「番人はびゅびゅびゅびゅびゅで船から離しておくのですが、ですが、あちきが疑われないよう、形だけでも襲撃してほしいのれす」
「よしきた。それなら、この倉庫に隠れていて、日暮れと同時に突っ込もう。あたしとヤスが斬りこむから、重さんと鈴音は援護射撃を頼む。できるだけ派手にね」
鉄砲寮の重太郎の部屋にみなで集まって、絵図面を広げ、えげれす行きの船を奪う(実際には、貰う、に近いが)計画を練っている。
「委細承知だんべい。この六連発をずんと撃って撃って撃ちまくるだんべい」
「船に乗りこんだらあたしが舵をとる。ヤスは錨をあげて、……あれ、ヤス、ヤス? どこに行ったんだ?」
安之進はひとり、京の夜道をそぞろ歩いていた。
この街は懐かしいようでいて、しかし自分の世界ではない。
でも、と、安之進は迷っていた。
自分は、この世界にとどまるべきではないのかと。
かつて自分がいた世界では、父親が仕えていた島左近の命を受け、国安伯父とともに、日本全国を巡ったことがある。
島左近とは、豊臣筆頭奉行であった石田三成の家老にして侍大将。
安之進と国安伯父の目的は、徳川家康の天下簒奪をさまたげ、豊臣の世を続かせることであった。
そのために各国の大名を説き、地侍を集め、ときには一揆を起こし、ときには書状を送りとどけた。
しかし安之進と国安伯父の努力は、関が原の野であえなくついえた。
安之進は徳川の世に嫌気がさして日本を脱出。マカオからゴアへ渡ろうとしているところを、ニーナの海賊船に拿捕されたのだった。
しかしこの世界では、豊臣の世が続いている。
この世界こそ、自分が望んでいた世界ではないのか。
もとの世界に戻る必要が、どこにあるというのか。
たとえもとの世界が、自分にとってのふるさとであっても、よりよい世界があれば、そこに棲みつくのが道理ではないのか。
「――!」
物思いにふけっていた安之進は、ふと背後に人影を感じ、鯉口を切ろうとした。
だが、やめた。
人影に殺気をまるで感じなかったからである。
ふりむいた安之進は、巨体ながらもどこか愛嬌のある、見たことのある人影を認めた。
「……なんだ、重さんの鉄砲足軽じゃないか」
「んだ。正平だ」
作者、云う。
これまで、この物語では、正平や藤兵衛などの鉄砲足軽は、忘れられたかのように放置されていた。
忘れていたわけではない。
しかし鉄砲足軽には、かれらの「規範」があった。
それは
「言挙げせぬ」
ことであった。
鉄砲足軽は、人であって主人にとっては人ではない。
家畜である。
鉄砲足軽が主人の前で無駄口を叩くべからず、主人の命令に黙って従うのみ、という厳しい掟が、かれらの間にあった。
そのため、鉄砲足軽は、重太郎や鈴音など主人のかたわらに常に控えながら、言葉はひとことも発しない。
鉄砲足軽が主人に口を聞いてもいいのは、戦場で「距離はおよそ二十間にござります」「風上からわれらを狙うちょる者がおります」等、緊急かつ必要最小限の、情報を伝える場合のみであった。
正平が「しげまる、おなか、すいた」などと主人に訴えるのは、鉄砲足軽としてはとんでもない礼儀破りであり、調教が未熟である証拠であった。
その鉄砲足軽と肩を並べて歩き、いま安之進は話しかけたい気分になっている。
「正平とか言ったな……おまえ、ふるさとはどこだ?」
「正平の、ふるさと、ない」
「ふるさとのない人間はなかろう」
安之進は笑ってみせた。
正平は笑わなかった。
「正平の、くに、日本に、負けた。日本に、なった。だから、もうない」
「お前……朝鮮人か、唐人か」
それならば言葉がたどたどしいのも納得がいく。
「朝鮮だ」
「そうか」
「正平、文禄のとき、清正様に、つかまった」
「朝鮮では、何をしていた」
「国王の、むすこ」
「えっ」
文禄の役で加藤清正が朝鮮の王子を二人捕らえたという話は、安之進も聞いたことがある。
安之進の世界では王子はすぐ朝鮮に戻されたのだが、この世界ではそのまま日本にとどめおかれたのか。
「捕まってから、どうした」
「正平、日本が勝ったこと、いばるために、あちこち、つれていかれた。そのあと、奴隷に、された。しげまるのおやじ、かわいそう、思って、正平、買ってくれた。しげまるの鉄砲足軽、してくれた」
「そうだったのか」
重太郎が幼いときから仕えていたから、幼名の重丸で呼んでいたのか。
安之進は思った。
いま正平は、鉄砲足軽として朝鮮人の望んでも得られぬよい生活をしている。
しかしそれは、正平にとって幸せなことなのだろうか。
犬は犬として、猫は猫として生きるのがいちばんいいのではないか。
正平は、たとえ人間以下の扱いを受けようとも、ふるさとに帰り、朝鮮人として暮らすことが幸せなのではないか。
「正平、おまえ、朝鮮に戻りたいか」
正平は首を横にふった。
「正平、しげまる、おやじ、恩がある。忠がある。逃げる、それ破る、よくない」
「では……、重太郎が戻ってよいと言ったら」
正平はしばらくためらった後に、ゆっくりと、うなずいた。
「では……さて、俺はどうすべきなのか」
安之進は夜空にむかって独言をつぶやいた。