無い真相堕徒重い健児た。

 今年は年始早々に新しい発見をしてしまった。幸先がよいので、元旦にもかかわらずここに発表する次第である。
 ケーブルテレビの番組表を見ていて、スペースシャワーTVの「邦洋オススメビデオ」という番組を、ずっと、「松村邦洋がオススメする音楽ビデオ」だと思いこんでいた。野球に詳しいのは知っていたけど、あの人は音楽にも詳しいなんてすごいなあ、たけしの物真似くらいしか能のない芸人と思ってすまんかったと、ぼんやり思いこんでいた。
 きょう番組表をあらためて見て、はじめて、ああ、あれは、邦楽と洋楽のオススメビデオか、と合点がいったのだ。いやあ意表を突かれたなあ。その発想はなかった。

 そういえば私の自分史は思いこみの歴史だった。
 音楽用語を知らなかったため「黒猫のタンゴ」をタンゴという名前の黒猫の歌と思いこんでいた幼少期、「加藤隼戦闘隊長」を先頭隊長と思いこんだうえ歌詞も「エンジンの音 Go!Go!と」と水木一郎の特撮ソングみたいに思いこんでいた年少期を過ぎ、「精霊流し」のグレープをフライパンで焼くクレープと思いこみ、「傷だらけのローラ」が同時期に出版された虐待児の記録「ローラ、叫んでごらん――フライパンで焼かれた少女の物語」のテーマソングだと思いこみ(フライパン好きだな)、おまけに「追憶」のニーナはローラの妹だと勝手に思いこんだうえ「ニーナ、忘れられない。許して土筆で蕎麦煮て」と歌詞まで間違えて思いこみ、「いちご白書をもう一度」の歌詞を「5日、君と行った映画がまた来る」と思いこんで、月に2回も同じ映画を見るなんてなんて映画好きな人だろうと思った小学生時代、「私鉄沿線」の歌詞を「伝言板に君の子と僕は書いて帰ります」と思いこみ、もう子供がいたのかと驚いたり、「積木の部屋」の歌詞を「君にできることは牡丹漬と掃除」と思いこみ、牡丹鍋なら知ってるけど牡丹漬とはどういう漬け物だろうと想像をめぐらせた中学生時代、「勝手にシンドバッド」の歌詞を「胸騒ぎの年月」と思いこみ(その前の歌詞は思いこむ以前にまったく解読できなかった)、「魅せられて」のサビを「ウェンディーズ暴飲訪問時ええじゃん」と無茶苦茶に思いこみ、腹が痛いから私の胸でお眠りなさいなのかと納得していた高校生時代、「セカンドラブ」の歌詞を「恋も認めたら」と思いこみ、「笑っていいとも」のテーマソングを「お昼休みはブギウギどっち」と思いこみ、「仮面ライダーBLACK・RX」の主題歌を「わいに勇気を与えてくれ」と、なんで関西弁になんねんと思いこみ、「不思議少女ナイルなトトメス」のエンディングテーマを「些細な喧嘩でぶりっ子してた」と思いこんで、ちょっと古い流行語だと批判していた大学生時代を過ぎ、「イワンの馬鹿」の歌詞を「悲しんでも苦しんでも三年の日は流れてゆく」と厭世的に思いこみ(いや、歌いこんでいたのは大槻ケンヂ本人だったか?)、「とんがり帽子のメモル」の主題歌を「お邪魔なチビキラキラと朝露詫びて」と別のアニメと混ぜて思いこみ、「ゲド戦記」の主題歌は「心オナニーにたとえよう」といやらしく思いこみ、現在に至る。おや、あなたもですか。
 恥の多い生涯を送って来ました。

 そういう思いこみソングとして現在ナンバーワンの座にあるのは、アニメ「ルパン3世」のオープニングテーマの最初に出てくる「ルパン・ザ・サード」だろう。
 なにしろ、数十年前から現在に至るまで放送していて知名度は10代から50代まで幅広いし、視聴率が全般的に高いし、「ザ・サード」という言葉が小学生程度では理解不能だしで、多量の勘違いが発生するのも無理はない。ネットでもリアルでも、この話題になるとけっこう盛り上がる。
 私は、「ルパン・ズサーッ」で、銭形警部に追われて逃走するときの擬音だと思いこんでいたクチだが、「ルパン・だ・三世」とむりやりタイトル通りにしようとする几帳面なタイプ、「ルパンがさーん」と小学生の知識でタイトルにこじつける理論派タイプ、「ルパン・ルパーン」と大事な名前だから二度繰り返しましたタイプ、「ルパン・グサーッ」と被害者を刺し殺す擬音にしてしまった殺人嗜好タイプ、「ルパンだっさー」と主人公を面罵する個人攻撃タイプ、「ルパンがさあ」と世間話に持ちこむ橋田壽賀子タイプ、「ルパン・ザ・ワールド」と他番組とフュージョンしてしまった楠田枝里子タイプ、「ルパン・ザザーン」と他番組の怪獣とフュージョンしてしまった高野宏一タイプ(ルパン・タッコングでもなんとかいけそう)、「ルパンでさあ」となぜか訛った自己紹介にしてしまった地域密着タイプ(たぶんルパン音頭の聞きすぎだ)、「ルパンどすえ」とルパンを京女にしてしまった京都中華タイプ、「ゴハンですー」となにもかも勘違いしてしまった食欲本能タイプなどがある。たしかに夕方放映が多かった気がするけどさあ。

 思いこみソングで有名なのには童謡が多い。「うさぎ美味しいかの山」とか、「追われて見たのはいつの日か」とか、「帰ってみれば怖い蟹」とか、「荒熊さんありがとう」とか、「文よ襁褓費重ねつつ」とか、「いい爺さんに連れられていっちゃった」とか、「股ひらいて手を打って」とか、「森の木陰でドンジャラポン」とか、「アルプス一万弱、子山羊の上で」とか、「雪はよいよい、帰りはかわいい」とか、「春のウララの隅田川、この世は私のためにある」とか、「アレに見える、ハチャ罪じゃないか」とか。
 吉行淳之介のエッセイにも、「みっちゃんみちみちウンコして、紙がないから手で拭いて、もったいないから舐めちゃった」という歌の「みちみち」を「道々」でなく出るときの擬音だと思いこんでいた女学生が紹介されていた。「ミチミチ」というのが妙にリアリティがあってよく覚えている。体調がよくて太くて長いのが出たとき、そんな音がすることがあるよね。女学生と書いたけれど、35年前のエッセイなので、いまごろ50は過ぎてるだろうなあ。お元気でしょうか。

 そんな思いこみが多いから、ファイナルファンタジー12というゲームをやったとき、ヴァンという主人公のセリフが「オイヨイヨ!(飛び降りろ)」「ワイフ見た!(わー海だ)」「パンニョロがワッフル!(パンネロが待ってる)」「パンエロはルッコラ!(パンネロはどこだ)」「パンヤロがバッテラ!(パンネロが待ってる)」等々、間違えて思いこんだのかもしれない。声優の滑舌にも責任はあると思うけど。
 ゲームで思いだした。ゲームやアニメで有名なアルトネリコというタイトルを、「あるトルネコ」と思いこみ、トルネコみたいなもんか、トルネコの類似品か、ダンジョンを探検してお宝を発掘するゲームか、と思いこんでいたことがある。昔から言うではないか。思いこんだらシレンの道を、と。


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