カッパ本の世界
「カッパ恐怖の思考回路」霧島高尾
カッパの目撃報告は数多いが、それをただ紹介するだけの類書とは違い、著者は目撃報告を真面目かつ論理的な態度で整理し、分析している。その真摯な態度には思わず頭が下がる。しかし、結論が思い切りぶっとんでしまっているのだ。
例えば「カッパは相撲が好き」という話は全国で伝えられている。暗くなって帰ろうとした力自慢の男が、夜道でカッパに相撲をせがまれる。相手してみたが怪力でとても相手にならない。ところが隙を見て皿の水をこぼすと途端に弱くなった、といったような話だ。これが全国的に流布しているのは、だれかが作った話を面白がってみんなが伝えて回ったせいだと思うのだが、著者はすべて真実起こった話だと判断して、真面目に論理的に分析し、その謎を解く。
「カッパは番付け社会」
そしてこの結論から、今まで謎だったさまざまな問題に対して見事な回答が導けるのである。
すなわちカッパが人目を避けているのは、親方が接触を許さないからである。カッパがあまり数を増やさないのは、年寄株に限りがあるからである。カッパに「かっぱ」「がらっぱ」「かわたろ」「しばてん」など各地でいろんな呼び名があるのは、あれはその地のカッパの四股名なのである。カッパが金をもたないのは、タニマチにごっつぁんだからである。カッパに雌の目撃例が少ないのは、おかみさんが部屋にこもりきりでチャンコを作っているからである。カッパが皿を大切にするのは、あれが白星に似ているからである。等々。また有名な「カッパの塗り薬」という話がある。いろんなバリエーションはあるが、だいたい女便所をカッパが覗いているので、亭主が刀でカッパの腕を斬り落とす。するとカッパが詫びに来る。腕を返して貰う代償に置いていった塗り薬が、万病に効くあらたかな霊験を示す……といった話だ。なぜ万病に効く薬で自分の腕を治さないのだろうか、と著者はこれにも本気で悩み、そして結論を出すのだ。
「カッパは腕が本体」
なんだか出来の悪い怪獣映画でも見せられているようだが、著者は本気なのである。そして、本気であることがいちばん怖いことなのだと、感じさせてくれる本である。
「精神病はカッパの仕業だ!」甲斐カツノリ
このタイトルからはユーモラスなものを感じてしまうのだが、実は本書にユーモアはない。信じがたいことだが、著者はタイトルそのままの主張をしているのである。
僕は精神科医として、心理療法、薬物療法を行っているが、それだけでは不完全である。霊的な治療も必要なのだ。患者の報告、動作、すべてがカッパの証拠を示している。冗談とは到底思えない。
私も冗談とは思わない。妄想だろうと思うが、著者は真実と思いこんでしまったようである。そう思いこんでしまった理由に、著者自身がさまざまな怪異現象を目撃していることがある。著者の挙げる怪異現象を列挙してみると、
- 患者が水を欲しがる。毎日水を飲まないと苦しがる。カッパの証拠だ。
- 患者が火を怖がる。ライターで足の裏を焼こうとすると嫌がる。カッパの証拠だ。
- じめじめした独房に閉じこめておいたら、皮膚がぬらぬらしてきた。カッパの証拠だ。
- 胡瓜を十日間連続で与えたら、別のものが食いたいと主張した。カッパであることを隠すため、わざとそう言ったのだ。その証拠に、それからさらに十日間、胡瓜しか出さなかったら、胡瓜を食っていた。やはりカッパだ。
なんだか単に、病院で患者を虐待しているだけのようにも思えるのだが、とにかく著者は、精神病患者はすべてカッパだと信じてしまっているのだ。私はカッパより、患者がみんなカッパだと信じている医者の方が怖い。そしてカッパが存在するかどうかわからないが、カッパを信じている医者は、確実に存在するのだ。
「日銀券はカッパの隠し絵」「世界の支配者は本当にカッパか」武田良縁
