はいぱーがーる(流産の章)

「すぐ閣議があるんで、もう出たいのだが」
 防衛大臣はいらいらしたそぶりを隠そうともしていなかった。
「すぐ終わります。この内覧会だけはご覧になってください。予算折衝の武器になります」
 幕僚総長は、大臣の不機嫌をまったく無視して、悠然と隣の席に座っていた。

 防衛省の内覧会は、機密保持を重視し、外部の人間をほとんどシャットアウトした状態で行われる。
 したがって新聞記者も報道カメラマンもおらず、粛然と議事は進行していた。
 報道は、内覧会後に行われる軍部広報の発表を書き写すだけだ。
 やがて壇上に制服の人物が立った。
「お集まりいただき、ありがとうございます。これからデモンストレーションを行う、は−i号企画の責任者、栗原です。現在の世界情勢を見るとおり、戦いは局地戦・市街戦・ゲリラ戦の比重が高くなり、ロケット砲による戦略地点の破壊、空軍力による限定爆撃では、不十分な局面が増加しております。どうしても歩兵を送りこみ、掃討作戦の必要が生じてまいります。その歩兵に、重火器、防弾被服を与えて攻撃力と防御力を増強しておりますが、われわれはより根本的な歩兵力の増大を考えております。そのための技術部門責任者が、こちらの東門大学人間工学部教授、仁科です。デモンストレーションの説明は仁科がおこないます」
 制服の人物は、背広の人物を紹介した。背広の人物は、せかせかとマイクを取り、説明をはじめた。
「仁科です。われわれの目標は歩兵そのものの改造です。歩兵は現在の時点では、人間の脳を使うしか手段はありません。ロボットではまだ行えない、瞬間的な判断、柔軟な戦術変更を要求されているのです。従いまして脳を含む体幹は人体を装備で増強するしかありません。しかし腕、足といった四肢の部分は、人工物によりさまざまな性能をはなはだしくパワーアップすることが可能です。だがここで」
 仁科教授はここでコップの水を飲んだ。
「問題になるのは人工四肢と肉体の体幹部との接続であります。人工四肢のパワーは技術的にいくらでも強くできますが、従来の義肢のように物理的に結合したのでは、人工四肢の強大なパワーの反作用が体幹部に及び、肉体をはなはだしく傷つける結果となります。そこでわれわれのチームは、体幹関節部と、義肢の接続部とに、数ミリの空隔をおき、電磁力によって物理的接触なしに結合する技術を開発しました。神経伝達も人工筋肉の収縮情報も、電子情報として体幹に伝えられるため、問題はありません。四肢にかかる強大な負荷も、電磁的に打ち消して体幹にダメージを与えないことが可能となります。では、そのデモンストレーションをお見せいたしましょう」
 仁科教授が合図すると、壇の背後から、フォークリフトが黒光りする鉄塊を運んできた。それとともに、カーキ色の軍服を着た、髭面の男が登場した。
「この鉄塊は重量が16トンあります。生身の人間では、むろん持ち上げることは不可能です。通常義肢で持ち上げるパワーを発揮したとしても、肩関節がその重量に耐えられないでしょう。こちらにおられる和田一曹は、志願して、われわれの開発した電磁結合ハイパー義肢を装着しました。彼の勇気と愛国心に、拍手をお願いします」
 会場にゆっくりと拍手が広がっていった。
「では、和田一曹にこの、16トンの重りを持ち上げていただきましょう」
 髭面の男は、ゆっくりと鉄塊のほうに向かっていった。やがて鉄塊に近づくと、腰を落とし、鉄塊の底面にその手をかけた。
 会場の全員が見ていた。
 鉄塊は微動だにしなかった。やがて髭面の男には、不思議がるような表情と、怯えたような表情が浮かび、仁科教授を見やるようになった。
「人間の思考には、常識外の現象をためらう気持ちがあるのです。だから力を出し切れていないのです。さあ、勇気を持って、必ずできると信じて」
 仁科教授の励ましに、髭面の男はもういちど鉄塊と取り組んだ。四肢を除く全身から汗が噴き出した。鉄塊は動かなかった。やがて、こき、と間の抜けた音を立てて、腕が外れた。髭面の男は、滂沱の涙を流しながら、両腕がない姿で立ちつくしていた。

「君はわしにコントを見せたかったのかね。閣議でこの話をして笑わせようというつもりかね」
 防衛大臣は立ち上がり、さっさと出口に歩いていった。
「いえ、そんな……。ちょっとした手違いです。お待ちください」
 大臣秘書と参謀総長は大臣を必死に追いかけていった。


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