薙刀使いと少年

「もし、お武家様」
 と娘がやってきたのは、目指す伊予宇和島まであと一日という、和気の宿であった。
 和気は安国寺恵瓊の所領。家康との戦があれば、毛利家とともに豊臣方につくことは確実である。国安と安之進にとっては、刺客や捕縛の心配のない、安心できる宿だった。
 その晩も湯に入ったあとで、安之進は大飯をくらい、国安はゆっくりと杯を口にふくんでいた。
 娘がやってきたのは、その時である。

「へえ、どうしてもお伺いしたい、といやはりますんで……」
 上方なまりでくどくどと詫びる女将に案内されてやってきた娘は、まだ十六、七だろうか。眉を落としていないから人妻ではない。旅をするのが痛々しいくらいの、なよやかな姿であった。
 ふたりに丁寧に一礼したのち、娘は容易ならぬことを発言した。
「お武家様と見込んでお願いがあります。どうか、わたくしの仇討ちの助太刀をしてはいただけないでしょうか」

 娘の語るところによると、自分は遠江掛川、山内対馬守家中、山本助兵衛の娘まな。父助兵衛は四年前、酒の席の喧嘩から、朋輩の二岡三郎兵衛に斬り殺された。二岡はそのまま逃亡。嗣子がなかったため、山本家は断絶。しかし親戚の奔走により、まなが父の仇を討てば、養子をとって山本家再興を許すということになった。
 親戚や家の者が八方手を尽くして二岡の行方を探したところ、ようやく探りあてた。山内家を退転後、伝手をたどって宇和島の藤堂高虎に仕えたという。
 早速まな、家僕の武吉、それに助兵衛の従兄弟、藻原八十八が仇討ちに出立することになった。
 山内対馬守一豊は、出立にあたって三人を引見し、
「佐渡守家中とあっては、藤堂殿からどのような横槍が来るやもわからぬ。あらかじめ、わしから藤堂殿への願い状を書いてやろう」
 と、書状を書き与えてくれた。
 しかし渡海して高松についた頃から、藻原が病んだ。騙しだまし旅を続けたが、宇和島を目前にしたこの和気の宿で、立つこともかなわぬほど病状が悪化した。しばらく様子を見たが、治る気配がないため、武吉をつけて駕籠で戻した。

「家来も助太刀もおらぬ独りきりとなりましたが、せっかくの好機をむざむざと逃すが口惜しく、この宿で思案しておりましたところ、お武家様がお泊まりになったと聞き、これぞ天の与えたもう助けと、目の前が明るくなる心地がしました。まことに唐突、かつ不躾なお願いではありますが、宇和島に同道していただき、仇討ちの助太刀をお願いいただけないでしょうか」
 娘の瞳は決死の想いをこめて、国安をじっと見つめつづけていた。
 国安は娘の視線を受けとめ、考え事をしている風だった。
 安之進はそんな二人を、不思議そうに眺めていた。

「助太刀してもよい。じゃが、代価は何じゃ」
 しばらくの沈黙を破ったのは国安の一言だった。
 なにか言おうとした安之進を手でおしとどめ、国安は続けた。
「わしも命を賭けるのだ。何の縁もないそなたの仇討ちとやらに。その代償に、何をもらえるのかな」
 国安は前のめりになり、娘の、頭から爪先までを、値踏みするような目で眺めた。
 娘は顔を紅くしたが、屹と国安の視線をはね返した。
「……いまは手持ちが少のうございます。しかし、仇討ちを果たして掛川に戻れた暁には、きっと充分なお礼をいたします。それでお願いできませぬか」
 国安は姿勢を崩し、壁に背中を預けた。杯を手に持った。
「それでよかろう」

「おじさん、なんてひどいことを」
 娘が去り、寝床をのべて横になった途端、安之進は不平を漏らした。
「わしに存念がある。口を出すな」
 抑えつけるような叔父の言葉に、安之進は不満げに黙りこんだ。
 しばらくの沈黙が流れ、安之進がぽつりと言った。
「きれいでしたね、あの人」
 国安は低く嗤った。
「惚れたか」
「やだなあ、そんなんじゃありませんったら」
 しばらくばたばた布団を叩く音がして、静かになった。どうやら寝入ったらしい。

