衆をもって一となす

 鯨というのはたいそう面白い動物だが、中でも髭鯨のたぐいはきわめてユニークだ。ヒゲクジラ、とカタカナで書くと、なんだかスカートをめくってばかりいる学校の破廉恥教師のようで、どうも居心地が悪いので、漢字表記にさせていただく。最大のシロナガスクジラなどは体長三十メートル、体重二百トン、まず間違いなく地球の歴史上もっとも大きな動物である。最小でもミンククジラの十メートルだから、まさに巨人族といえる。それが食べるものは、体長一センチにも満たない小エビやオキアミなのだ。仲間のマッコウクジラが十五メートルのダイオウイカを襲って食っているのに比べたら、なんという違いだろう。
 ふつう肉食動物が餌とする動物は自分の二十分の一から五分の一くらいの大きさだという。このスケールより大きい動物は倒すのが難しいし、小さな動物は食いでがない。この法則に従って、狐は鼠を常食とし、虎は鹿を餌食にする。狼が野牛を狩ったり、シャチが鯨を襲ったりする例外もあるが、それは群を作って襲う場合で、やはり単独では狼は兎を、シャチはマグロなどを常食にしている。人間の場合もその例外に洩れない。単独の猟師は鴨や兎などを狩り、鹿や猪の場合は数人のグループで狩りたてる。
 ところが髭鯨の場合は、このスケールから大きく逸脱している。なにしろ獲物が三千分の一なのだ。こんな小さな獲物で腹を満たすため、髭鯨は大量捕獲の戦略を採用している。まず口が大きくなった。三十メートルの体長のうち三分の一近くが頭骨である。その大きな口に、櫛のような髭がびっしりと生えている。舌もまた巨大で、十メートルもある。こういう巨大なものを見ると、みみっちい我々は、つい牛タンなら何人前、などと考えてしまいがちだが、考えるまでもなく答えは明白である。鯨は牛ではないから零人前だ。
 それはともかく、プランクトンや甲殻類が大量に増殖している海域に来ると、髭鯨はその大きな口を開け、海水もろとも、すべてを呑み込む。いちどに呑み込む海水の量は七十トンにも及ぶらしい。そして口を閉じ、巨大な舌で喉の奥から海水を押し出す。このとき髭で餌だけが漉しとられ、海水は吐き出されるという寸法である。

 こういう大量捕獲の戦略を採っている動物は、同じ海にジンベエザメ、ウバザメ、メガマウスなどの巨大鮫類がいるだけで、きわめてユニークな食戦略だと思っていたら、空中にも同じ戦略をとるものがいた。ただしスケールはかなり小さいが。その名はヨタカ。「よたかの星」という童話くらいでしかお馴染みでない人が大多数だと思うが、五十センチくらいの不格好な鳥である。これだけの大きさの鳥が、食べているものは蚊や蛾、ブヨなどといった小型の飛翔昆虫なのである。
 ふつうこのような小さな昆虫を食べるのは、同じ昆虫か小型のコウモリ、小鳥など、体長十センチにも満たない。ヨタカはそのため、髭鯨のような大量捕獲戦略を進化させた。ヨタカは不格好なくらい頭が大きい。そして嘴も広く大きい。その大きな嘴を、百八十度広げる特技がある。嘴の端には、髭鯨のように剛毛が密生している。頭が大きすぎて敏捷に飛べないヨタカは、よたよたと飛びながら、でかい口を広げて蚊柱やブヨの軍団を襲い、ひと口で一網打尽にするのだ。このように人間にとって煩い蚊やブヨを食べてくれるありがたい鳥なので、ヨタカがもっと巨大化してもっと多くの害虫を食ってくれたら便利だとは思うが、一メートルもある巨大な鳥が、さしわたし七十センチもある、剛毛で覆われた真っ赤な口をくわっと開けて突進してくるのは、人によったら蚊に刺されるより怖いと思うかもしれない。アメリカのプレザントポイントでモスマンに襲われたようなものだ。

 地上にはこういう大量捕獲の戦略をとる動物がいないかと探してみたが、たったひとついた。それは人類である。動物と植物の違いはあるが、いま人類の大多数が常食としているコメ、ムギ、アワ、ヒエ、ソバなどのイネ科植物は、いずれもきわめて小さい種子である。人間ほどの大きな動物が、それを集めて食っているというのは、やはりかなりユニークである。
 そのように小さな種子を常食にするため、やはり人類も大量捕獲戦略を進化させた。まず、農耕をおこなってひとつの地域で大量に種子が手に入るようにした。イネ科植物はもともと、まとまって生える性質があるため、これは容易であった。さらに収穫技術を発達させ、その大量の種子をいっきに刈り取ることが出来るようになった。そして調理技術を進化させ、そのまま蒸し、あるいは粉にひいて団子にし、まとめて食べられるようになった。

 このように進化してきた人類は、おそらく文明を失っても、イネ科植物を常食とする戦略を捨てないのではないかと思われる。そのとき、人類はどうなるだろう。
 文明も農耕も技術も失ったため、これまでのように道具を使うことはできない。野生のイネ科植物の群落をみつけ、その種子を、自分の身体だけを使って集め、生のまま食べるという習性に変化せざるを得ないだろう。このとき、手で種子を集めるのは、文字通り手間がかかりすぎる。おそらく直接口で穂を食いちぎり、そのまま呑み込む方法を選択するだろう。髭鯨やヨタカのように、口が大きくなるだろう。前歯は杭のような形に変化し、それが櫛のように林立し、脱穀に使う千歯こきのような形態になるのではないか。下唇は広がり、こぼれた種子を掬いとるようになる。
 目はおそらく横に移動する。大量捕獲戦略をとる動物は、獲物の正確な位置を知る必要がない。相手はどこにでもいるのだから、アバウトなセンサーで充分である。従って髭鯨は歯鯨のもつような精密なセンサーを持たないし、ヨタカは近視になった。おそらく人類も立体視を捨て、外敵を発見しやすいように、目を顔の両側に移動させる。植物の茎から目を守るため、睫毛か眉毛を発達させるだろう。
 鼻も同じ理由で、おそらく退化する。顔の正面に鼻があると、目と同じく茎や粒粉におかされやすい。ひょっとすると、髭鯨のように、鼻が頭頂部へ移動するかもしれない。
 口を穂の部分にもっていくため、直立二足歩行は捨てざるを得ない。いまの人類の身長では、イネ科植物の穂に比べ高すぎる。小型化するという選択肢もあるが、髭鯨やヨタカの例に見るように、大量捕獲戦略は、むしろ身体が巨大化する傾向にある。だから方策としては、チンパンジーやゴリラのように前脚が長くなり、それを地につけて前屈みの姿勢をとる、いわゆるナックルウォーキングで歩くか、あるいは巨大化して完全な四足歩行になるか、である。もしかしたらこの二種類に分化していくかもしれない。

 以上の推論に基づき、来るべき百万年後の人類の姿を想像してみた。

the man after


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