない。

 いきなり話がSMに入ってしまって申し訳ないが、この世界でもそんなところがあって、女のSは「女王様」と呼ばれるのに対し男のSは「ご主人様」と呼ばれる。たいした格差だ。「女王様」に合わせるなら男も「大王様」とか「王さま」、せめて「王子さま」と呼んで欲しいものだが、そう呼んでくれる店などありはしない。
「ああっ、王子さま、お許しを」
「ならぬ、その娘を城に引き立てい。わたしみずから、折檻してやる」
「まあまあ、たかが皿を割ったくらいで折檻など、あまりにむごい」
「黙れ! これは家宝の皿、将軍家よりご拝領の品なるぞ!」
 なんてシチュエーションも、いいと思うんだけどなあ。ぶつぶつ。
 たまに「大王様」と呼ばれる人物がいたとしても、たいてい「ガマ大王様」などと呼ばれている。短躯肥満にして容貌醜悪、数人の娘を引き連れ、ここには書けないようなあさましい行為をしでかす。そのあまりのあさましさに、嫌悪と軽蔑の念を込めて「ガマ大王様」と呼ばれるに至ったらしい。違わい。そんなの王さまじゃないやい。

 どうも王さまとか殿さまというのは、のほほんとしていて、「ほっほっほ」とか「よきにはからえ」とか「死んでしまうとはなにごとじゃ」とか言っているイメージがあって、それがSには向かないらしい。敢えて導入するなら、中年の王さまが屈強な若い家来を数人連れてくるケースだろうか。
「ああ、痛い、王さま、どうかお許しを」
「どうじゃの、助さん、そろそろ許してやっては」
「なりませぬ王さま。この娘は敵の刺客にございます。吐くまで許してはなりませぬ」
「……そうかの」
「角之進も同意見にございます。ええい娘、言え! 親玉の名前を!」
「あああァ、妾は何も知りませぬ。ただただ上忍様に命令されただけで……ひェッ、お助けを!」
「おお、娘さん、可哀想に。早く言ってしまうのじゃ。楽になるぞ」
 などとやっても、しかしこれでは王さまはあまり楽しくないような気がする。

 女が「女王様」の場合、苛められる男は「奴隷」であることが多い。階級的には、あいだに貴族、兵士、市民、百姓、小作が入るから、六階級差、ということになる。対するに男が「ご主人様」だと、苛められる女は「雌犬」だったりする。この場合階級的には、あいだに執事、小間使い、召使い、犬神使い、小作、与作、下男、雄犬、雑文、孫文、阪神が入るため、十二階級差となる。
 階級の差異でいえば「ご主人様」のほうが「女王様」より相対的に偉いような気がするが、しかしどうだろうか。犬、というのは周知の通り、あまりご主人様の言うことを聞かないものなのである。ゴハンにおみおつけを掛けてやっても食べなかったりする。たとえ上に卵を割ってやっても、である。やむなく舌平目のスフレなどという高級ペット用缶詰を開けてやるのである。ご主人様はまだ、舌平目というものを食べたことがないのである。散歩に出るときも、裸で出るのを恥ずかしがったりするのである。コートを着せて出かけると、こんどは勝手に自分の好きな方向へ進んでいくものである。勝手にケーキ屋や宝飾店や洋服屋に入り、勝手に注文したりするのである。躾のため首輪に電気を通すと、「電気は別料金よ」などと言ったりするのである。どちらかというと「雌犬」というより「お犬様」である。ご主人様の悩みはつきない。


戻る      次へ