ある春の朝。
いきなりたたき起こされた。
「起きなさい、起きなさい。わたしのかわいいナヴィア」
母親の声だ。
たたき起こされたというのは、文字通りの意味だ。
鈍器の一撃は、無意識のうちに身をよじって急所をかわし、腿にあざができただけですんだ。
訓練された戦士の防御姿勢をたもち、そろそろと壁を背に起きあがる。
「おはよう、ナヴィア。もう朝ですよ。」
母がバールのようなものを構えて立っている。
朝なのは、カーテンからもれる陽射しの鋭さでわかっている。
「今日は、とても大切な日。ナヴィアが、はじめて学校に行く日だったでしょ」
そういえば、そうだったような気がする。
母親が勝手に、どっかの学校に登録しておいたのなんだの、話していたような気がする。
どういう学校だったかは、忘れてしまった。
どうせまともな学校じゃないでしょ。
いまさら神学だのスコラ哲学だのを習いに通わせてくれるはずもない。
「この日のために、おまえを勇敢な男の子として育てたつもりです」
あたし、女なんですけど。
でもお母さん、たしかにあなたはあたしを、男の子として育ててくれましたよね。
そこらの男の子よりも逞しく育ててくれましたね。
忘れてはいませんよ。今でも。
男の子に喧嘩で負けると、もういちど勝負して勝つまで家に入れてくれませんでしたね。
はじめて買ってくれたのは、ドレスじゃなくて短剣でしたよね。
親父と兄貴の復讐に、たったひとりのあたしをこころよく送り出してくれましたよね。
感謝してます。あはん。
ナイフの一撃をかいくぐり、パンとチーズの朝食をすますと、あたしは外に出た。
外に出て3歩のところに、熊殺しのばね罠が仕掛けられていたけど、もちろん、そんなのにひっかかるのは、まぬけなポルトガル人くらいなもんだ。
母から聞いたとおり、海沿いに港の方向に歩いていくと、大きなほったて小屋が見えてきた。
学校じゃないよね、あれ。どう見ても、せいぜいイワシの塩漬け小屋だわ。
入り口には丸太を立てただけの門があって、「海賊兵学校」と達筆で書いた板がたてかけてあった。
校庭のつもりらしい空き地には、十人あまりの人間がたむろしていた。
大きいのや小さいのや、男や女いろいろ。服装もいろいろ。
ひとりの娘は、これから舞踏会かというようなひらひらした緋のドレスに、紫のショールをまとい、黒服の執事みたいな男になにか叱りつけていた。
ひとりの男は、なみはずれた巨体を黒の羅紗の服に包み、金色の巨大なボタンを光らせ、これも羅紗の、黒い片つばの変な帽子をかぶって、まわりを威圧するようににらみつけていた。
ま、このふたりがとりあえず、いちばん目立っていたわね。
おばかさんは目立つ、っての、ほんとうだわ。
あとは、水夫の服装をした地味そうなやつとか、貴族の服装をした派手そうなやつとか、いろいろいたけど、ま、常識の範囲内だったわ。
その中にはあたしが知ってる人もいて、あたしを見て、「こえー」と呼びかけてきたんで、「こわくねー」と言い返してやった。ま、挨拶みたいなもん。
しばらくあたし、目をつぶって、ここにいる人間のうち狼人が5人いたとしたら、どうやって尋問して推理して殺すか、そんなことを考えて時間をつぶしていた。
そのうち、人数が数十人に増えたみたい。
無秩序な群集がざわめくなか、ちょっと外れて数人たむろしていた中から、老いぼれがひとり、進みだした。
「みんな静粛に。これより、海賊兵学校の入学式を始める」
老いぼれは、そのご老体から信じられないくらいの大声をはりあげた。
群集は喋るのをやめ、老いぼれを見つめた。
「わしが校長のメグマレン・ド・ムーラや。ここはお前らも知っているとおり、海賊を育成することを目的としておる。わしと、ここにおる教官の指導により、3年以内におまえらを、一人前の海賊にして、海に出すつもりや。わしらの世代からお前らの世代へ、お前らの世代から次の世代へ、海賊の技術と知恵を受け渡していく駅伝のような存在でありたいと思っている。わしは、その駅の駅長になりたいと思っとる。己れ達せんと欲して人を達すという言葉があるが、まずはお前らを一人前の海賊にすること、それがわしの願いや」
話が長そうな人だと思ったら、やっぱり長いのよねえ。
「あら、この学校は、わたくしの家来を養成してくれる、と、そう聞いておりましたが」
あのちゃらちゃらした服の娘が、老いぼれの長話をさえぎった。
いつのまにか豪華なソファを持ちこみ、ふんぞりかえっている。
後ろから執事が日傘をさしかけている。
「おい、生徒なら、ちゃんと立って話を聞かんかい」
この老いぼれも、ちょっと指摘するポイントがズレているなあ。
「こんな陽の中、立たされていたら、わたくしの肌が台無しになっちゃうし、足が太くなってしまいますわ」
まあ、この娘がいかれてるのは見た目のとおりだ。
「とにかく、この学校は誰かの家来を養成するところやあらへん。独立独歩の海賊にするんや。其の道に非ざれば、即ち一箪の食も人より受くべからずと言うてな」
「あら、残念ね。わたくしの家来になれば、報酬はたっぷり、食べ物もお酒もたっぷりさしあげますのに」
「そういうわけにはいかんぞい」
もうひとりの目立つバカ、身長2パッススはあるかしら、あのデカ男が、よせばいいのに、乗り出してきた。
「この学校はわしがいただく。お前らはみんな、わしの子分じゃい。そしてここを拠点に、世界の海賊をすべてわしの子分にしてやるんじゃ」
「あらあら、どうしようもないおばかさんが出てきたわね」
「ちょっと、いい加減にしなさいよ」
余計なことを、と頭の片隅で思ったが、あたしはにらみ合う2人を止めにはいった。
「ここは学校なんだし、いまは校長先生のお話なんだし、みんなに迷惑をかけないよう……」
「なんじゃい、この男みたいな女は」
「あなたのような胸の薄いひとに説教される義理はなくってよ」
2人の言葉に、あたしのどこかが、かちんと音を立てた。
あたしは自分でも意識しないうちに、なにか叫び声をあげている自分を感じていた。
「言いやがったな、おどりゃ、皆殺しにしてくれるわっ」
「初日から、やってくれやがった」
破壊された建物の残骸、腕や足をもぎとられたり、腹から内臓をはみだしてうめいている負傷者、完全に死んでいる屍体を見下ろし、ド・ムーラ校長はうめいた。
「お前のクラスの生徒はしゃあないが、よそのクラスにまで迷惑かけないでくれ」
ド・ムーラ校長は、隣の小柄な女教師にぼやいた。
「あたしにどうこうできる問題じゃないだろ。まだクラス分けも発表してないのに」
ニーナ先生は言い返した。
「謎の少女だな。あの娘は……」
訊ねる堀川師範のほうをふりかえりもせず、ニーナ先生は答えた。
「ナヴィア・カタリーナ。別名、血の海のナヴィア。ご覧の通り、あるきっかけで別人格が現れると、手のつけられない虐殺魔となる。南の島、シチリアの出身だ。父親は山賊。むかし、父と兄を殺したファミリーの巣窟に、単身殴りこみをかけ、34人の武装した男を皆殺しにしたことがある。13歳のときだ」
「ニーナの、いい後継者になりそうだな」
「なるかっ、あんなもんっ」
「海賊にはむいていそうだな」
「味方を殺さないように、コントロールできればね……」