大蔵省と日本銀行はカッパに支配され、日本人を洗脳して絶滅に追い込む恐るべきメッセージを紙幣に隠していると、著者は主張する。たとえば五千円札を見てほしい。「日本銀行券」の上に並ぶのはカッパの皿、その両脇のデザインは水掻きである。こうやって日本人は、カッパが支配者であると思いこむように洗脳されてゆく、というのだ。またこのようなメッセージは硬貨にも数多くある。そもそも硬貨が丸いのはカッパの皿の形をかたどっているのだという。 今度二千円札の図案となる光源氏も、カッパの手先なのだという。(これについては後述)
また著者は、大蔵省、日本銀行以外にも、日本社会の多くの部門にはカッパが人間に化けて潜入し、洗脳業務を行っていると主張している。著者によれば、カッパを見分ける基準は次のようなものである。
第一に頭髪。頭の地肌を決して見せない人間はカッパと思って間違いないそうだ。キダ・タロー、パンチョ伊東、友部達夫はカッパだそうだ。また逆に、頭を剃り上げるのも、皿が目立たなくしている行為であり、そういう人はカッパだそうだ。松山千春、瀬戸内寂徳もカッパだという。仏教僧はすべてカッパなのだそうだ。さらに、元鹿島アントラーズのアルシンド、プロレスラーのドリー・ファンク・ジュニア、宣教師のフランシスコ・ザビエルもあからさまにカッパだという。
第二に言動。芥川龍之介、小川芋銭、清水昆、水木しげる、ぽいう、ジャッキー大西、kazu-pなどの人物もすべてカッパだという。彼らは現実とはまるで違う、いいかげんなカッパの話を流布することで、カッパの実在を一般人が信じなくさせる役割を担っているのだそうだ。また、彼らは自分がカッパだと言うことを仲間にこっそり知らせるため、その名前にカッパにちなんだ文字を使うのだという。なるほど、芥川龍之介、小川芋銭のような「川」、清水昆や水木しげるのような「水」のような、水にちなんだ字を使って……じゃ、松山千春はどうなんだ。ジャッキー大西はどうなんだ。このような疑問が沸いてくるが、それに答えるのは次の本である。
「日本の地名とカッパの記録」橋野小一
日本には超古代からカッパが存在しており、人間と交流していた。人間はその証拠を地名や人名に残している、というのが著者の主張。で、その「証拠」がどんなものか、実例を挙げていくと……。
- 水、川、波、潮、池、沼、雨、滝、霧、瀬、など水に関係した言葉は、すべてその地にカッパが棲息していた証拠である。
- 火、風、土、山、岡、など水に対立する言葉も、人間がその土地でカッパと対立していた時代の名残である。
- 橋、船、舟、櫂、網、田、など水に関係した人工物も、その地でカッパが町を作っていた証拠である。
- 甲、髪、膜、鰭、などはカッパの身体的特徴を表現したものである。
- 皿、笠、鍋、丸、などはカッパの皿を見た人間が、皿の形を表現したものである。
- 光、輝、照、などはカッパの皿が日光を反射するのを見たことからつけられたものである。
- 緑、茶、黄、赤、黒、白など色を表す言葉は、すべてカッパを目撃した人がその体色を表現した言葉である。(カッパはアマガエルのように体色が変化するから、どんな色にもなるという話だが……おいおい)
- 共、友、伴、朋、などはカッパと人間が友好を保っていた時代の名残である。
- 東、西、南、北、先、後、などは「この東にカッパがいるよ」「この先にカッパがいたよ」というメッセージである。
- カタカナやアルファベットの名前は、外国にもカッパがいるというメッセージである。
- ひらがなの名前は、カッパの頭が悪いという誹謗メッセージである。
- 「黒」は音読みで「コク」であり、それが「国」に変化した。「国見」という地名は、そこでカッパを見たことを表している。
- 封、止、留、などの文字は、その地に棲んでいたカッパを人間が封じ込めた名残である。
- 「封」は音読みで「フウ」であり、それが「富」に変化した。「富士見」という地名は、そこでカッパを見たことを表している。
以下あまりに長いので省略するが、この調子ですべての地名、人名をカッパに関連づけてしまう。この調子で行けば、そりゃすべての土地と人がカッパにされてしまう。
それにしても、ここで紹介した著者も全員、カッパの名前を持っていることになるのだが……。