はいぱーがーる(受胎の章)

「おい! そこの……看護士!」
 目つきの鋭い、白衣の男に呼びつけられ、ふりむいたのは、同じく白衣を着ているが、妙にへらへらした感じの、小柄な男だった。
 その男は、もみ手をしながらやってきた。
「へぇへぇ、旦さん、なにか御用で」
「用事があるから呼んだのだ。なんか、妙な奴だな。名をなんという」
「へぇ、夢幻亭玉突と申しますでげす」
「幇間みたいな名前だな」
 小男は自分のひたいを、指でこつんと叩いた。
「大当たりでげす! あたしゃ、元タイコモチ。悠玄亭玉介の弟子でございまして」
「沼とかにいて、カエルや小魚の血を吸う虫か」
「それはタイコウチ。またまた旦那も冗談がお好きでげすねぇ。あっしはタイコモチ。旦那についてお太鼓を持ち歩き、カネを持たずに太鼓を持って、ご祝儀にありつくといった商売でげす」
「そのタイコモチがなんで、こんなところで看護士やってる」
「へぇ、それが、聞くも涙、語るも涙というところで……なんせ師匠、悠玄亭玉介は、最後の幇間と呼ばれた有名人。師匠に死なれた後は、なんで最後の幇間のあとにタイコモチがいるのかってんで、さんざん責められ、泣く泣く廃業に」
「それがなぜ、看護士になった」
「へぇ、廃業して、あっしもつくづく考えやした。これまであっしは、お旦の機嫌は取ってきたが、貧乏人の機嫌は取ってない。いっそ貧乏人の機嫌を取る仕事をやろうと一念発起、アフリカに渡って医療活動の援助」
「アフリカのどの国だ。ソマリアかジンバブエか。東か中央か南か西か」
「いえいえ、もうずーっと、まっつぐ奥のほうで」
「わけの分からない奴だな」
「まあ、そこいら辺で勤めあげ、看護士になって帰ってきたわけで」
「なんでこんな奴が、防衛軍機密病棟に出入りの資格をもらったんだ」
「いえいえ、自慢じゃないがあっしは、この通り口は軽いですが、旦那の秘密は一切喋りません。幇間のたしなみでございます。それにまあ、アフリカで防衛軍派遣部隊のお世話もさしていただいたご縁で」
「まあいい。お前には、これから手術する患者を連れてきてもらいたい」
「へぇ? こんな夜遅くに、手術でげすか?」
「うむ。機密を要するのでな。で、患者は一般病棟にいるが、盗聴防止のため、俺は部屋番号を言わない。このメモに書いて渡すから、一般病棟から連れてきてくれ」
「へへぇ、ここまで喋っておいて、いきなり盗聴防止とは、なかなかのご都合主義でござんすねぇ」
「なにか言ったか」
「いえいえ、こちとらの話でござんすよ。物語とはぜんぜん関係ございやせん。このメモ、自動的に消滅するんでげすか?」
「まさか、そこまではしない。患者を連れてきたら、俺に返せ。焼却する」
「へへぇ、わかりました」

 てなわけで玉突がひとり放り出されたシャッターの外。警備の兵隊が合図すると、シャッターがぐーっと閉まります。
「一般病棟はもう真っ暗けっけだねぇ。まあ、午前様も近いってんで無理もねぇや。廊下も暗いねえ。ええと、そうそう、メモメモ」
 さっきの男に渡された紙切れを覗きこみます。
「なんだこりゃ。字かねこりゃ。みみずのたくるっつうのは聞いたことがあるが、回虫の断末魔だねこりゃ。偉そうな顔して下手くそだねえ。たぶん数字だねえ。ええと……。7? いや1だなこりゃ。1と……0、3か」
 暗い中を手探りするように、目当ての病室をさぐりあてて、滑りこみます。103号室。
「ふうん、これが機密を要する手術の患者ねえ。なんだ、野郎かと思ったら、まだ若い娘さんでげすか。ありゃま、手足がないね、娘なのに達磨大師とはこれいかに。若い身空でこりゃ可哀想な」
 しばらく玉突は、女性患者の顔や身体をしげしげと眺めます。
「いやぁ、可愛らしい顔だねえ。肌もまだつるつると、若い肌ってのはいいでげすねえ。あっしもなんかこう、ちょっと、触ってみたりなんかしちゃって、いろんなところがうっふんあっはんと……いけねぇいけねぇ、仕事仕事。この娘さんを連れていくのが、こっちの仕事でげすよ」
 夢幻亭玉突、娘の眠るベッドの台車を滑らせ、病室から闇の中に消えてまいります。


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