 翌朝早く、三人は宿を出た。
 宇和島への山道を歩く。
 峠と峠のあいだを縫うような、細い道はなかなか険しい。
 先頭は国安ひとり。やや遅れて、娘と安之進が喋りながら続く。
 安之進がしきりに話しかけているらしい。娘は姉さんらしい仕草で、安之進をたしなめたり、問いに答えたりしている。
 国安はときどき振り返り、二人が着いてきていることを確認し、苦笑いを浮かべる。
 そんな道中だから、宇和島城下についたころは、すっかり日も暮れていた。

 城下の宿に続きの二部屋を取り、国安は娘をひとつの部屋に預けた。
「明日、城へ行く。疲れてないか」
「いいえ」
「ゆっくり寝て、旅の疲れを取るがいい」
「ありがとうございます」
 国安が隣の部屋に戻ると、安之進が矢立を持ち、なにかを懐紙に書きつけていた。
「なにを書いている」
 突然の言葉にびっくりして安之進が隠そうとした紙を、国安が取りあげた。
「なんだ、絵姿ではないか」
 懐紙にはあの娘の道中姿が描かれている。
「お前、なかなか絵が上手いな」
「返してくださいよぉ」
 腕にすがりついて絵を取り返そうとする安之進に、国安は素早く囁いた。
「あす、なにがあっても、おまえは手を出すな。口も出すな」
 その厳しい口調に、安之進はびくりと震え、思わず隣の部屋を見やった。それに、国安は追い討ちをかけた。
「娘に惚れるな」

 翌朝、三人は宇和島城で藤堂高虎にお目通りした。
 山本まなの口上を聞いた高虎は、差し出された書状をみて、ちょっと妙な顔をしたが、すぐに厳粛な顔に戻り、
「確かに二岡三郎兵衛はわが家中の者。本来なら武士の意地にかけても守り通すところじゃが、他でもない対馬守どの、たっての願いともあれば無下にはできぬ。仇討ちの段、さし許す。物事は早いほうがよい。これより行う」
 と告げた。
 高虎に指示を受けた近習の士のひとりは二岡三郎兵衛を呼び出しに、ひとりは仇討ちの場を作りに駆け出していった。
「さすが高虎、いやな奴だが段取りは早いな」
 と口の中で国安は呟いた。
 娘は蒼白になっていた。

 城より三丁ほど離れた空き地に青竹矢来を組み、正面には藤堂高虎じきじきの上覧。その脇には二名の検使が控え、後には目付、徒目付など十名ほど。四方の竹矢来は足軽四十名に守らせ、しつらえた小屋には太鼓と打ち手が控えている。
 左方には山本まなと助太刀の堀川国安。右方には二岡三郎兵衛。いずれも白無垢の装束に白鉢巻。まなの得物は薙刀、国安と二岡は剣。
 検使が双方を呼び寄せ、まず湯漬けを与える。国安と二岡は喫したが、まなは口をつけたのみだった。
 検使は双方の衣裳をあらため、鎖帷子など着していないことを確認したのち、殿に向けうなずいた。
 高虎は手ずから、双方に水杯を与える。
 そして双方を分け、目付の合図で、小屋の太鼓が鳴りひびく。決闘の開始である。

 同じくらいの腕前の人間が薙刀と剣で立ち会えば、まず薙刀が勝利する。
 「薙刀二段」といって、薙刀を持つ者が初段なら、剣士が三段で、ようやく互角と言われる。
 特に薙刀の脛を払う攻撃は、よほどの剣士でも受けに苦しむ。
 しかしそれは、薙刀をまともに使えば、の話である。
 娘は明らかに薙刀も剣も習ったことがない。力もない。
 薙刀を持っているのがやっとで、やっとのことで振るっても、へなへなと波打ち、途中で地に落とすありさまだ。
「どうか、お助けを、助太刀をお願いします」
 必死の形相で娘は叫ぶが、国安は動こうとはしない。
 娘の後ろで腕組みをし、じっと立っている。
 矢来の外の群衆の中で、安之進は叫び出したいのを懸命にこらえていた。
「お助けを……」
 懇願する娘の薙刀を叩き落とし、二岡は一刀のもとに娘の首をはねた。
 首はなおも叫ぼうとするかのごとく、目に涙をため、口を開いている。
 こうして異常な仇討ちは、返り討ちに終わった。

 その後、二岡と国安は、高虎に御酒を賜った。
「仕合が、このように終わったからには、双方遺恨はないな」
「ございませぬ」
 二岡が即答したのち、国安はゆっくりと答えた。
「拙者、もとより縁もゆかりもない故、最初から遺恨はござらぬ」
「よし」
 高虎は両者に杯を干させたのち、二岡に語りかけた。
「二岡三郎兵衛、そちは我に仕えし身なれど、遺恨の晴れた今、いちど掛川に戻るがよかろう。対馬守どのには、わしから書状を書き、山本の縁者にもようく申し含めるよう願いでておく」
「は、ありがたき幸せ」
 二岡は平伏した。

 宇和島から大津へ抜ける街道で、国安と安之進は、二岡に追いついた。
「二岡どの」
「これは堀川どの。そなたがたも上方へ戻られるのか」
「いや、あんたの書状を貰いにきた」
「これは迷惑な。そなたもご存じの通り、書状はわが旧主、山内対馬守さまへの……」
「もう一通、密書があるはず」
「な、なぜそれを……」
 抜き打ちをかけようとした二岡の先手を取り、国安は横殴りに剣を振るった。
 二岡の首が飛び、草むらのなかに転がった。

「やはりそうか。娘の持っていた密書は、山内一豊から藤堂高虎への、大阪との手切れの際には家康につくとの誓紙。こやつの持っていた密書は、それに対する返書だ。仇討ちと偽った、手のこんだ密書の交換だな」
 首のない屍体のふところを探り、書状を読み終わった国安に、安之進は話しかけた。
「おじさんは、どこであの人が密書を持っていると気づいたの」
「まず、あの娘の腕じゃ。本気で仇討ちを心がける者なら、たとえ二月三月といえど、師匠について修業を積むはず。なのにあの娘の腕は、とうてい修業したとは思えぬ細さだった。仕合は実際には行われないと、騙されていたのだろうな。もうひとつは」
 国安は密書をふところに収めた。
「助太刀を願い出たとき、あの娘は身体をわしに差し出さなかった。夫持ちならいざ知らず、命を捨てるほどの大事を男に願う以上、操を捨てるほどの覚悟はなくてはならぬはず。おそらく、仇し男がいたのだろう」
「あのひとは、間者だったの」
「くノ一だ。それも、おそらく、山内一豊の近習のだれかに色仕掛けでたぶらかされて、言いなりに動いた、傀儡のくノ一だ」
 国安は屍体をそのままに、歩きだした。
「前夜、娘の部屋に忍び入り、密書をすりかえておいたのに、このような返書を書くということは。すでに一豊は、高虎や家康と昵懇であると思わねばならない。中村も有馬も田中も、わかったものではないな」
 安之進は叔父のあとを追った。
「あの人は、悪い人じゃなかったよね」
「悪くはない。ただ、悪い人間に操られていただけだ」
 国安は振りむかずに歩きつづける。
「この旅で、お前はもっと悪いもの、もっと醜いものを見るだろう。世間とはそういうものだ」

 でも、いい人も、美しいものもある。
 もし姉がいたら、こんな人かなとほのかに想っていた。
 どこか淋しげで儚げだった、あの娘の面影を思い出そうとして、安之進は懐紙をふところに探したが、あの絵は、どこにもなかった。
「おじさん、あの、密書とすりかえた、って……」
「ああ、お前の描いた絵とすりかえておいた」
「ひどいや、おじさん」


戻る          次へ